山崎 寿満子(やまざき すまこ、1850年8月9日嘉永3年7月2日) - 1927年昭和2年)2月17日)は、島津忠義側室である。

やまざき すまこ
山崎 寿満子
生誕1850年8月9日
薩摩国
死没 (1927-02-17) 1927年2月17日(76歳没)
東京府東京市芝区白金三光町
(現・東京都港区
配偶者島津忠義
子供清子、充子、常子、知子、貞子、俔子正子忠重
山崎拾

生涯編集

彼女は1850年8月9日に山崎拾の長女として誕生した[1]

彼女は後に島津忠義の側室になり、9女3男を産んだ。彼女は1923年関東大震災の際には芝白金の三光町の自宅に居た。同年の8月30日三光町の自宅に戻っていた。その後息子の島津忠重によって袖ヶ崎邸に移され、永田町の家で息子と寝たという[1]。1926年春に胃潰瘍になり、1927年2月17日午前2時芝白金の三光町の自宅で死去。[2]

生活編集

仙厳園では数十人の女中が住んでいた。そこでは、それぞれの各人の部屋が用意されており、1882年には電気が通っていた。子供たちは基本的に教育係に育てられていた。夫島津忠義は基本的に夜9時まで起きていたので子どもたちと遊んでから寝ていた。その中で、彼女はお香合わせの司会を行っている。いつ頃上京して東京に定住したのかは不明だが、夏の間は島津忠重の家で過ごしていた[3]

人物編集

物静かな性格であった。孫の鹿島晃久によるとタバコが好きであった[1]色盲の遺伝子を持っていたと思われる(2型3色覚)。[4][5] 

家族編集

孫は31人

脚注編集

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  1. ^ a b c d しらゆき. 島津出版会刊 [要ページ番号]
  2. ^ “島津寿満子刀自逝く”. (1927ー2ー18 朝日新聞) 
  3. ^ 炉辺南国記. 鹿児島史談会 [要ページ番号]
  4. ^ 『闘う皇族』. 角川書店 [要ページ番号]
  5. ^ 『しらゆき』島津出版会、1978年。