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小田 治朝(おだ はるとも、貞治2年(1363年) - 応永10年(1403年))は、室町時代武士常陸小田氏第9代当主とされる(ただし当主には就任していないとする説もある)。小田孝朝の子。小田持家小田直家の父。常陸介。太郎。

生涯編集

 
小田治朝の墓

小山義政の乱に敗北した小山義政の子の小山若犬丸を庇護したため、1387年鎌倉公方の軍に追討された。父とともに抵抗を続けたものの敗れ、那須氏に身柄を預けられることになる。1403年、父の孝朝に先立って没した。そのため、正式な当主には就任せずに終わったとされることもある。墓所は治朝が開基と伝わる海蔵寺(茨城県土浦市沖宿町)の墓地にあり、土浦市指定史跡に指定されている。法名は「海蔵寺殿義山尊玄大居士」[1]

脚注編集

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  1. ^ 永山, 正『土浦町内誌』土浦市教育委員会、1989年3月31日。