丈 (俳優)

日本の俳優、演出家、作家 (1966-)
小野寺丈から転送)

(じょう、1966年1月29日 - )は、日本俳優演出家作家

じょう
本名 小野寺 丈(おのでら じょう)
別名義 小野寺 丈(旧芸名)
生年月日 (1966-01-29) 1966年1月29日(58歳)
出生地 日本の旗 日本東京都
身長 166cm
血液型 B型
職業 俳優演出家作家
ジャンル テレビドラマ映画舞台など
配偶者 白石さおり
著名な家族 石ノ森章太郎(父)
小野寺章(弟)
事務所 太田プロダクション
公式サイト 公式ウェブサイト
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本名および旧芸名は小野寺 丈(おのでら じょう)。太田プロダクション所属。

略歴 編集

東京都出身。日本大学藝術学部映画学科中退。大衆演劇の「梅沢武生劇団」にしばらく籍を置いたのち、劇団JOE Companyを結成し、ほぼ全ての公演で脚本・演出・出演を務める。その後、約10年間の劇団活動休止をはさみ、プロデュースユニットとして再出発させる。ひとり芝居や、六代目三遊亭圓窓落語を学び高座に上がるなどの経験も持つ。

実父である石ノ森章太郎の原作作品は百単位と数多く映像化されているが、シリーズものも含め、小野寺が出演したのは5作品である。近年はドラマや映画、Vシネマなど活動の場を広げている。また舞台での活躍も増え、浜木綿子藤田まこと左とん平らに師事し、東宝や松竹制作による前述した役者らの座長公演にもたびたび出演している。

1985(昭和60)年、雑誌『ヒストリーズラン』発行10代のメッセージマガジンとして、自らに問う手紙(詩)などを若手の小説家などと掲載。 当時は尾崎豊らをはじめ10代へのメッセージが流行したが、数回で廃刊になる。

1999年、タレントの白石さおりと結婚[1]。二児の父。長男は「小野寺永遠」、次男は「星流」の芸名で子役やモデルとして活動している[2][3]

2012年2月、『サイボーグ009』の完結編となる小説『2012 009 conclusion GOD'S WAR』を脱稿。同年9月25日、角川文庫より「I」(2006年に一度角川書店より発行し、今回は改訂版となる)・「II」を、10月25日には「III」を発行。

2021年4月1日、芸名を「丈」に改名[4]

エピソード 編集

JOE Company 編集

JOE Companyは10年間の活動休止後、現在はユニットとしてプロデューサーシステムに移行しているが、旗揚げ当初は所属劇団員を抱えた劇団システムであった。運営などはワンマンであったが、野田秀樹主宰の夢の遊眠社や、渡辺えり子主宰の劇団3○○、つかこうへい事務所のつかこうへいなどに鑑みて、主宰者個人で座員すべてを牽引するスタイルは、小劇団を維持するには必要なシステムであった。旗揚げの3年後『PLUSTIC-ILLUSION』という作品を契機に、所属劇団員の向上心・競争心を触発させることと作品のレベルアップを目的に、外部から経験豊富な実力のある客演を招きはじめた。小野寺自身はメイン役を演じる機会が多かったが、演技経験の浅い劇団員との実力差が明白だったため、担わざるを得なかった。その後、番外公演と称して、小野寺を除いた劇団員のみが創作・出演する舞台を、小野寺が企画し、二度(キッドアイラックホール、旧・シアターグリーンにて)提供したことがある。小野寺は、キッドアイラックホールでの公演パンフレットにて「親獅子が子供を谷底に突き落とすような心境(中略)劇団員たちの自主性や実力の向上を願い、勉強してもらいたい」といった主旨のコメントを寄せている。客演を招いた公演でも、チャンスを与えるため劇団員へメインを演じさせることが多かった。近年のプロデューサーシステム移行後は、実力ある役者を集める傍ら、一般オーディションも開催し、自身はほぼ全作にわたり脇役に撤している。

旗揚げ当初から、以下のように表現方法やジャンルを作品ごとで変化させている。86年「灯-TOMOSIBI-」- 純愛コメディ、87年「エンジェルにはなりたくない」- ファンタジー、88年「PLUSTIC-ILLUSION」- SF、88年「2000年ラプソディー」- 伝奇ミステリー、89年「籠の中」- ホラー、89年「TRAIN-PANIC」- パニックアクション。プロデュースユニットへの移行後も、その姿勢は一貫している。



小野寺は「自分の存在価値とプライドにかけて『石ノ森の息子』とは、今後公言しないようにしたい。この番組で父の話をすることは最後にしたい」と発言している(2008年NHKBS「とことん石ノ森章太郎」にて)。

石ノ森の息子として体感したジレンマや苦悩などを自身のブログで綴っている[5]。日本テレビ系「爆笑大問題」にて、大学在学中「仮面ライダーのマスクのデザインを最終決定したのは自分だ」と自慢していた旨を同窓の爆笑問題が明かしたが、当該発言の真偽は未だ問い質されていない。爆笑問題の別番組にて、夏目漱石の孫の「そういう目で見られることが嫌だった」との発言を受けた爆笑問題の田中が「石ノ森章太郎の息子に、息子ではないかと問い詰めたら、首を絞められた」 という主旨の発言をしている。

1989年11月の劇団公演「トライアングルビジョン」(新宿シアターモリエール)での上演台本の執筆を父親、さいとう・たかを藤子不二雄Aの三名に依頼している。その際に配布された小野寺のメッセージには自身の苦悩などが綴られていた。

交流関係  編集

HOTEL』にて長年共演した高嶋政伸石橋保赤坂晃との交流を続けている。

高嶋について「業界で心を許せる友を作るのも難しいが、真面目なんだけど、ちょい、いい加減、そんなとこが、やたらと波長が合った」としている。近年は互いに多忙となり会う回数は減ったものの、高嶋から連絡を受け飲みに行くことがあるという。小野寺によれば、JOE Companyが公演を行う際は、高嶋がほぼ欠かさず現場に駆けつけてくるという[6]

愛という名のもとに』の出演者である石橋は、同ドラマのファンだった小野寺が声をかけ、同年代でもあることから意気投合。「競争社会で親友の出来にくい芸能界での親友の1人」と語り、若いころは朝まで飲み明かすこともあったという[7]

HOTEL終了後、不祥事で芸能界を去った赤坂について『晃君には、心があります。だから、いつ会っても、最初会った時と全く変わらずに会えます。(中略) 過去に何があったとしても、今、その人がどう頑張っているか、これから どう頑張ろうとしているかが大事だと いつも思うのです。』と自身のブログで胸中を明かした[8]。2021年には小野寺が監督・演出を務めた『7 NANA』へ、映画・舞台版ともに主演として赤坂が参加している[9][10][11]

赤坂との交流をきっかけに、出演者を集めた「HOTEL会」を開くこととなり、赤坂と同じく芸能界を去った秋山純を招いている[12]。秋山とは赤坂の出所後に行われた単独ライブへ高嶋、佐野圭亮らと共に駆けつけた[13]

出演 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

オリジナルビデオ 編集

舞台 編集

  • エルカンパニー公演「THE WINDS OF GOD」紀伊国屋ホール・他(1995年 - )
  • エルカンパニー公演「ゆく年くる年」新宿シアターアプル
  • 東宝製作「真室川の女」東京宝塚劇場(1996年)
  • 東宝製作「金時きつね」東京宝塚劇場(1997年)
  • 東宝製作「売らいでか!」 東京:芸術座・東京:帝国劇場・名古屋:名鉄ホール・福岡:博多座(1997年 - 2005年)
  • 東宝製作「あばれ女将」帝国劇場(1999年)
  • 東宝製作「八木節の女」帝国劇場(1999年)
  • 東宝製作「人生はガタゴト列車に乗って…」帝国劇場(2000年)
  • 東宝製作「ねぶたの女」御園座(2000年)
  • 東宝製作「花のれん」帝国劇場(2001年)
  • 名鉄ホール製作「浮き世長屋は春爛漫」名鉄ホール(2001年)
  • コマ劇場・明治座・松竹製作「剣客商売」パート1 - 4(2001年 - 2008年)梅田コマ劇場・明治座・御園座・松竹座
  • 東宝製作「極楽町一丁目」東京:芸術座・名古屋:御園座・大阪:新歌舞伎座・福岡:博多座(2001年 - 2007年)
  • 明治座製作「必殺仕事人」明治座(2002年)
  • エルカンパニー公演「MAKOTO」新宿シアターアプル・福岡:西鉄ホール・神戸オリエンタル劇場(2002年)
  • 東宝製作「口八丁手八丁」帝国劇場(2003年)
  • 三越劇場製作「浅草ろまん 雪の花道」三越劇場(2004年)
  • 明治座製作「夫婦善哉」明治座(2004年)
  • 東宝製作「大吉夢家族」帝国劇場(2005年)
  • 明治座製作「忠臣蔵」明治座(2007年)

Webドラマ 編集

脚本 編集

監督 編集

小説 編集

  • 2012 009 conclusion GOD'S WAR I、II、III(2006年 - 2012年、角川書店 / 角川文庫)
    • 全体の構想を石ノ森章太郎が手掛け、原稿も石ノ森の手によるものが残っていた部分はそれを基にしているため、石ノ森との共著という扱いとされている

脚注 編集

外部リンク 編集