山北 茂利(やまきた しげとし、1978年1月6日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手投手)。

山北 茂利
Shirohato Felix 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 岐阜県多治見市
生年月日 (1978-01-06) 1978年1月6日(46歳)
身長
体重
191 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト3位
初出場 2000年3月31日
最終出場 2008年8月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

来歴・人物 編集

中京商業高等学校2年秋に東海大会ベスト8でコールド負け。社会人野球トヨタ自動車へ入部。1999年第70回都市対抗野球大会三菱重工名古屋の補強選手に選ばれる。同年のドラフト会議中日ドラゴンズから3位指名を受けて入団。同期に朝倉健太がいる。

2002年に57試合に登板し1勝4敗、防御率4.13の成績を残す。その年のオフに開催された第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。

2003年も57試合に登板し3勝0敗、防御率3.25と昨年よりも成績を向上させた。

2004年は故障の影響で一軍登板は7試合にとどまる。オフに清水将海との交換トレード千葉ロッテマリーンズに移籍。

2006年4月27日に龍太郎南竜介との2対1の交換トレードで左腕不足に悩まされていた横浜ベイスターズに移籍。

同年8月24日の対読売ジャイアンツ戦では自身3年ぶり、移籍後初となる勝利を挙げた。横浜では主に左のワンポイントリリーフとして起用され、ロッテ時代よりも登板数は増えたが、敗戦処理などで目立った成績は残せなかった。

2009年戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加。台湾の興農ブルズからオファーがあったが受けずに現役を引退。

2010年6月から神奈川県内のスポーツ用品店に勤務し、野球コーナーを担当[1]。その後は岐阜県内のスポーツ用品店にも勤務。現在は、スポーツ用品のヒマラヤにてプロアドバイザーを務める[2]

2018年7月には翌年4月創部の株式会社白鳩女子軟式野球チーム・Shirohato Felixの監督就任が発表された[3][4]。その他、ドラゴンズベースボールアカデミー岡崎市校・岐阜市校のコーチも務めている[2]

選手としての特徴 編集

191cmの長身からサイドスロー気味のスリークォーターで投げおろすスタイルで、マスコミや選手名鑑等では「和製ランディ・ジョンソン」と称された。ストレートの球速は、140km/h台前半から中盤だが(最速150km/h)それ以上に威力があり、スライダーシュートと組み合わせ左右に揺さぶる投球を持ち味とした。反面、制球面では課題が多かった。

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2000 中日 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 3.1 3 0 10 0 2 5 2 0 9 9 24.30 3.90
2002 57 0 0 0 0 1 4 0 -- .200 260 61.0 65 5 18 1 5 47 3 0 31 28 4.13 1.36
2003 57 0 0 0 0 3 0 0 -- 1.000 238 55.1 52 5 20 4 4 41 2 0 25 20 3.25 1.30
2004 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 25 5.1 9 0 1 0 0 1 0 0 5 5 8.44 1.88
2005 ロッテ 7 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 35 7.1 7 2 5 0 1 8 0 1 6 6 7.36 1.64
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.1 3 0 1 1 0 1 1 0 1 1 3.86 1.74
横浜 28 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 113 25.2 30 3 8 0 1 24 1 0 13 12 4.21 1.48
'06計 29 0 0 0 0 1 1 0 2 .500 123 28.0 33 3 9 1 1 25 2 0 14 13 4.18 1.50
2007 14 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 51 11.1 12 0 8 0 0 9 1 0 6 6 4.76 1.77
2008 32 0 0 0 0 0 1 0 4 .000 106 21.2 34 5 6 1 4 17 2 0 26 21 8.72 1.85
通算:8年 208 0 0 0 0 5 6 0 6 .455 863 193.1 215 20 77 7 17 153 12 1 122 108 5.66 1.50

記録 編集

背番号 編集

  • 59 (2000年 - 2002年)
  • 51 (2003年 - 2004年、2006年 - 2006年途中)
  • 15 (2005年)
  • 27 (2006年途中 - 2009年)

脚注 編集

  1. ^ サクラス戸塚のスポーツ用品店に就職した元横浜ベイスターズ投手[リンク切れ]
  2. ^ a b DBA ジュニア・コーチ紹介”. NPO法人 ドラゴンズベースボールアカデミー. 2020年12月22日閲覧。
  3. ^ “3年以内に全国大会に 白鳩女子軟式野球の元中日・山北新監督”. 中日スポーツ. (2018年7月7日) 
  4. ^ “女子野球部員がマスク工場で奮闘!『白鳩フェリックス』活動自粛して“1日60万枚”の大きな戦力に”. 中日スポーツ. (2020年5月9日). https://www.chunichi.co.jp/article/11320 2020年12月22日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集