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Oguruma stable February 2013.JPG

尾車部屋(おぐるまべや)は、日本相撲協会所属で二所ノ関一門の相撲部屋

目次

歴史編集

1985年(昭和60年)11月場所限りで引退して佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方となっていた年寄・8代尾車(元大関琴風)が、1987年3月23日付で5人の内弟子を連れて佐渡ヶ嶽部屋から分家独立して尾車部屋を創設した。

以降、関脇豪風や関脇・嘉風など現在までに10人の関取を輩出している。師匠の現役時の四股名から取った「風」という字が付けられた力士が多い。2005年(平成17年)4月には閉鎖された押尾川部屋から17代押尾川(元大関・大麒麟)・11代不知火(元関脇青葉城)および所属力士6人と床山1人を受け入れた。

2009年1月30日には所属力士である十両若麒麟大麻所持の容疑で逮捕された。2011年4月には大相撲八百長問題に関連して十両・星風が解雇処分を受けた。

2014年1月21日には11代中村(元関脇・琴錦)が佐渡ヶ嶽部屋から移籍して部屋付き親方となった。11代中村は2016年1月に19代朝日山へ名跡変更し、同年6月1日に内弟子3人を連れて朝日山部屋を独立した。

所在地編集

師匠編集

  • 8代:尾車浩一(おぐるま こういち、大関・琴風豪規、三重)

所属年寄編集

  • 押尾川 旭(おしおがわ あきら、関脇・豪風、秋田)
  • 中村 雅継(なかむら まさつぐ、関脇・嘉風、大分)

力士編集

現役の関取経験力士編集

幕内編集

関脇
前頭

十両編集

旧・尾車部屋編集

1877年(明治10年)6月場所限りで引退した玉垣部屋所属の元幕内・勝山が年寄・尾車を襲名して尾車部屋を創設した。勝山(初代尾車文五郎)は、鳥取市湖山町新田の小松家の次男として天保12年(1841年)に生まれ、16歳で上京して玉垣部屋に入門、四股名「勝山芳蔵」として明治3年(1870年)西幕下十両、翌年入幕、最高位前頭5枚目まで進み、明治10年(1877年)に引退した[1]。明治の横綱・大砲や大関・荒岩を育てた親方として名高く、明治31年(1898年)の3回忌にには、三代目尾車文五郎(元大戸平廣吉)らにより、故郷に碑が建立された[1]。また、三代目尾車は「国技館」の命名者としても知られる[2]

明治から大正初期にかけては大きな部屋だったものの、大正時代に部屋の後継者を巡る争いが起き、関脇・三杉磯たちの一派が離れた後は部屋は衰退した。その後も幕内白岩を擁して部屋は続いたものの、1940年(昭和15年)5月限りで部屋は閉鎖された。

脚注編集

外部リンク編集