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概要編集

延喜式神名帳』に記載されている式内社武蔵国多磨郡 小野神社」の論社の1つ。論社には他に府中市小野神社がある。多摩川氾濫にともない遷座を繰り返した結果2社になったとも、どちらかが本社でもう一方は分祠であるともいわれる。また、当社は武蔵国の一宮とされた。

社殿、鳥居隋神門賽銭箱神輿などには菊花紋章(十六菊の紋章)が取り付けられている。後北条氏太田道灌らの崇敬を受けて栄えた。江戸時代には一宮大明神と称され、江戸幕府より朱印地15石を寄進されている[1]

1880年に神奈川県から、1873年明治6年)12月にさかのぼって、郷社に列格することとなった[2]

祭神編集

主祭神は以下の8柱。

古くは小野氏祖の天押帯日子命を祀っていたという説がある[3]

式内社「小野神社」の歴史編集

中世には近在に武蔵国府が存在し、武蔵国一宮であった。武州六大明神[注 1]の一つとされ、これらを祀る武蔵国総社大國魂神社(六所宮)には「一宮」として祀られている。なお、祀られているのは当社のみで府中市の方は外れている。

「小野社」の名が初めて見られる史料として宝亀3年(772年)に作成された太政官符があげられ、「多磨郡□野社(多磨郡小野社を指すと思われる)」の記述がある[注 2][4]

日本三代実録』では元慶8年(884年7月15日、従五位上から正五位上に昇格との記載がある。また、10世紀前半に成立した『延喜式神名帳』では小社として式内社に列している。

吾妻鏡』の治承5年(1181年)4月の記事に『是以武藏國多西郡内吉富并一宮蓮光寺等』とあり「蓮光寺」(多摩市連光寺付近)と共に「一宮」(多摩市一ノ宮付近)の名が記述されており、「一宮」と「蓮光寺」を含めた形で「吉富」(京王線百草園駅 - 中河原駅の一帯)と記述している。

このほか、南北朝期の『神道集』には、小野神社が一宮として記載されている。

一方氷川神社もまた、一宮であると主張している。

境内編集

摂末社編集

文化財編集

東京都指定有形文化財
  • 木像随身倚像 - 鎌倉末期の元応元年(1319年)、因幡法橋応円・権律師丞源らにより奉納された。ヒノキ材、寄木造りの木像。(小野神社所蔵、非公開 )

現地情報編集

所在地
交通アクセス

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 小野神社、二宮神社(東京都あきる野市二宮)、氷川神社さいたま市大宮区高鼻町1丁目)、秩父神社(埼玉県秩父市番場町)、金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮)、杉山神社横浜市緑区西八朔町)の六社を指すとされる。
  2. ^ 記述内容は天平勝宝7歳(755年)の文章から引用されている。

出典編集

  1. ^ 慶安元年(1648年)8月17日一宮村一宮大明神領朱印状写(個人蔵)(パルテノン多摩 & 財団法人多摩市文化振興財団 2005, p. 26)[左記文献に写真掲載]
  2. ^ 明治13年(1880年)10月30日社格状(個人蔵)(パルテノン多摩 & 財団法人多摩市文化振興財団 2005, p. 34)[左記文献に写真掲載]
  3. ^ 神名帳考證』。
  4. ^ 天理大学附属天理図書館所蔵(パルテノン多摩 & 財団法人多摩市文化振興財団 2005, p. 6)[左記文献に写真掲載]

参考文献編集

  • 『日本歴史地名大系 東京都の地名』(平凡社) 多摩市小野神社項
  • パルテノン多摩; 財団法人多摩市文化振興財団編 『武蔵国一之宮 多摩市一ノ宮小野神社の変遷』 パルテノン多摩・財団法人多摩市文化振興財団、2005年。 NCID BA71524683 

関連項目編集

外部リンク編集