小田切 昌民(おだぎり まさたみ)は、江戸時代中期の武士旗本

 
小田切昌民
時代 江戸時代中期
生誕 元禄16年(1703年
死没 元文3年6月5日1738年7月21日
別名 三之助、十兵衛
戒名 辨龍
主君 徳川吉宗
氏族 小田切氏
父母 父:戸田由勝、母:武蔵秀一
養父:昌香
兄弟 女子(大道寺直紀妻)、戸田由澄田辺尚昌、女子(大平俊行妻)、昌民、女子(渡辺充妻)、女子[1]
長谷川正冬
昌興
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経歴 編集

享保8年5月2日1723年6月4日)家督を継ぎ、同年6月11日、徳川吉宗に拝謁する[2]。翌年の享保9年10月9日1724年11月24日大番に列した[2]

脚注 編集

  1. ^ 堀田 1923, 巻第千四百四十三.
  2. ^ a b 堀田 1923, 巻第三百九十四.

参考文献 編集