少帝弘(しょうてい こう)は、前漢の第4代皇帝(歴代皇帝に含まないこともある)。であるが、元来は(常山王に昇格したときに「義」と改名)。少帝弘とその兄弟は、実は呂后が密かに宮内に連れ込んだ者たちで恵帝の実子ではない、ともいわれるが真相は不明である。

少帝 劉弘
前漢
第4代皇帝
王朝 前漢
在位期間 高后4年5月11日 - 高后8年閏9月29日
前184年6月15日 - 前180年11月14日
都城 長安
姓・諱 劉山→劉義→劉弘
生年 不詳
没年 高后8年閏9月29日
前180年11月14日
恵帝

生涯 編集

恵帝(劉盈)と後宮の美人との間に生まれた。初めは襄城侯に封じられた。兄の常山王劉不疑が亡くなると、代わって常山王に封じられた。兄の前少帝が呂后に殺害されたことにより、代わって皇帝に即位した。

前180年に呂后が死去し、呂氏の乱で皇族(呂禄の娘を娶らされていた朱虚侯劉章が最も積極的に挙兵した)や元勲の陳平周勃灌嬰などにより呂氏一族が誅滅されると、少帝弘は兄弟と共に監禁された。叔父の代王劉恒(文帝)が即位するが、即位直前に少帝弘は汝陰侯夏侯嬰により宮内より追放され、少府に監禁された。劉弘は文帝が長安に入ると、弟の常山王劉朝(軹侯)・淮陽王劉武(壷関侯)らとともに毒殺された。

登場作品 編集

テレビドラマ