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小鷹
艦歴
建造所 ヤーロウ・アンド・カンパニー社造船所
計画 1885年
起工 1886年9月7日[1]
進水 1887年1月21日[1]
竣工 1888年10月10日
就役
除籍 1908年4月1日雑役船となる
その後 1916年廃船、翌年雑役船に復帰
1926年再度廃船、翌年売却
性能諸元(計画)
排水量 常備:203トン
全長 垂線間長:50.29m (165ft)
全幅 5.79m (19ft)
吃水 1.68m (5ft 6in)
機関 汽車 2基
直立2気筒2段膨張レシプロ 2基
2軸 1,300馬力[2]
速力 19ノット[3]
航続距離
燃料 石炭:57トン[4](満載)
乗員
兵装
(1888年[5]
3.7cm単装砲2門
3.7cm機砲2挺
36cm水上魚雷発射管4門
兵装
(1894年[6]
25mm4連装機砲 2基
36cm水上魚雷発射管 2門
装甲 機関部舷側:25.4mm(1インチ)
その他 信号符字:GQDP[7]

小鷹(こたか)は、日本海軍水雷艇。艦名は小型の鷹類の総称を意味する[8]

概要編集

イギリスヤーロー社建造。水雷艇の航洋性の低さを補うために当時の水雷艇が排水量50トン前後だったところを約200トンとし、自力で襲撃地点まで進出できるような大きさとした。また機関部舷側には厚さ1インチ(25.4mm)の軽い装甲も施し、対水雷艇に用いられた小砲に対抗した。艦首に顕著な衝角を持つが水線長を延長し船体抵抗を減らすためと衝突時に魚雷発射管の損傷を防ぐためといわれる[9]。ヤーロー社では6隻の同型艇の建造を予定していたが結局本艇1隻の建造に終わった。水雷艇誕生間もない時期の一種の試作といえる艇である[8]

艦歴編集

ヤーロー社で1888年(明治21年)10月10日に竣工、その後日本へ輸送され横須賀造船所で組み立てられた。完成後には航洋性のテストを兼ねて西日本各地を回っている。日清戦争では1895年(明治28年)2月5日に第一艇隊を率いて威海衛港内に侵入、「来遠」転覆、「威遠」「宝筏(ほうばつ)」撃沈の戦果を上げた[8]日露戦争では老齢のため内地警備に従事している。

1908年(明治41年)4月1日除籍、練習船となり1916年(大正5年)3月1日解役、同年5月8日に一旦廃船となった。しかし翌年2月9日に雑役船(標的船)に復帰、「小鷹丸」と命名される。1920年(大正9年)7月1日に「小鷹」に改名、1922年(大正11年)4月26日に橋船に指定変更された。その後は1926年(大正15年)10月11日廃船、翌1927年(昭和2年)1月11日に売却されたという[8]

脚注編集

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  1. ^ a b 『日本海軍 艦船名考』60頁。
  2. ^ 『世界の艦船』によると計画1,300馬力、公試成績1,217馬力。『日本駆逐艦物語』では単に1,217馬力とだけある。
  3. ^ 『世界の艦船』によると計画19ノット、公試成績17.835ノット。『日本駆逐艦物語』では単に19ノットとだけある。
  4. ^ 『日本駆逐艦物語』では50トン。
  5. ^ 『日本駆逐艦物語』p306-307による。
  6. ^ 『世界の艦船 日本海軍特務艦船史』による。
  7. ^ #達明治21年 画像1『達第百二十八號 各艦船ニ萬國信號符字ヲ左ノ如ク點付シ明治十九年一月丙第三號達符字表中東、雷電、孟春、千代田形、肇敏、蒼龍、攝津、畝傍ノ八艦名及其砲數ヲ示ス數字ヲ刪除ス 明治二十一年十一月五日 海軍大臣伯爵西郷從道 信號符字 艦名 砲數 GQDL 館山 Tate-yama 〇 GQDM 滿珠 Man-ju 四 GQDN 干珠 Kan-ju 四 GQDP 小鷹 Ko-taka 〇 GQDR 第一震天 Dai-ichi-shin-ten 〇 GQDS 第二震天 Dai-ni-shin-ten 〇 GQDT 第三震天 Dai-san-shin-ten 〇 GQDV 第四震天 Dai-shi-shin-ten 〇』
  8. ^ a b c d 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p489による。
  9. ^ 『日本駆逐艦物語』p252。

関連項目編集

参考文献編集

  • 浅井将秀編『日本海軍 艦船名考』東京水交社、1928年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
  • 中川努「日本海軍特務艦船史」
世界の艦船 増刊第47集』(海人社、1997年3月号増刊、第522集)