少年用スポーツサイクル

少年用スポーツサイクル(しょうねんようスポーツサイクル)、ジュニアスポーツ車は、1970年代に日本で流行した自転車の一形態である。トップチューブに装着されている自動車のセレクター(シフトノブ)を模したシフターと、2灯ヘッドライトがほぼ共通した特徴であり、加えてブレーキランプなどの灯火部品(フラッシャー)を装備したものはフラッシャー自転車とも呼ばれる。

当時はより簡素なシングルギアの少年用自転車に対して、外装変速機を用いたより本格的な自転車という意味合いから、サイクリング自転車サイクリング車、と呼ばれることも多かった。また当時のスーパーカーブームに影響された実用性よりも豪華な装備を重視した姿勢から、スーパーカー自転車との呼び名もある[1]

略歴編集

誕生編集

少年用スポーツサイクルと呼ばれる車種は、1968年日米富士自転車より発売された製品が最初であり、少年マガジンなどの雑誌広告や記事など宣伝も効してヒットした結果1970年代には大小20社あまりが製品開発を競い合っていた[2]。 このヒットの牽引となったのが、1973年シマノが開発した外装変速機の位置決めシステム「ポジトロンシステム」を組み込んだシフターであった。当時のシフターは互換性優先の為に初心者向きとは言えない代物だったが、クリック感により初心者にも使いやすい当システムの登場は変速機にとっては革命的であった。当時日本では本格普及の途にあったAT車風のスタイリングも人気を後押しした。

隆盛編集

こうして、自転車の人気ジャンルとなった少年用スポーツサイクルは、その人気の高さが起因する設備効率の良さが業界に歓迎され、1970年代後半には青年自然の家などのサイクリング車にもこのタイプが用意されるほどの隆盛を見た。白熱し過ぎた人気がPTAの槍玉に挙げられた結果、この自転車のセールスポイントの一つであるセミドロップハンドルを上下逆さまにして販売されるも、ほとぼりがさめると本来の仕様に戻す者が続出するという逸話もあった。

衰退編集

こうして隆盛を極めた少年用スポーツサイクルであったが、過剰な装備によってコストと重量が増加し、スポーツサイクルとしての魅力は失われて行く。70年代末には、人気の原動力であったスーパーカーブームも収束。1980年代になると極端にシンプルなシティーサイクルのヒットやBMXタイプの自転車が少年向けとして売れるようになり、各社とも少年用スポーツサイクルから撤退した。

特徴編集

当時の小中学生の憧れは自動車であった。その憧れに対するオマージュを自転車の各部機構に取り込むことによって、少年用スポーツサイクルの人気に拍車がかかったと言える。例えば、この種の自転車の象徴として、リトラクタブルライト等の灯火機能、ディスクブレーキ等の高性能な制動システム、フレームのトップチューブ部に置かれたAT車の自動車のセレクターを模したシフターなどがあげられる。

フレームの色は複数用意されていたが、黒が人気だった[3]

電飾編集

ナショナル自転車(現パナソニック サイクルテック)ではライトを軸にして設計を始めるという手法をとるなど、少年用スポーツサイクルでは重要なヘッドライトは安全装置というだけではなく、自動車のフロントマスクに相当する重要なパーツであった[3]

灯火機能は、当時少年の間で大ブームとなったスーパーカーブームがあり、リトラクタブルヘッドライトや電動フラッシャーウインカーなどが登場した。

イルミネーション機能も重要であり、デジタル表示のメータやシフト表示等、非実用的な電飾も多数搭載された。ナショナル自転車では電機メーカーとしての技術を活かし、LEDライトや液晶表示パネルなどを使用している[4]

これらの過剰な装備によりダイナモによる電力供給が追いつかず、別途単一乾電池バッテリーを数本搭載した。その結果、自転車の重量が20㎏オーバーとなった車種まで出現し、本来のスポーツサイクルとしての方向性は失われ、フラッシャー自転車と言うジャンルへと変質して行った。

ハンドル編集

この自転車の特徴とも言えるのがセミドロップハンドルである。外観への文句から、一時期ハンドルを逆転させ組まれた物もある。今ではこのハンドルは希少種となっているが、他の機能と違い初期から変更無く終焉を迎えている。

ブレーキ編集

電飾と違い安全装置と言う実用性がある事とメカニカルな要素が子供受けした事もあり、メーカーは開発競争に力を入れる事となった。ナショナル自転車ではシマノと共同開発した油圧ディスクブレーキ[1]を搭載した[1]

スピードメーター編集

スピードメーターは自身がどれだけの距離を走行したのか、速度を出したのかということを知り、楽しむための重要なアイテムであった。現代であればサイクルコンピュータのような小型軽量でマグネット式のセンサーによるものが使われるが、当時はやはりメカニカルな機構によるものであり、自動車やバイクと同様に前輪から内部でワイヤーが回転するスピードメーターワイヤーをハンドルに設置したメーターまで引き込む構造となっていた。

タイヤ編集

他のアイテム同様、自動車へのオマージュはタイヤにも取り入れられ、ラジアルタイヤの開発、投入も行われた。ラジアル構造の採用だけではなく、タイヤ側面にホワイトレターの装飾が施されたり、タイヤのトレッドパターンも当時の自動車用のそれと似たものが採用されるなど、少年の所有欲をくすぐるものとなっていた。

変速システム編集

1970年代に入りレバーを一段動かせばギアが一段変わるインデックス式が可能になった[5]シマノでは1973年に世界初となる外装変速機の位置決め機構「ポジトロンシステム」を実用化し、さらにその後「自転車が停止した状態で、あらかじめレバーを選択したいギアのところに入れておけば、発進時の踏み出しの際に自動的にギアが変速する」という「ポジティブプリセレクトシステム」の実用化にも成功し、これを自動車のセレクターを模したデザインで少年用自転車に搭載して大きな人気を得た[6]。この仕組みは、後に「シマノインデックスシステム (SIS)」、そして現在ロードバイクで一般的なデュアルコントロールレバーなどへと発展していく。自動車のMTのシフトレバーのようにH型のパターンで変速を行うものもあった。これらではもはやメカニカルな機構でシフトワイヤーを操作することは難しく、電動モーターによる変速機構が採用されていた。これも現代の競技用自転車の変速機構ではトップグレード等で採用されている電動のコンポーネントとして発展している。

シマノが開発した『FF System』が搭載された自転車であれば、ペダリングしていなくても自転車が進んでいれば外装変速機であっても変速可能であった。仕組みは、フリー機構がペダルとチェーンリングの間に入っており(Front Free)、自転車が進んでいればペダリングに関係なくチェーンが回転するので、変速できるという機構である。また、変速レバーを入れた後にペダルを逆回転させてもチェーンは外れない利点もある。

ナショナル自転車では手元のボタンでチェーンにオイルを注す『チェーンオイルボックスシステム』を搭載した[1]

少年用スポーツサイクルではフロントのチェーンリングはシングルが採用され、また比較的重い車重をカバーするために、リアのスプロケットには非常にワイドレシオのものが採用されることが多かった。その結果として、通常5速であるが巨大なロー側のギアが装着され、また、大きな変速幅を吸収する長いアームを持ったディレーラーが搭載されているという特徴を持つ。

影響編集

第一次オイルショックで高価格が問題視されたことで各社が自主規制を行ったが、スーパーカーブームの終焉、ブリヂストン・ロードマンの発売[3]マウンテンバイクのブーム到来もあって販売台数が落ち込み生産も終了した[1]。現代では廃業した自転車店の倉庫から発見される車両が取引されるなどコレクターアイテムとなっている[3]

技術的な影響としては、毎年モデルチェンジが行われるという開発競争[1]により各社の技術力が向上した。特にシマノは変速システムの機構をロードバイク用の変速機に応用することで世界的なメーカーとして躍進した。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 昭和すごかった “やり過ぎ”上等「スーパーカー自転車」はいかに少年の心をつかんだのか (1/4) - ねとらぼ
  2. ^ 中島秀憲 2017.
  3. ^ a b c d 昭和すごかった “やり過ぎ”上等「スーパーカー自転車」はいかに少年の心をつかんだのか (3/4) - ねとらぼ
  4. ^ 昭和すごかった “やり過ぎ”上等「スーパーカー自転車」はいかに少年の心をつかんだのか (2/4) - ねとらぼ
  5. ^ それまでの変速機はフリクション式で、レバーの引き具合とギアの変速はライダーの勘によって行われていた。変速機 (自転車)#外装変速機の進化も参照。
  6. ^ 山口和幸『シマノ 世界を制した自転車パーツ : 堺の町工場が「世界標準」となるまで』光文社、2003年、127-129頁。ISBN 4-334-97402-3OCLC 54636316

参考文献編集

関連項目編集