小宮 孝(こみや たかし、1902年11月15日 - 1975年11月16日[1])は、日本経済学者。関西学院高等商業学部教授、関西学院大学経済学部教授、同学院院長などを歴任した。

略歴 編集

神奈川県横浜市出身[1]。兵庫県立神戸商業学校(現:兵庫県立神戸商業高等学校)、第一神港商業学校(現:神戸市立神港高等学校)を経て、1929年(昭和4年)に、東京商科大学(現:一橋大学)卒業後、関西学院高等商業学部(のちの関西学院高等商業学校、現関西学院大学経済学部商学部)の経済学担当教授に就任した[2]

関西学院初代教職員組合長、初代宗教活動委員会委員長を経て、1950年(昭和25年)から1954年(昭和29年)まで関西学院大学経済学部長を務めるなどし、関西学院におけるキリスト教活動の活性化及び民主化に尽力した。また財団法人日本クリスチャン・アカデミーには1960年の設立時から運営委員会委員として参画した[3]

1958年(昭和33年)から1969年(昭和44年)まで関西学院院長(第9代)を3期務め、学長代理を兼任し、関学紛争への対応などをしたのち、関西学院を退職。関西学院大学退職後は神戸女学院院長(第9代)、兵庫県教育委員会委員長を歴任。1974年(昭和49年)には吉岡美國関西学院第2代院長、コーネリアス・ジョン・ライトホール・ベーツ関西学院第4代院長に続き、3人目の関西学院名誉院長の称号を授与された。

1975年(昭和50年)、神戸女学院院長在任中に急死した。1976年(昭和51年)に寄贈された蔵書は、小宮文庫として関西学院大学図書館に収められている[4][5]

1960年 関西学院大学経済学博士。論文の題は「市場均衡の理論」[6]。妹・英子は酒枝義旗(経済学者、キリスト教思想家、早稲田大学名誉教授)の妻。

脚注 編集

  1. ^ a b 関西学院事典
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ [3]
  5. ^ [4]
  6. ^ 博士論文書誌データベースによる

参考文献 編集