山之内 健一(やまのうち けんいち、1970年5月31日 - )は、鹿児島県鹿屋市出身の元プロ野球選手内野手)、飲食店経営、歌手。

山之内 健一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿屋市
生年月日 (1970-05-31) 1970年5月31日(53歳)
身長
体重
179 cm
96 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1988年 ドラフト5位
初出場 1990年10月1日
最終出場 1990年10月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入り前 編集

福岡第一高時代は、春に続いて1988年第70回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦で2本塁打を放つなどの活躍で同期のエース・前田幸長とともに準優勝を果たす。この大会では同校OBである飛鳥涼が差し入れたバットを使って快打を連発したという[1]。高校通算48本塁打を記録し「九州バース」の異名をとる[2]。高校の2学年後輩には松元秀一郎がいた。

1988年のプロ野球ドラフト会議福岡ダイエーホークスから5位指名を受け入団。ドラフトではエースの前田の1位指名後に心待ちにしていたところ、地元の新球団となるダイエーに指名されたことで喜びの涙を見せた。背番号は同年まで主砲の門田博光が付けていた60を引き継ぐなど期待されていた。

ダイエー時代 編集

1990年1991年MLBの1A・サリナス・スパーズに野球留学し、1990年には一軍初出場も果たした。しかし、一軍での出場は1990年の7試合のみで、その後は二軍での生活が続き1994年オフに現役を引退した。

引退後 編集

引退後の1996年には、石川敬士率いる新東京プロレスに入団したが、デビューすることもなく早々に退団してしまう。なお退団の際、捨て台詞とも取れる「プロレスの練習はプロ野球のキャンプよりも楽」と発言した旨をプロレス専門誌に掲載されたが[3]、本人はそれを否定している。

その後は故郷の鹿児島に戻り『いざか屋ばーす』という居酒屋を経営する傍ら、少年野球の指導も行っている[2]

2012年、故郷鹿屋に鹿児島県で初の市民球団『鹿屋マグマスターズ』を設立することを発表した[4]

2023年3月29日にCD『東京ハーバーライト』(C/W:『男と女』 発売元:ホリデージャパン 品番:TJCH-15697)を発売し、歌手デビューを果たした[2][5]

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
1990 ダイエー 7 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
通算:1年 7 8 8 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000

記録 編集

背番号 編集

  • 60(1989年 - 1994年)

脚注 編集

  1. ^ 昭和最後の甲子園の主役「九州のバース」が傷心の2年生大砲に送ったメッセージ”. 西日本スポーツ (2022年8月16日). 2022年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月11日閲覧。
  2. ^ a b c 元ダイエー 九州のバースの異名を取った山之内健一氏 今年3月に歌手デビューしていた”. デイリースポーツ (2023年5月28日). 2023年5月29日閲覧。
  3. ^ 当時プロレス専門誌の週刊ゴングは、イラスト入りの記事でそのことを批判していた。
  4. ^ 鹿屋に市民球団 元ホークス選手・山之内さん設立へ 西日本新聞、2013年1月22日閲覧。
  5. ^ 東京ハーバーライト 山之内健一”. オリコン. 2023年5月29日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集