小牧正英
小牧 正英(こまき まさひで、1911年9月25日 - 2006年9月13日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。
こまき まさひで 小牧 正英 | |
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生誕 |
菊池 榮一 1911年9月25日 岩手県江差郡岩谷堂 |
死没 | 2006年9月13日(94歳没) |
出身校 | ハルピン市音楽バレエ学校 |
職業 | バレエ・ダンサー |
生涯
編集本名を菊池榮一といい、1911年に岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺市を経て、現在の奥州市)の素封家に生まれた。1928年に上京し、翌1929年、目白商業学校2年編入[1]。中学生の頃、大田黒元雄著『ロシア舞踊』という本に出会い、感動する[2][3]。1933年21歳のとき、目白商業を卒業し画家を志してパリ留学を計画し、シベリア鉄道に乗り込もうと大連まで行き貨車に忍び込むが、その企図は失敗に終わり強制送還された[4][5]。翌1934年彼はハルピンでバレエ学校のハルピン音楽バレエ学校に入学し、キャトコフスカヤ女史のクラスで1939年の卒業まで研鑽を積む[6]。
1940年、上海バレエ・リュス[7]に入団した。これは、バレエ学校同級生ニーナ・コゼヴニコワの紹介で上海バレエ・リュスから招聘されたものだった。オードリー・キングに師事し、彼は同バレエ団で『白鳥の湖』『火の鳥』『ペトルーシュカ』などの公演で主要な役柄を踊った[3][8][9]。
戦後の1946年、上海から引き揚げてきた小牧は同年東京バレエ団[10]の結成に参加した。同年8月9日から[11]東京バレエ団は、小牧が引き揚げの際に持ち帰ったバレエ音楽の楽譜を基にして『白鳥の湖』全幕を日本初演し[12]、小牧は振付・演出とともに主演も務めた[13]。
1947年には小牧バレエ団を結成して、『イゴール公』『ジゼル』などさまざまなバレエ作品を上演し、多くの人材を育てた。1950年には有楽座で『ペトルーシュカ』を日本初演し、自らペトルーシュカを踊った[14]。1954年に日劇で上演された『火の鳥』では、当時の世界的バレリーナ、ノラ・ケイがタイトルロールを踊り、小牧がイワン王子を踊って、公演期間中の24日間を通して満席になったという[15]。1958年の日本バレエ協会設立に当たっては、発起人の一人を務めている。
主な振付・日本初演作品
編集- 1946年 (昭和21) 『白鳥の湖』帝国劇場[18][19]
- 1946年 (昭和21) 『シェヘラザード』帝国劇場[20][21]
- 1946年 (昭和21) 『パガニーニ幻想』帝国劇場[20][22]
- 1947年 (昭和22) 『バラの精』帝国劇場[23][24]
- 1947年 (昭和22) 『バラード』(オリジナル) 大阪朝日会館[3]
- 1947年 (昭和22) 『コッペリア』帝国劇場[23][25]
- 1947年 (昭和22) 『胡桃割り人形』日劇[3]
- 1948年 (昭和23) 『イゴール公』帝国劇場[26][27]
- 1949年 (昭和24) 『受難』(オリジナル)』大阪朝日会館[28][29]
- 1950年 (昭和25) 『ペトルウシュカ』有楽座[30][31]
- 1950年 (昭和25) 『ワルプルギスの夜』帝国劇場[3]
- 1952年 (昭和27) 『眠れる森の美女』日劇[32][33]
- 1952年 (昭和27) 『ドン・キホーテ』日比谷公会堂[3][32]
- 1953年 (昭和28) 『ジゼル』関西宝塚大劇場[34][35]
- 1954年 (昭和29) 『火の鳥』日劇[36]
- 1954年 (昭和29) 『リラの園』日劇[37][38]
- 1954年 (昭和29) 『カフェ・バア・カンカン』日劇[37][39]
- 1955年 (昭和30) 『日輪』(オリジナル)日比谷公会堂[40][41]
- 1959年 (昭和34) 『金鶏』産経ホール[42]
- 1963年 (昭和38) 『お蝶夫人』(オリジナル)日比谷公会堂[3]
- 1979年 (昭和54) 『やまとへの道』(オリジナル)東京文化会館[3]
出演
編集上海バレエ・リュス
編集小牧正英が1940年から1945年まで所属した上海バレエ・リュスでの出演演目。
- 『白鳥の湖』 (1940年) [43]
- 『ジゼル』 (1942年)[44]
- 『金鶏』 (1943年)[45]
- 『アルミ―ドの館』 (1943年)[46]
- 『シェヘラザーデ』 (1943年)[46]
- 『バラの精』 (1944年) [47]
- 『ペトルウシュカ』 (1944年) [48]
- 『エスメラルダ』 (1945年)[49]
- 『牧神の午後』[47]
- 『ナルシスとエホー』[50]
- 『イゴール公』[51]
- 『胡桃割り人形』[52]
- 『眠りの森の美女』[52]
- 『レ・シルフィード』[52]
- 『カルナヴァール』[52]
- 『イワンの馬鹿』[52]
- 『ドン・キ・ホーテ』[52]
- 『火の鳥』[52]
- 『ライモンダ』[52]
- 『海賊』[52]
- 『第四交響曲』[52]
- 『新世界』[52]
- 『展覧会の絵』[52]
- 『コッペリア』[52]
- オペラ「ファウスト」「デモン」「椿姫」「カルメン」「ルサルカ」の中のバレエ[52]
映画
編集著書
編集主な受賞歴
編集参考文献
編集- 西宮安一郎編『モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 : 自1900年(明治33年)至1978年(昭和53年)』 (東京新聞出版局, 1989.11) (1946年から1970年まで小牧正英が関わった公演について記載)
- 大田黒元雄著『露西亜舞踊』(第一書房, 1926)
脚注
編集- ^ 小牧正英「白鳥の湖」伝説 小牧正英略年譜 江差市
- ^ 小牧正英『ペトルウシュカの独白』(1975年、三恵書房)p185
- ^ a b c d e f g h 小牧正英「白鳥の湖」伝説 2019年12月11日閲覧。
- ^ 『ペトルウシュカの独白』pp132-133
- ^ 新撰 芸能人物事典 明治~平成「小牧 正英」の解説 コトバンク
- ^ 『ペトルウシュカの独白』pp154-159
- ^ ディアギレフのバレエ・リュスの残党や、モスクワ青年バレエ団のメンバー、イギリスとイタリアから参加した舞踊家等からなる団体である(『ペトルウシュカの独白』p127, 『バレエと私の戦後史』 pp29-30)。
- ^ 『ペトルウシュカの独白』pp126-129
- ^ 小牧正英『バレエと私の戦後史』(1977年、毎日新聞社)pp26-31
- ^ 1950年解散。現在の東京バレエ団とは直接の関係はない。
- ^ 岩波書店編集部 編『近代日本総合年表 第四版』岩波書店、2001年11月26日、355頁。ISBN 4-00-022512-X。
- ^ 山田一雄『一音百態』音楽之友社、1992、pp184-187
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp48-52
- ^ 『バレエと私の戦後史』p117
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp208-215
- ^ 小牧正英「白鳥の湖」伝説 日本バレエ史の伝説小牧正英 江差市
- ^ 小牧正英氏(舞踊家)が肺炎のため死去 - おくやみ(nikkansports.com) 2010年5月1日閲覧
- ^ 西宮安一郎編『モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 : 自1900年(明治33年)至1978年(昭和53年)』 (東京新聞出版局, 1989.11) p370
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp48-49
- ^ a b 西宮, p370
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp58-60
- ^ 『バレエと私の戦後史』p59
- ^ a b 西宮, p381
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp81-83
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp63-66
- ^ 西宮, p392
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp86-89
- ^ 西宮, p406
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp109-110
- ^ 西宮, p420
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp115-118
- ^ a b 西宮, p456
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp169-170
- ^ 西宮, p479
- ^ 『バレエと私の戦後史』p184
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp208, 213
- ^ a b 西宮, p492
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp214-215
- ^ 『バレエと私の戦後史』p215
- ^ 西宮, p510
- ^ 『バレエと私の戦後史』pp219-221
- ^ 『ペトルウシュカの独白』pp94-96
- ^ 『ペトルウシュカの独白』グラビア, p112
- ^ 『ペトルウシュカの独白』p98
- ^ 『ペトルウシュカの独白』p93
- ^ a b 『ペトルウシュカの独白』p104
- ^ a b 『ペトルウシュカの独白』グラビア
- ^ 『ペトルウシュカの独白』p23
- ^ 『ペトルウシュカの独白』p46
- ^ 『ペトルウシュカの独白』p22
- ^ 『ペトルウシュカの独白』p85
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『ペトルウシュカの独白』p129
- ^ 「仮面の男」を始めとして、7役を演じている。
関連項目
編集外部リンク
編集- 小牧正英 Masahide Komaki(1911-2006)
- えさし☆ルネッサンス
- 日本バレエ界に忘れえぬ足跡を印した人々(社団法人日本バレエ協会ウェブサイト)
- 小牧正英 (コマキマサヒデ) - ウェイバックマシン(2003年11月2日アーカイブ分) - goo 映画
- 小牧正英「白鳥の湖」伝説 2019年12月11日閲覧。