山下 末則(やました すえのり、1948年3月14日 - )は、日本アナウンサー実業家。株式会社パーフェクト・スピーチ代表取締役社長、株式会社ヤマシタルーム代表取締役[1]。株式会社ウェザーニューズ顧問[2]。みやざき大使[1]

やました すえのり
山下 末則
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 福岡県北九州市
生年月日 (1948-03-14) 1948年3月14日(76歳)
最終学歴 北九州大学外国語学部米英語学科卒業
職歴 宮崎放送アナウンサー(1970年 - 1981年)
日本テレビ放送網アナウンサー ほか(1981年 - 2008年)
パーフェクト・スピーチ代表取締役社長フリーアナウンサー(2008年 - )
活動期間 1970年 -
ジャンル スポーツ中継
出演番組・活動
出演中 プロ野球中継
Jリーグ中継
ほか
出演経歴PRIDE&SPIRIT 日本プロ野球
新春スポーツスペシャル箱根駅伝
ほか
備考
ヤマシタルーム代表取締役
ウェザーニューズ顧問
みやざき大使
東京プロ野球記者OBクラブ会員(2011年入会)

来歴・人物 編集

福岡県北九州市出身。福岡県立東筑高等学校、北九州大学(現:北九州市立大学外国語学部米英語学科を卒業後、1970年4月に宮崎放送(MRT)へ入社[1]、同社アナウンサーを経て[3]1981年4月に日本テレビ放送網(日テレ)へ入社した[1]。同期に小倉淳菅家ゆかりがいる。

日テレ入社後は主にプロ野球読売ジャイアンツ(巨人)戦中継の実況を担当し、セントラル・リーグ公式戦では、1990年9月8日吉村禎章が打ったサヨナラホームランで優勝決定した試合(対ヤクルトスワローズ戦。東京ドーム)や、1993年6月9日伊藤智仁が当時セ・リーグタイ記録の16奪三振記録達成後の初球を篠塚和典選手がサヨナラホームランにした試合。(対ヤクルトスワローズ戦。石川県立野球場) 1994年5月18日槙原寛己が完全試合を達成した試合(対広島東洋カープ戦。福岡ドーム)を務めた。また、シーズン開幕戦(開催が東京ドームの場合のみ)の実況は1991年(対中日)、1995年、1997年(ともに対ヤクルト)の3回担当した。日本シリーズでは1990年の日本シリーズの第2戦、1994年の日本シリーズの第2戦(いずれも対西武ライオンズ戦)、1996年の日本シリーズの第1戦(対オリックス・ブルーウェーブ)、2000年の日本シリーズの第4戦(対福岡ダイエーホークス)を担当した。

野球以外にも陸上競技に精通しており、箱根駅伝のセンター実況を1997年から8年間務めた。他にもサッカー中継の実況も担当しており、トヨタカップでは1986年リーベル・プレートステアウア・ブカレスト)、1993年サンパウロFCACミラン)、1995年アヤックスグレミオ)、1997年ボルシア・ドルトムントクルゼイロ)の大会を担当。Jリーグでは1993年11月10日のニコスシリーズ、ヴェルディ川崎横浜マリノス戦(国立競技場武田修宏Vゴールにより、ヴェルディが対マリノス戦初勝利をした試合)を実況している。近代オリンピックも二度担当した。

2006年6月には、日テレの関連会社であるアール・エフ・ラジオ日本出向し、営業職(営業局総務[3])を務めた。2008年3月に定年を迎え、日テレを退職[1]。同年4月には企業の社長や重役を対象としたスピーチコンサルティング会社「株式会社パーフェクト・スピーチ」を設立した[4]。社長業のかたわら、フリーアナウンサーとして、スカイパーフェクTV!(→スカパー!)等衛星テレビ放送各局で放送されるスポーツ中継の実況を務めることもある。2009年1月頃より、オーディックと業務提携を結んで活動[5]

2011年、東京プロ野球記者OBクラブ[6] へ入会[7]

出演番組 編集

太字は出演中

宮崎放送時代 編集

日本テレビ時代 編集

フリーランス後 編集

イベント司会・コーディネーター 編集

  • 団塊の世代フォーラム(横浜市主催。コーディネーター。2007年9月、2008年9月)[1]
  • 2008年プロ野球コンベンション(司会。2008年11月)[1]
  • オリンピック・パラリンピック選手トークショー(府中市主催。司会。2008年11月)[1]

連載コラム 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 外部リンク(オーディックのプロフィール)を参照。
  2. ^ 外部リンク(オーディックのプロフィール)では、「(株)ウエザーニューズ顧問」と記述。日本ソフトウエア産業協会公式サイト内『経営者のためのスピーチ力アップ・実践セミナー』告知記事 アーカイブ 2015年4月26日 - ウェイバックマシン(外部リンク)内経歴では、「(株)ウェザーニュース 顧問」と記述。
  3. ^ a b 外部リンク(岐阜新聞・岐阜放送懇談会)を参照。
  4. ^ 社名の由来は、槙原寛己が完全試合を達成した試合の実況を担当していたことによるもの。
  5. ^ 参考リンク…過去のオーディックウェブサイト内業務提携タレントリスト(インターネット・アーカイブ保存キャッシュ)
  6. ^ 東京プロ野球記者OBクラブ”. 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月17日閲覧。
  7. ^ 東京プロ野球記者OBクラブ会報『談話室』2011年11月14日発行・第6号 アーカイブ 2014年7月14日 - ウェイバックマシンより、P8を参照。新会員の一人として明記。
  8. ^ 参考:涙の復活!新垣の新たな旅が始まった - 『東スポWeb』(東京スポーツ新聞社)2012年4月3日付。山下のプロフィールも掲載。

関連項目 編集

外部リンク 編集

インターネットアーカイブの保存キャッシュを含む。

日テレ公式サイト内に掲載されたプロフィールページ(リンク先は、インターネット・アーカイブ保存キャッシュ)