小澤英明

日本のサッカー選手
小沢英明から転送)

小澤 英明[注 1](おざわ ひであき、1974年3月17日 - )は、茨城県行方市(旧・行方郡北浦町[3])出身の元プロサッカー選手ポジションゴールキーパー(GK)

小澤 英明[注 1]
名前
愛称 オザ[2]
カタカナ オザワ ヒデアキ
ラテン文字 OZAWA Hideaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1974-03-17) 1974年3月17日(50歳)
出身地 茨城県行方市[3]
身長 188cm
体重 84kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足[4]
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1997 鹿島アントラーズ 3 (0)
1998-2000 横浜マリノス / 横浜F・マリノス 2 (0)
2000 セレッソ大阪 0 (0)
2001-2003 FC東京 1 (0)
2004-2009 鹿島アントラーズ 19 (0)
2010 スポルティボ・ルケーニョ 4 (0)
2011-2012 アルビレックス新潟 20 (0)
代表歴
1992  日本U-19
1995-1996  日本U-23
1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

北浦中学校2年生の時に全国中学校体育大会に出場した。水戸短大附属高校卒業後は地元の鹿島アントラーズに入団。古川昌明の前に出場機会に恵まれなかったが、1994年11月にJリーグ出場初出場[4]。無失点勝利に貢献した[5]アトランタオリンピックに臨むU-23日本代表で監督を務める西野朗からは体格の良さや向上心を買われ[5]、同代表候補の川口能活とポジションを争っていたが、椎間板ヘルニアの悪化により代表を辞退した[5][6]

1997年、腰の手術を勧める鹿島のスタッフと対立し[7]シーズン途中に自主退団。アメリカに渡ってリハビリと体幹のトレーニングに励んだ[5][8][6]

1998年10月、横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。しかし横浜Mには既にA代表にも入っていた川口が正GKとして定着していたため出場機会は乏しく[6]2000年3月から8月にはセレッソ大阪へ期限付き移籍[9][10]下川誠吾からポジションは奪えなかったが、天皇杯3試合に出場した。

2001年FC東京に移籍[11]。半月板の故障で出遅たこともあって[5]正GK土肥洋一からポジションを奪えず、この年は大量得点でリードした2試合に出場(うち1試合は終盤に途中出場[12])。2002年は負傷によりシーズン終盤までベンチ入りもできなかった[13][14]。しかし、この間に精神面や戦術面で得たものは少なくなく[2]浜野征哉GKコーチからは試合展開に左右されず相手選手に対して精神的優位に立てる点を高く評価されていた[2]2003年は土肥の負傷によりプレシーズンマッチ[15]リーグ開幕前のカップ戦で先発出場を続け[16]、好セーブを見せていたが[17]、リーグ開幕戦で土肥が復帰し[18]、以降はベンチ入りを続けるにとどまった。同年限りで退団。

2004年、7年ぶりに鹿島に復帰[19]曽ヶ端準の前に出場機会は少なかったが、2006年シーズンは曽ヶ端の負傷を受けてリーグ戦12試合に出場し、ナビスコカップ準々決勝G大阪戦ではビッグセーブでゴールを死守した。曽ヶ端の復帰後は再び控えに回ったが、いつ出番が来ても良いように日々備え[4][8]、ベンチ入りを続けた。2009年10月17日に行われたJ1第29節磐田戦で立石智紀の記録[8]を抜くベンチ登録252試合の最多記録を樹立した。鹿島からは契約延長を打診されていたものの、これを固辞し同年限りで退団[20]

子供の頃からの夢だった海外でのプレーを目指して南米に渡り[20]2010年2月17日よりパラグアイリーガ・パラグアージャに所属するスポルティボ・ルケーニョに加入[3]。この海外移籍に至るまで、Jリーグが開幕した1993年から国内1部リーグのみでプレーしていた唯一の選手だった[8]。不慣れな環境と日本人蔑視に苦しめられたが、同年10月に就任したカルロス・ハラ監督ハシント・ロドリゲスGKコーチからは偏見無く能力を評価され[21]、11月12日のオリンピア・アスンシオン戦でリーグ戦初出場[22]

2011年4月8日アルビレックス新潟に加入[23][注 2]。6月30日に行われたJ1第16節仙台戦終了間際、負傷した東口順昭に代わって途中出場し、4年ぶりのリーグ戦出場を果たした。東口の復帰後は再び控えに回ったが、8月に東口が再離脱して以降は武田洋平とポジションを争いつつ、最終的にはキャリア最多となる公式戦20試合に出場した。2012年はリーグ開幕戦こそ黒河貴矢が先発出場したものの、第2節から第4節までの間スタメンに復帰。第5節からは東口が復帰し[27]、リーグ戦出場はこの3試合に留まった。同年限りでの新潟退団を決めていたため[28]、契約非更新の通知を受けた[29]後は、非更新の理由を聞く事無く[28]クラブを離れている。

2013年は所属チームの無い中、一人コンディション調整を続けた[6]タイ・プレミアリーグやJ1クラブからのオファーを受けていたが、いずれも断り[30]、12月に特例[注 3]Jリーグ合同トライアウトに出場。

2014年、千葉県成田市にサッカースクール「Arqueros」を開校[32]

所属クラブ 編集

ユース経歴
プロ経歴

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1992 鹿島 - J - 0 0 0 0 0 0
1993 0 0 0 0 0 0 0 0
1994 3 0 0 0 1 0 4 0
1995 0 0 - 0 0 0 0
1996 0 0 0 0 0 0 0 0
1997 30 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 横浜M 31 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 横浜FM 21 J1 2 0 0 0 1 0 3 0
2000 0 0 0 0 0 0 0 0
C大阪 28 0 0 3 0 0 0 3 0
横浜FM 21 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 FC東京 22 1 0 1 0 0 0 2 0
2002 0 0 0 0 0 0 0 0
2003 0 0 2 0 0 0 2 0
2004 鹿島 1 4 0 1 0 0 0 5 0
2005 0 0 1 0 0 0 1 0
2006 12 0 8 0 0 0 20 0
2007 3 0 0 0 0 0 3 0
2008 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 0 0 0 0 0 0 0 0
パラグアイ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2010 (en ルケ プリメーラ 4 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 新潟 30 J1 17 0 1 0 2 0 20 0
2012 3 0 1 0 2 0 6 0
通算 日本 J1 45 0 18 0 6 0 69 0
パラグアイ プリメーラ 4 0
総通算 49 0 18 0 6 0 73 0
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2008 鹿島 1 0 0
2009 0 0
通算 AFC 0 0

代表・選抜歴 編集

茨城県選抜
U-19日本代表
U-23日本代表

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ a b 一時、登録名を「小英明」としていた[1]
  2. ^ Jリーグは選手登録に期間制限を設けているが、GKに負傷者が出た場合には、例外的に期間外での追加登録を認めている[24]。新潟はGK黒河貴矢が負傷離脱したため、この例外規定を用いた[25][26]
  3. ^ 小澤は無所属となっていたが、本来トライアウトはJリーグ所属選手が参加資格を持つ[31]

出典 編集

  1. ^ 登録選手 追加・変更・抹消のお知らせ J's GOAL (2004円3月19日)
  2. ^ a b c d e 『FC東京ファンブック2003』毎日新聞社、2003年、46頁。 
  3. ^ a b c d e 小澤選手の移籍先について 鹿島アントラーズ (2010年02月17日)
  4. ^ a b c d 選手データベース 小澤英明”. 2009年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月25日閲覧。WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
  5. ^ a b c d e 小宮良之『アンチ・ドロップアウト』集英社、2010年、59-63頁。 
  6. ^ a b c d 小澤英明・所属チームのない現役ゴールキーパー (2/4)”. 2013年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年11月4日閲覧。
  7. ^ 小宮良之『アンチ・ドロップアウト』集英社、2010年、64頁。 
  8. ^ a b c d オーレ! オレ、オレ、俺 鹿島GK 小沢 英明 (35)”. 2009年8月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月25日閲覧。 スポーツ報知 (2009年8月30日)
  9. ^ a b 横浜F・マリノス・小澤選手が移籍 セレッソ大阪 (2000年3月22日)
  10. ^ a b GK小澤選手がF・マリノスに復帰 セレッソ大阪 (2000年8月19日)
    小澤英明選手の契約期間延長について セレッソ大阪 (2000年6月30日)
  11. ^ 小沢英明選手 加入のお知らせ”. 2002年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月2日閲覧。 FC東京 (2000年12月26日)
  12. ^ 試合記録 Jリーグディビジョン1 セカンドステージ第12節 FC東京 (2001年11月3日)
  13. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2002年8月17日)
  14. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2002年11月30日)
  15. ^ 試合記録 プレシーズンマッチ FC東京 (2003年2月23日)
  16. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2003年7月16日)
  17. ^ 試合記録 ナビスコ予選第1節 FC東京 (2003年3月8日)
  18. ^ 試合記録 Jリーグディビジョン1 ファーストステージ第1節 FC東京 (2003年3月22日)
  19. ^ a b 小沢英明選手 鹿島アントラーズへ移籍決定のお知らせ”. 2004年3月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月2日閲覧。 FC東京 (2004年1月19日)
  20. ^ a b 小澤選手との契約が満了 鹿島アントラーズ (2010年1月6日)
  21. ^ 小宮良之『フットボール・ラブ』集英社、2011年、131頁。ISBN 978-4087806366 
  22. ^ 元鹿島の小沢はルケーニョでリーグデビュー スポーツニッポン (2010年11月16日)
  23. ^ 小澤 英明選手 加入のお知らせ アルビレックス新潟 (2011年04月08日)
  24. ^ Jリーグについて - 選手の契約・登録・移籍について Jリーグ
  25. ^ 登録選手追加・変更・抹消のお知らせ Jリーグ (2011年4月8日)
  26. ^ 2011シーズン追加登録期限について Jリーグ (2010年12月21日)
  27. ^ 選手出場記録 Jリーグ (2012年12月1日)
  28. ^ a b 小澤英明・パラグアイから国内復帰で味わった違和感 (4/4) Web Sportiva (2013年11月2日)
  29. ^ 契約満了する選手のお知らせ アルビレックス新潟 (2012年12月5日)
  30. ^ 小澤英明・今もひとり、戦う場所を求めて (1/4) (archive) Web Sportiva (2013年11月4日)
  31. ^ 1年間のブランクを経てトライアウトに参加した最年長GK Web Sportiva (2013年12月20日)
  32. ^ F.S.F.2010の投稿(773315229353804) - Facebook (2014年4月2日)
  33. ^ Match details / line-up:Olimpia Asunción-Sportivo Luqueño worldfootball.net(英語)

関連項目 編集

外部リンク 編集