山姥
作者(年代)
世阿弥室町時代
形式
複式夢幻能
能柄<上演時の分類>
鬼女物(五番目物)[1]
現行上演流派
観世宝生金春金剛喜多[1]
異称
シテ<主人公>
山姥
その他おもな登場人物
百ま山姥(ツレ)、その従者(ワキ)
季節
不定
場所
越後国上路あげろ山の山中(現新潟県糸魚川市上路[2]
本説<典拠となる作品>
不明
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山姥』(やまんば、やまうば)は、山に棲む妖怪である山姥を素材にしたの作品。五番目物・鬼女物に分類される。囃子に太鼓が入る太鼓物である[3]

概要 編集

能のあらすじは次のとおりである。都で、山姥の山めぐりを題材にした曲舞を舞って名声を得た、ひゃくま山姥という名の遊女(ツレ)が、善光寺に詣でようと考え、従者ら(ワキ、ワキツレ)とともに北陸道を進み、上路越あげろごえという険しい道を越えることとなる。すると、日が異様に早く暮れかけ、一行が途方に暮れたところに、女(前シテ)が現れ、一夜の宿を申し出る。女は、百ま山姥に山姥の曲舞を謡ってほしいと所望し、自分が真の山姥であることを暗示して姿を消す(中入り)。百ま山姥が待っていると、山姥(後シテ)が現れ、山姥の境涯を語る曲舞に合わせて舞う。妄執を逃れられない苦しさを訴える一方で、「善悪不二」、「邪正一如」、「煩悩即菩提」といった禅の思想を説く。そして、山めぐりの様子を舞って見せてから、姿を消す(→進行)。

申楽談儀』の記述や、修辞・引用の特徴などから、世阿弥の作と考えられる。特に典拠はなく、世阿弥のいう「作り能」と思われる(→作者・沿革)。

山姥の曲舞を舞って評判をとった百ま山姥の前に、本物の山姥が現れるという凝った構成となっている。また、山姥が「煩悩即菩提」という禅思想を説きながら、しかも最後まで妄執にとらわれ続けるという逆説が、そのまま「煩悩即菩提」という主題を体現している。晩年の世阿弥が、禅の思想に親しんでいたことを示す作品である(→特色・評価)。

進行 編集

前場 編集

百ま山姥とその従者の登場 編集

都で山姥の山めぐりを題材にした曲舞を舞って名声を得た、ひゃくま山姥(百万山姥、百魔山姥)という名の遊女(ツレ)が、信濃国善光寺に詣でようと、都を出発する。従者ら(ワキ、ワキツレ)が、その供をしている。一行は、志賀の浦から北陸道を進み、愛発山安宅、砺波山を経て、越中国越後国の国境にある境川にたどり着く。

ワキ・ワキツレ〽善き光ぞと影頼む。善き光ぞと影頼む。仏の御寺みてら尋ねん。
ワキ「是は都方みやこがた住居すまひ仕る者にて候ふ。又是に渡り候ふ御事おんことは。百ま山姥とて。かくれなき遊女にて御座候ふ。かやうに御名おんなを申すいはれは。山姥の山廻やまめぐりするといふ事を。曲舞くせまひに作つておん謡ひあるにより。京童部わらんべの申しならはして候ふ。又此頃は善光寺へおん参りありたき由承り候ふほどに。それがし御供おんとも申し。唯今信濃の国善光寺へと急ぎ候ふ。
[中略]
ワキ「おん急ぎ候ふほどに。是ははや越後越中の境川におん着きにて候ふ。暫く是に御座候ひて。猶々なおなお道の様体ようだいをもおん尋ねあらうずるにて候ふ[4]

[従者ら]ありがたい弥陀の光明を頼りとして、善光寺を訪ねよう。
[従者]これは都に住む者です。また、こちらにおられますお方は、百ま山姥といって、世に知られた曲舞の舞手でいらっしゃいます。このようにお名前をお呼びするいわれというのは、山姥が山めぐりをするという話を、曲舞にしてお謡いになっていることから、都の者たちが呼び習わしているのです。さて、近頃、百ま山姥が善光寺へお参りしたいということを伺いましたので、私がお供申し上げ、今、信濃国善光寺へと急いでいるところです。
[中略]
[従者]お急ぎになりましたので、早くも越後国越中国の境を流れる境川にお着きになりました。しばらくこちらにお待ちになって、さらに道の事情をお尋ねになるのがよいでしょう。

道尋ね 編集

従者は、道を尋ねようと言って、在所の者(アイ)を呼び出す。在所の者は、上路越あげろごえという道(親不知の背後の上路山を越える道)が如来のお通りになった道であり、本道であるが、乗り物で通ることはできないと説明する。従者は、百ま山姥にそのことを報告する。すると、百ま山姥は、乗り物を降りて上路越を越えることを決意する。

ツレ「げにや常に承る。西方さいほうの浄土は十万億土とかや。是は又弥陀来迎らいこう直路ちょくろなれば、あげろの山とやらんに参り候ふべし。〽とても修行の旅なれば。乗物をば是にとどめ置き。徒歩かちはだしにて参り候ふべし。道しるべしてび候へ[5]

[百ま山姥]まことに、常々伺っているところでは、西方浄土は十万億土のかなたにあるとのことです。しかし、これは阿弥陀如来が来迎される時に通られる善光寺へのまっすぐな道なのですから、上路あげろの山というのに参るべきでしょう。もともと修行の旅なのですから、乗り物はここに留め置き、歩いて参りましょう。道案内をお願いします。

宿を勧める女 編集

 
能面「深井」東京国立博物館蔵。中年女性の面である。

従者(ワキ)は、所の者(アイ)に道案内を頼み、一同は山道を進むが、やがて日が異様に早く暮れかけることに気付き、途方に暮れる。そこに、女(前シテ)が現れ、一夜の宿を申し出る。女は、百ま山姥の一行と察しており、山姥の曲舞を謡ってほしいと所望する。そして、山に住む女を山姥というのなら、私こそ山姥ではないかと言い、私の身を弔ってほしいと、曲舞を所望する理由を述べる。

女(前シテ)は、深井ふかい(または近江女、霊女りょうのおんな)の面、鬘を着け、装束は無紅いろなし唐織、扇を持った里女出立である[6]

ワキ「あら不思議や。暮るまじき日にて候ふがにわかに暮れて候ふよ。さて何と仕り候ふべき。
シテ〽のうのう旅人御宿おやど参らせうのう。「是はあげろの山とて人里遠き所なり。日の暮れて候へば。わらはがいおりにて一夜を明かさせ給ひ候へ。
ワキ「あら嬉しやぞうろふ。俄に日の暮れ前後をぼうじて候ふ。やがて参らうずるにて候ふ。
シテ〽今宵の御宿おやど参らする事。とりわき思ふ子細あり。「山姥の歌の一節うたひて聞かさせ給へ。年月としつきのぞみなり。ひなの思出と思ふべし。〽其為そのためにこそ日を暮らし。御宿おんやどをも参らせて候へ。いかさまにも謡はせ給ひ候へ。
ワキ「是は思ひもよらぬ事を承り候ふ物かな。扨誰と見申されて。山姥の歌の一節とは御所望候ふぞ。
シテ「いや何をか包み給ふらん。あれにまします御事おんことは。百ま山姥とてかくれなき遊女にてはましまさずや。まづ此歌の次第しだいとやらんに。〽よし足引あしびきの山姥が、山めぐりすると作られたり。あら面白やぞうろふ。「是は曲舞に依りての異名いみょう。さて誠の山姥をば。如何なる物とか知ろしめされて候ふぞ。
ワキ「山姥とは山に住む鬼女きじょとこそ曲舞にも見えて候へ。
シテ「鬼女とは女の鬼とや。よし鬼なりとも人なりとも。山に住む女ならば。わらわが身の上にてはさむらはずや。〽年頃色にはいださせ給ふ。言の葉ぐさの露ほども。おん心にはかけ給はぬ。「恨み申しに来りけり。〽道を極め名を立てて。世情[注釈 1]万徳の妙花を開く事。此一曲いっきょくの故ならずや。然らばわらわが身をも弔らひ。舞歌ぶが音楽の妙音の。声仏事ぶつじをもなし給はば。などか妾も輪廻をのがれ。帰性きしょう善所ぜんしょに至らざらんと。恨みを夕山ゆうやまの。鳥獣とりけだものも鳴きそへて。声をあげろの山姥が。霊鬼れいき是まで来りたり[7]

[従者]ああ不思議だ。暮れるはずもない日中なのですが、急に日が暮れてきました。さてどうしたものでしょうか。
[女]もし、旅のお方、お宿に泊まらせて差し上げましょう。これは上路山といって、人里遠い所です。日が暮れてきましたので、私の庵で一夜をお明かしなさいませ。
[従者]ああ、嬉しいことです。急に日が暮れ、途方に暮れていたところです。すぐに参ることにしましょう。
[女]今夜、お宿を貸し申し上げたのには、格別の理由があります。山姥の歌の一節を謡って聞かせてください。年来の望みなのです。そうすれば田舎暮らしの思い出となるでしょう。そのためにこそ日を暮れさせ、お宿を貸し申し上げたのです。ぜひとも謡ってください。
[従者]これは思いもよらぬことを伺うものです。我々を誰とお思いになって、山姥の歌の一節を謡ってほしいと御所望になっているのですか。
[女]いや、何をお隠しになるのですか。あちらにいらっしゃるお方は、百ま山姥といって、世に知られた曲舞の舞手ではいらっしゃいませんか。まずこの曲舞の次第とかいうところ(謡い出し)に、「よしあしびきの(善悪に迷い、足を引きずっている)山姥が、山めぐりする」と謡われています。ああ面白いことです。百ま山姥というのは曲舞に基づいた異名でしょう。さて本当の山姥はどのようなものか、ご存知でいらっしゃいますか。
[従者]山姥というのは、山に住む鬼女のことだと、曲舞にも謡われています。
[女]鬼女というと女の鬼ということですか。たとえ鬼であっても人であっても、山に住む女を山姥というのであれば、私の境遇のことではありませんか。(百ま山姥が)長年の間、歌の言葉では山姥のことを口にしておられながら、真の山姥のことは露ほども心にかけてくださらない。その恨みを申し上げに来たのです。曲舞の道を極め、名声を得て、この世の栄光を集めることができたのも、この曲舞の一曲のおかげではありませんか。そうであれば私の身を弔ってくださり、舞歌音楽の声をもって手向けてくだされば、私も輪廻の苦しみを逃れ、鬼性の身も帰性(悟り)を得て善所(極楽)に赴くことができるでしょう。……と、恨みを言うと、鳥獣も同調して声を上げる。上路山の山姥である霊鬼がここまで来たのだった。

姿を消す女 編集

百ま山姥が、曲舞を謡おうとすると、女は、月夜の中謡ってくだされば、真の姿を現しますと言って、姿を消した(中入り)。

ツレ〽不思議の事を聞く物かな。扨は誠の山姥の。是まで来り給へるか。
シテ「我国々の山廻り。今日しもここにきたる事は。わが名の徳を聞かん為めなり。謡ひ給ひてさりとては。わが妄執を晴らし給へ。
ツレ〽此上はとかく辞しなば恐ろしや。もし身の為めやあしかりなんと。はばかりながら時の調子を。取るや拍子をすすむれば。
シテ「しばさせ給へとてもさらば。暮るるを待ちて月の夜声よごえに。謡ひ給はば我も又。誠の姿をあらはすべし。〽すはやかげろふ夕月ゆうづきの。さなきだに。暮るるを急ぐ深山辺みやまべの。
地謡〽暮るるを急ぐ深山辺の。雲に心をかけ添へて。此山姥が一節を。夜すがら謡ひ給はば。其時わが姿をも。あらはしぎぬの袖つぎて。移り舞をまふべしと。いふかと見れば其のまま。かき消すやうに失せにけり[8]

[百ま山姥]不思議なことを聞くものです。さては真の山姥が、ここまで来られたのですか。
[女]私は国々の山をめぐり、今日ここまで来たのは、私の名の徳(評判)を聞こうとするためです。なにとぞ、お謡いになって、私の妄執を晴らしてくださいませ。
[百ま山姥]この上は、とやかく言って断ったら恐ろしいことになる。もしかしたら身に危害を及ぼすかもしれないと、おそるおそる時の調子[注釈 2]を取り、拍子を踏み始めると――。
[女]しばしお待ちください。どうせのことなら、日が暮れるのを待って、月夜の中、謡ってくださったら、私もまた真の姿を現しましょう。ほら、夕月がほの暗くかげってきた[注釈 3]。ただでさえ暮れるのが早い山奥の――。
――暮れるのが早い山奥の雲が月を隠さないよう祈りながら、この山姥の一節を夜通し謡ってくだされば、その時、私も姿を現し、袖を継ぐように続けて、同じように舞いましょう、と言ったかと思うと、かき消すようにいなくなってしまった。

間狂言 編集

所の者(アイ)が出て、日が暮れたかと思うとすぐ夜が明ける山の不思議を述べ、従者(ワキ)に、山姥のことを語って聞かせる[9]

所の者(アイ)の語りは、山姥には鬼女ならぬ「木戸」がなるものだというような珍説を述べては従者(ワキ)に否定されるという、滑稽味のあるものである[10]

後場 編集

待謡 編集

百ま山姥は、女の出現を待つ。

ツレ「あまりの事のふしぎさに。さらに誠と思ほえぬ。鬼女がことばを違へじと。
ワキ・ワキツレ〽松風ともに吹く笛の。声すみわたる谷川に。手まづさへぎる曲水きょくすいの。月に声すむ深山みやまかな[11]

[百ま山姥]余りのことの不思議さに、とても本当のこととは思えない。しかし鬼女の言う言葉に逆らうまいと……。
[従者ら]松風の音とともに吹く笛の音が澄みわたる。澄んだ谷川といえば、「流にかれてはやく過ぐれば手まづ遮る(曲水の流れに乗って杯が早く通り過ぎようとすると、まだ詩ができていない者はまず杯を手で止めてから詩を作ろうとする)」と漢詩に詠まれた曲水の宴つき[注釈 4][12]。月が差し、声が澄む山奥であるよ。

山姥の登場 編集

 
能面「山姥」東京国立博物館蔵。

そこに山姥(後シテ)が現れる。山姥は、前世の悪業により鬼となった者は自らの死屍を鞭打ち、前世の善行により天人となった者は自らの死屍に散花するという説話を引くが、「いや善悪不二」と、禅的な思想を説く。

山姥(後シテ)は、山姥の面、山姥鬘を着け、装束は無紅唐織、半切、扇の鬼女出立である。鹿背杖を突いている[13]

シテ〽あら物すごの深谷しんこくやな。寒林かんりんに骨をうつ霊鬼。泣く泣く前生ぜんじょうごうを恨む。深野しんや[注釈 5]に花をくうずる天人。かへすがへすも幾生きしょうの善をよろこぶ。いや善悪不二ふに。何をか恨み何をか喜ばんや。「萬箇目前ばんこもくぜん境界きょうがい懸河けんか渺々として。〽いわお峨々たり。山又山。いづれのたくみ青巌せいがんの形を削りなせる。水また水。たれが家にか碧潭へきたんの色を染めだせる[11]

[山姥]ああ、物寂しい深い谷であるよ。寒林(天竺の墓所)で自らの骨を打つ霊鬼は、泣きながら前世の業を恨む。野に花を供える天人は、返す返す前世の善行を喜ぶ[注釈 6]。いや、善も悪も悟れば同じこと。何を恨み何を喜ぶというのか。万物はあるがままで真理を示している[14]。急流の河は果てしなく流れ、岩壁は険しくそびえ立っている。山また山、どんな名工が青苔の岩壁の形を削り出したというのか。水また水、どんな染色家が緑の淵の色を染め出したというのか[注釈 7]

山姥の姿の描写 編集

百ま山姥(ツレ)と山姥(後シテ)との掛け合いの中で、山姥の姿が、髪は乱れて白髪で、眼光鋭く、顔は朱の鬼瓦のように醜いと描写される。山姥は、自らを『伊勢物語』で女を一口に喰った鬼になぞらえ、同じように物語されるのではないかと恥じる。

ツレ「恐ろしや月も木深こぶか山陰やまかげより。其さまけしたる顔ばせは。其山姥にてましますか。
シテ「とてもはやに出でそめし言の葉の。気色にも知ろしめさるべし。我にな恐れ給ひそとよ。
ツレ〽此上は恐ろしながらうば玉の。くらまぎれよりあらはれ出づる。姿詞すがたことばは人なれども。
シテ〽髪にはおどろの雪を戴き。
ツレ〽まなこの光は星の如し。
シテ〽さておもての色は。
ツレ〽さにぬりの。
シテ〽軒の瓦の鬼の形を。
ツレ〽今宵始めて見る事を。
シテ〽何にたとへん。
ツレ〽古への。
地謡〽鬼一口ひとくちの雨のに。かみなりさわぎ恐ろしき。其夜を思ひ白玉か。何ぞと問ひし人までも。我身の上にりぬべき。浮世がたりも恥づかしや[15]

[百ま山姥]恐ろしいことだ、月の光も差さない深い山の陰から、様変わりした様子の顔つきで現れたのは、山姥でいらっしゃいますか。
[山姥]既にあなたが言葉にされたとおりの有様からもお分かりでしょう。しかし私のことを恐れなさいますな。
[百ま山姥]こうなった以上は、恐ろしいけれども仕方がない。暗闇から現れ出た、その姿や言葉は人であるが――。
[山姥]髪は茨のように乱れ、雪のように白く、
[百ま山姥]目の光は星のようで、
[山姥]そして顔の表情は、
[百ま山姥]朱に塗った
[山姥]軒の鬼瓦のような形なのを
[百ま山姥]今宵初めて見ることを
[山姥]何に例えよう。
[百ま山姥]昔、
――(『伊勢物語』に)鬼が女を一口に喰った話がある。その雨の夜に、雷の大きな音が恐ろしかった(ので、男は襲われる女の叫び声が聞こえなかった)。夜が明けると、男は女が露を見て「白玉か何かですか」と尋ねたのを思い出して後悔したという[注釈 8]。その話が私の身の上のこととなってしまった。世の中に同じように物語されるのも恥ずかしい。

曲舞の謡い出し 編集

百ま山姥が、「よし足引の山姥が。山廻りするぞ苦しき。」という謡い出し(次第)から始まる曲舞を謡い始める。

シテ「春の一時ひととき千金せんきんへじとは。花に清香せいきょう月に陰。是は願ひのたまさかに。行き逢ふ人の一曲いっきょくの。其ほどもあたら夜に。はやはや謡ひ給ふべし。
ツレ〽げに此上はともかくも。いふに及ばぬ山中やまなかに。
シテ「一声いっせい山鳥さんちょうをたたく。
ツレ〽鼓は滝波。
シテ〽袖は白妙。
ツレ〽雪をめぐらすの花の。
シテ〽何はのことか。
ツレ〽のりならぬ。
地謡〽よし足引の山姥が。山廻りするぞ苦しき[16]

[山姥]花は香り、月はおぼろ月の春の夜の一時は、千金にも代えがたいという[注釈 9]。そして願っていたように偶然出会った人の曲舞の一曲。そのように少しの時も惜しまれる夜に、早く早くお謡いください。
[百ま山姥]確かに、この上はともかく言うまい。深い山の中に、
[山姥]一声の山鳥(カッコウ[注釈 10]が羽ばたくように、一声(謡い出し)を謡う。
[百ま山姥]滝波の音を鼓とし、
[山姥]舞う袖は滝波の白。
[百ま山姥]白い雪をいただく木の花(梅)。
[山姥]木の花といえば[注釈 11]、「難波のことか……」
[百ま山姥]「……法ならぬ」(何事も仏法の外ではなく、遊び戯れの遊女の身まで救ってくださると聞いている)[注釈 12]という歌があるが、
――「よしあしびきの(善悪に迷い、足を引きずっている)山姥が、山めぐりするのが苦しいことだ。」

山姥の曲舞 編集

山姥の境涯を語る曲舞に合わせて、山姥が舞う。山姥が住む人気のない山や谷の情景から始まり、山や谷を仏教における菩提や衆生にたとえる。また、山姥が樵や機織りの女を手助けすることを語る。そして、「唯打ち捨てよ何事も」と妄執を捨て去ることを説きつつも、妄執から逃れられない我が身を「よし足引の山姥が。山廻りするぞ苦しき。」と再び謡うところで曲舞が終わる。

シテ〽れ山といつぱ。塵泥ちりひじよりおこつて。天雲あまぐもかかる千丈の峰。
地謡〽海は苔の露よりしただりて。波濤を畳む万水ばんすいたり。
シテ〽一洞いっとう空しき谷の声。梢に響く山彦の。
地謡〽無声音むしょうおんを聞くたよりとなり。声にひびかぬ谷もがなと。望みしもげにかくやらん。
シテ〽ことにが住む山家さんかの気色。山高うして海近く。谷深うして水遠し。
地謡〽前には海水かいすい瀼々じょうじょうとして。月真如の光りをかかげ。うしろには嶺松れいしょう巍々ぎぎとして。風常楽じょうらくの夢を破る。
シテ〽刑鞭けいべんかま朽ちて蛍むなしく去る。
地謡〽諫鼓かんこ苔深うして鳥驚かずともいひつべし。遠近おちこちの。たづきも知らぬ山中やまなかに。おぼつかなくも呼子鳥よぶこどりの。声すごき折々に。伐木はつぼく丁々とうとうとして。山さらにかすかなり。法性ほっしょう峰そびえては。上求じょうぐ菩提をあらはし。無明むみょう谷深きよそほひは。下化衆生げけしゅじょうひょうして。金輪際に及べり。そもそも山姥は。生所しょうじょも知らず宿もなし。ただ雲水くもみずを便りにて。至らぬ山の奥もなし。
シテ〽然れば人間にあらずとて。
地謡〽隔つる雲の身をかへ。仮に自性じしょう変化へんげして。一念化生けしょうの鬼女となつて。目前にきたれども。邪正一如じゃしょういちにょと見る時は。色即是空しきそくぜくうそのままに。仏法あれば世法せほうあり。煩悩あれば菩提あり。仏あれば衆生あり。衆生あれば山姥もあり。柳は緑花はくれないの色々。さて人間に遊ぶ事。ある時は山賤やまがつの。樵路しょうろに通ふ花の陰。やすむ重荷に肩をし。月もろともに山を出で。里まで送るをりもあり。又ある時は織姫の。五百機いおはた立つる窓につて。枝の鶯糸くり。紡績ほうせき宿やどに身を置き。人を助くるわざをのみ。しずの目に見えぬ。鬼とや人のいふらん。
シテ〽世を空蝉うつせみ唐衣からころも
地謡〽払はぬ袖に置く霜は。夜寒よさむの月にうづもれ。打ちすさむ人の絶間たえまにも。千声せんせい万声ばんせいの。きぬたに声のしでうつは。ただ山姥がわざなれや。都に帰りて世語よがたりにせさせ給へと。思ふは猶も妄執か。唯打ち捨てよ何事も。よし足引の山姥が。山廻りするぞ苦しき。

[山姥]そもそも山というのは、塵や泥から起こって、天の雲にかかる千丈の峰にまで高くなったもの[注釈 13]
――海は苔の露から滴った水が、波の重なる大海となったもの。
[山姥]洞のように人気のない谷で、梢に響く山彦が
――無声音(悟りにより聞き得る声なき音)を聞くよすがとなる。昔、賢女が、大声を上げても響かない深い谷のような悟りの境地を望んだというのも[注釈 14]、このようなことであっただろう。
[山姥]中でも私の住む山の有様は、山は高くして海は近く、谷は深くして水は遠い。
――前には海水が開け、月が迷いを晴らす光を差す。後ろには松の峰がそびえ立ち、風が、永遠に楽しみが続くという迷った夢を破る[注釈 15]
[山姥]世が治まっていると、蒲で作った罪人を打つ鞭は朽ち果て、蛍が生ずるという[注釈 16]
――悪政を諌める鼓も、打つ必要がなくなって苔がむし、鳥はその音に驚くことがないという。遠近の見当もつかない山中で、心細い中、呼子鳥の声が物寂しい[注釈 17]。木を切る音がして、山はますます奥深い[注釈 18]法性は峰のようにそびえ、上求菩提(菩薩が悟りを求める向上心)を表し、無明は深い谷のようであり、下化衆生(菩薩が衆生を教化済度する慈悲心)を表し、金輪際(大地の底)に及ぶ。そもそも山姥は、生まれた所も分からず、宿もない。雲や水と一つとなって、行けない山奥はない。
[山姥]したがって人間ではないということで、
――人間界とを隔てる雲。その雲のように自在な身を変身し、一時的に本性を変化させ、一念によって変化する化生の鬼女となって、あなた方の目前に来たが。邪正一如(邪も正も悟れば同じこと)と考えれば、色即是空というとおりだ。仏法があれば世法があり、煩悩があれば菩提があり、仏があれば衆生があり、衆生があれば山姥もある。それらも「柳は緑、花は紅」[注釈 19]、それぞれあるがままの姿が仏の姿である。さて、山姥は、人間界に遊んで、ある時は重荷を背負って花の陰で休んでいる樵[注釈 20]に肩を貸し、月の光とともに山を出て、里まで送ることもあった。またある時は、機を織る女の窓に入って[注釈 21]、鶯が柳の糸を繰ると言われるように糸を繰り[注釈 22]、工女の家を手伝った。山姥は、こうして人を助けることばかりをしているが、卑しい者の目にはその姿は見えず、見えない鬼と人が言うようだ。
[山姥]空蝉(蝉の抜け殻)のように虚しい世を憂く思う。空蝉の殻といえば唐衣。
――忙しくて袖を払う暇もないうちに袖に降り積む霜は、夜寒の月の光と一つとなる。を打つ人が打ちやんでいる間にも、何遍も繰り返し砧を打つ音がするのは[注釈 23]、山姥が代わって打っているのだ。そのことを都に帰ってから世間話にしてください、……と思うのは相変わらず妄執であろうか。ただ万事を打ち捨てよ。といいながら迷いを引きずっているよしあしびきの山姥が、山めぐりするのが苦しいことだ。

山姥の立ち働き 編集

山姥は、鹿背杖を持って、山めぐりの様子を見せる(立廻り)[17]

シテ〽あしびきの。
地謡〽山めぐり[18]

[山姥]足びきの
――山めぐりをお見せしよう。

終曲 編集

山姥は、春は咲く花、秋はさやけき月影、冬は冴え行く時雨の雪と、雪月花に寄せて山めぐりの様子を舞って見せ、消え失せる。

シテ〽一樹の陰一河いちがの流れ。皆これ他生たしょうの縁ぞかし。ましてや我名を夕月の。浮世をめぐる一節ひとふしも。狂言綺語きょうげんきぎょの道すぐに。讃仏乗さんぶつじょうの因ぞかし。あらおん名残をしや。いとま申して帰る山の。
地謡〽春は梢に咲くかと待ちし。
シテ〽花を尋ねて山めぐり。
地謡〽秋はさやけき影を尋ねて。
シテ〽月見る方にと山めぐり。
地謡〽冬はさえ行く時雨しぐれの雲の。
シテ〽雪をさそひて山めぐり。
地謡〽めぐりめぐりて。輪廻を離れぬ妄執の雲の。塵つもつて山姥となれる。鬼女が有様みるやみるやと。峰にかけり谷に響きて。今までここにあるよと見えしが。山また山に山めぐりして。行方ゆくえも知らずなりにけり[19]

[山姥]一つの樹の陰に宿ったり、一つの河の流れを汲んだりという偶然の出会いも、みな前世の縁である[注釈 24]。ましてや、あなたは、曲舞の中で私の名を言って世渡りの業としている。その芸能の道は、仏法帰依のよすがとなるのです[注釈 25]。ああ、お名残惜しい。お暇を申し上げて帰る山の、
――春は、梢に咲くかと待っていた
[山姥]花を求めて山めぐりをし、
――秋は、明るい光を求めて
[山姥]月の見える方へと山めぐりをし、
――冬は、冴え行く時雨の雲の
[山姥]雪を誘うように山めぐりをする。
――山めぐりを続け、輪廻を逃れることができない妄執は、月を隠す雲のようである。妄執の塵が積もって山姥となった。その鬼女の有様を見よ、と言うと、見る見るうちに、峰を翔けり谷に声が響いて、今までここにいたと見えたが、山また山に山めぐりし、行方も分からなくなった。

作者・沿革 編集

世阿弥の芸談をまとめた『世子六十以後申楽談儀』には、「山姥、百万、これらは皆名誉の曲舞どもなり」、「実盛・山姥もそばへ行きたるところあり……当御前にてせられしなり」とあり、世阿弥自身が上演したことが分かる。そのほか、修辞や引用の特徴などから、世阿弥の作とする見解が一般的である[20]

特に典拠はなく、世阿弥のいう「作り能」と思われる[21]。本作品が、「山姥」についての文献上の初見である[22]

特色・評価 編集

世阿弥による「そばへ行きたるところあり」という評価は、趣向に凝っているということと思われる[23]。すなわち、構成面においては、山姥の曲舞を舞って評判をとった百ま山姥の前に、本物の山姥が現れるという入れ子構造がとられている。また、妄執の権化である山姥が、「煩悩即菩提」という禅思想を説きながら、しかも最後まで妄執にとらわれ続けるという逆説的な物語となっており、そのこと自体が「煩悩即菩提」という主題を体現している[24]。晩年の世阿弥が、禅の思想に親しんでいたことを示している[25]

本作品に現れる山姥は、人を喰う恐ろしい鬼女ではなく、むしろ仙女のような存在であり、自然そのものの象徴、あるいは人間の象徴とも考えられる[26]

一曲を通じて、優美な感じもある一方で鬼気がみなぎっており、「力と速度の能」と言われるとおり、ダイナミックで迫力に満ちた作品である[26]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 正しくは「世上」。伊藤校注 (1988: 360)
  2. ^ 季節や時刻にかなった音の高さ。伊藤校注 (1988: 361)
  3. ^ 梅原・観世監修 (2013: 428)は、夕月がかげってきたと解する。伊藤校注 (1988: 361)は、夕月が輝き始めたと解する。
  4. ^ 『和漢朗詠集』曲水宴「礙石遅来心竊待、牽流遄過手先遮」(菅原雅規)による。梅原・観世監修 (2013: 436)伊藤校注 (1988: 260)
  5. ^ 「深野」は、正しくは「林野」あるいは「塵野」か。伊藤校注 (1988: 362)
  6. ^ 前世の悪業により鬼となった者は自らの死屍を鞭打ち、前世の善行により天人となった者は自らの死屍に散花するという説話(『天尊説阿育王譬喩経』等)による。伊藤校注 (1988: 362)
  7. ^ 和漢朗詠集』山水「山復山、何工削成青巌之形、水復水、誰家染出碧潭之色」による。伊藤校注 (1988: 362)
  8. ^ 『伊勢物語』に「芥川といふ河をいきければ。草の上に置きたりける露を。かれは何ぞとなん男に問ひけるを。……夜も更けにければ。鬼ある所とも知らで。神さへいといみじう鳴り雨もいたう降りければ。……はや夜も明けなんと思ひつつ居たりけるに。鬼はや女をば一口に食ひてけり。あなやといひけれど。神の鳴るさわぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに。見れば率て来しおんなもなし。足ずりをして泣けどもかひなし。白玉か何ぞと人の問ひし時露と答えて消えなましものを。」とあるのを引く。大和田編 (1896: 190-91)
  9. ^ 蘇東坡「春宵一刻値千金、花有清香月有陰」による。伊藤校注 (1988: 198, 363)
  10. ^ 『和漢朗詠集』郭公「一声山鳥曙雲外」による。伊藤校注 (1988: 363)
  11. ^ 「難波津に咲くやこの花冬籠り今は春べと咲くやこの花」(古今和歌集仮名序等)を踏まえる。伊藤校注 (1988: 363, 18)
  12. ^ 後拾遺和歌集』釈教「津の国のなにはのことか法ならぬ遊び戯れまでとこそ聞け」による。伊藤校注 (1988: 20, 364)
  13. ^ 「高き山も麓の塵泥よりなりて、天雲たなびくまでのぼれるごとくに」(『古今和歌集仮名序』)を踏まえる。伊藤校注 (1988: 364)
  14. ^ 『仏説七女経』「人於深山中大呼音響四聞耳不所在」を悟りの境地の比喩とするのを踏まえる。伊藤校注 (1988: 364)
  15. ^ 源平盛衰記』十、『平家物語』長門本「前には海水瀼々として月真如の光を浮め。後には巌松森々として風常楽の響を奏す。雲東天に晴れ波西海静なり。誠に三尊来迎の儀式も便あり。九品往生の望たりぬべし。刑鞭蒲朽ちて蛍空しく去る。諌鼓苔深うして鳥驚かず。」による。大和田編 (1896: 192)伊藤校注 (1988: 364)
  16. ^ 『和漢朗詠集』帝王「刑鞭蒲朽蛍空去、諌鼓苔深鳥不驚」による。伊藤校注 (1988: 364, 436)
  17. ^ 古今和歌集』春上「遠近のたづきも知らぬ山中におぼつかなくも呼子鳥かな」による。大和田編 (1896: 193)伊藤校注 (1988: 364)
  18. ^ 杜甫「春山無伴独相求、伐木丁々山更幽」による。伊藤校注 (1988: 364)
  19. ^ 「柳緑花紅真面目」という詩は蘇東坡の詩と伝えられるが、典拠は不明である。伊藤校注 (1988: 94-95)
  20. ^ 『古今和歌集仮名序』「薪負へる山人の花の蔭に休めるがごとし」を踏まえる。伊藤校注 (1988: 365)
  21. ^ 万葉集』「棚機の五百機立てて織る布の秋さり衣たれか取り見ん」による。大和田編 (1896: 194)
  22. ^ 『古今和歌集』神遊歌「青柳をかた糸によりて鶯の縫ふてふ笠は梅の花笠」による。伊藤校注 (1988: 365)
  23. ^ 『和漢朗詠集』擣衣「八月九月正長夜、千声万声無了時」(白楽天)による。伊藤校注 (1988: 365)
  24. ^ 『説法明眼論』「宿一樹下、汲一河流……皆是先世結縁」をはじめとして諸書に見える成句。伊藤校注 (1988: 366, 34)
  25. ^ 『和漢朗詠集』仏事「願以今生世俗文字之業狂言綺語之誤、翻為当来世々讃仏乗之因転法輪之縁」(白楽天)による。伊藤校注 (1988: 366)

出典 編集

参考文献 編集

  • 天野文雄『能楽手帖』KADOKAWA角川文庫〉、2019年。ISBN 978-4-04-400060-8 
  • 伊藤正義校注『謡曲集 下』新潮社新潮日本古典集成〉、1988年。ISBN 4-10-620379-0 
  • 梅原猛観世清和 監修 著、天野文雄土屋恵一郎中沢新一松岡心平編集委員 編『能を読む② 世阿弥――神と修羅と恋』角川学芸出版、2013年。ISBN 978-4-04-653872-7 
  • 大和田建樹 編『増補 謡曲通解 全〔うち第3巻〕博文館、1896年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/876558 
  • 権藤芳一『能楽手帖』駸々堂、1979年。ISBN 4-397-50117-3