小田急御殿場ファミリーランド

小田急御殿場ファミリーランド(おだきゅうごてんばファミリーランド)は、静岡県御殿場市にかつて存在していた小田急電鉄経営の遊園地である。

小田急御殿場ファミリーランド
施設情報
愛称 御殿場ファミリーランド
テーマ 自然と人間とのふれあい[1]
事業主体 小田急電鉄
管理運営 小田急電鉄
面積 31万8817m2[2]
開園 1974年(昭和49年)11月15日[2]
閉園 1999年(平成11年)9月5日[1]
所在地 静岡県御殿場市深沢1312[2]
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概要 編集

1974年(昭和49年)11月15日、「自然と人間とのふれあい」をテーマに東名高速道路御殿場インターチェンジ近くの深沢地区の丘陵地にオープンした[2][1] 。園内はセンターハウスエリア、プレイランドエリア、スポーツエリア、ピクニックエリアの4つのエリアに分けられていた[3]

センターハウスエリアはレストランとショップが設けられ[3]、プレイランドエリアは大型娯楽機を主体としたエリアで[3]、スポーツエリアは夏はプール、冬はスケートリンクとして使われ[3]、ピクニックエリアは芝生広場と小塚山からなり、小塚山にはアスレチックコースも併設された[3]1989年(平成元年)にはカヌーでの激流下りをヒントとし、激流を専用の浮き輪で下るリオ・ブラボーや、園内の渓谷に面した場所に設けられた宙返りコースターのダンガイが登場し、御殿場ファミリーランドの地形を生かした新施設がつくられた[4]

1980年(昭和55年)には年間100万人の入場者がいたが、その後は入場者数は少子化やレジャーの多様化などで入場者数が減少したため、1999年(平成11年)9月5日に閉園した[1]

閉園の翌年、アウトレットモール運営会社であるチェルシージャパン(現:三菱地所・サイモン)との間で同所を30年間賃借する契約が結ばれ、アウトレットモールの「御殿場プレミアム・アウトレット」としてリニューアルオープンした。観覧車については営業を続けていたが、2015年(平成27年)8月31日に営業終了となり2017年に解体された(観覧車の跡地は小田急リゾーツのホテルが建設された)。現在もアトラクションの一部である水路等が残っている。

主な施設 編集

遊園地及びプールは渓谷を挟んで2つのエリアに分かれており、その間は「夢の大橋」で結ばれていた。

遊園地 編集

上記5機種のあるエリアは「スリルバレー」として1995年に開業。遊園地閉園後も2002年のゴールデンウィークまで「御殿場スリルバレー」として営業していた。
  • ダンガイ - トーゴ製。1989年7月17日開業。座り乗りと立ち乗りがあるコースター[4]。メリードルフィンを改造。名称は渓谷の縁(断崖絶壁)にある事から。
  • メリードルフィン - トーゴ製。全長425m、最大地点25m、最高時速75km。1979年4月29日開業。1982年4月28日には立ち乗り型の車両が登場し、よみうりランドとともに世界初のスタンディングコースターとなった。その後、レールの一部や車両がダンガイに流用された。
  • SLコースター
  • マッドクラシックコースター
  • メガリス - 丸太型のボートで水路を流れるウォーターライド。
  • キャニオンラフト
  • フェニックス
  • ローターウェーブ
  • パノラマ大観覧車 - 御殿場プレミアム・アウトレットの一部として残されていた。
  • スーパーロード210 - 観覧車乗り場へ行く為の動く歩道。こちらも観覧車と共に残されていたが、末期は休止となっていた。
  • メリーゴーランド
  • フラワーカップ
  • キディシャトル - 子供向け往復式コースター。
  • アニマルトレイン
  • スーパースライダー350
  • ジャングルアドベンチャー
  • ポニーがいて乗ることもできた

プール 編集

  • リオ・ブラボー - 浮き輪に乗って滑るウォータースライダー。
    • ワイルドコース - 全長450mの1人乗り専用スライダー。
    • キャニオンコース - 全長200mの2人乗りが可能なスライダー。
  • ブラックホール - 暗闇の中を浮き輪に乗って滑るスライダー。
  • ウォーターループ - 生身で滑るスライダー。
  • メインプール
  • 波のプール
  • ジャブリンタウン - 子供向け施設。

脚注 編集

  1. ^ a b c d 小田急電鉄株式会社社史編集事務局 編『小田急75年史』2003年、191頁。 
  2. ^ a b c d 小田急電鉄株式会社社史編集事務局 編『小田急五十年史』1980年、676頁。 
  3. ^ a b c d e 小田急電鉄株式会社社史編集事務局 編『小田急五十年史』1980年、540-541頁。 
  4. ^ a b 小田急電鉄株式会社社史編集事務局 編『小田急75年史』2003年、137頁。 

関連項目 編集