小山真佐夫

日本のミュージシャン

アンディ 小山(アンディ こやま、英:Andy Koyama、本名:小山 真佐夫(こやま まさお)1946年昭和21年〉1月22日[1] - ) は、日本の男性歌手兵庫県神戸市出身。岩手県盛岡市在住。オフィスエム所属。

小山真佐夫
出生名 小山 真佐夫
こやま まさお
別名 アンディ小山
アンディ
生誕 (1946-01-22) 1946年1月22日(78歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
ジャンル
職業 歌手
活動期間 1963年 -
事務所 オフィスエム
公式サイト アンディ小山 ANDY KOYAMA offcial site

来歴・人物 編集

日本人の父親とロシア人の母親との間に1945年12月22日に誕生。父親が第二次世界大戦終戦の年(昭和20年)に生まれたことを避けてやりたいと考え、一カ月後の1946年1月生まれと記した出生届を提出した。そのため、戸籍上の出生日は、1946年1月22日となっている[2]

1961年京都商業高等学校に進学したがプロ歌手を志し、2年生の時に退学[3]

1963年12月、第一プロにスカウトされ、同年3月にハーフの男性で結成されたグループ・サウンズバンド「シャープ・ホークス」のリードボーカルとして加入した[3]。グループとしては人気を博したが、小山は自分の実力で勝負してみたいと考えるようになる。この時期に知人を介して、のちに“師”と仰ぐアイ・ジョージと知り合う。日本人ポピュラー歌手として初めてカーネギー・ホール公演を行うなど精力的なアイの行動力に衝撃を受ける。

1967年、「シャープ・ホークス」を脱退、ソロのシンガーを目指す。1972年から1974年までカナダに語学留学。帰国後はソロ活動をスタートさせる。自身のライブ以外にスタジオ・ミュージシャン、CMソングシンガーとしての仕事も請け負った。

1981年BOBBY、RIKAと3人組ユニットを組み「B.A.R」名義でシングル『BOOGIE WOOGIE TAXI』(作詞:立木寝損・英詞:TONY BENDER / 作曲:吉良キロー / 編曲:田辺信一)をリリース。NHKレッツゴーヤング』(1982年2月7日放送)などに出演した[4]

1986年バンクーバー国際交通博覧会での仕事をきっかけにカナダに移住。同地やアメリカ合衆国で音楽活動を行った。1993年に帰国してからは東京を中心に音楽活動を再開した[3]。語学力を活かし、1998年に行われた長野オリンピックやプロバスケットボールの試合でバイリンガルDJとして実況した。

1994年岩手県盛岡市に移住。同年、盛岡にてAVCヴォーカルスクールを開校。その後は本名から「アンディ小山」に改名し、岩手を中心に音楽活動を続けている。

2000年8月、バークレー音楽院ジャズ・ゴスペルサマースクールに参加。帰国後、ソウル&ゴスペルクワイア結成。NHK文化センターなどのカルチャー教室でソウル&ゴスペル、ジャズ、ハワイアン、ポピュラー等の歌唱指導を行う。

2010年4月IBC岩手放送のラジオ番組『アンディ小山のラブリー・メモリーズ』がスタート[5]。2018年3月25日終了。

2020年10月、公式YouTubeチャンネル「癒しの伝導師アンディ小山チャンネル」開設。自身の近況や楽曲を配信している。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

出演 編集

テレビ 編集

ラジオ 編集

  • アンディ小山のラブリー・メモリーズ(2010年4月 - 2018年3月、IBC岩手放送

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 二つの誕生日”. アンディの庭. アンディ小山OfficialBlog. 2023年7月15日閲覧。
  2. ^ パスポートの誕生日”. アンディの庭. アンディ小山OfficialBlog. 2023年7月15日閲覧。
  3. ^ a b c 元「シャープ・ホークス」アンディ小山さん 盛岡移住の理由”. 日刊ゲンダイ. 日刊現代. 2023年7月15日閲覧。
  4. ^ レッツゴーヤング#36 赤いスイートピー”. 歌謡ポップスチャンネル. 2018年6月19日閲覧。
  5. ^ アンディ小山 (2010年4月2日). “ボクのラジオ番組「ラブリー・メモリーズ」”. アンディの庭. gooブログ. 2023年2月12日閲覧。

外部リンク 編集