山崎直胤

山崎直胤

山崎 直胤(やまさき[1] / やまざき[2] なおたね、1852年嘉永5年5月[3]〉 - 1918年大正7年〉2月4日[4][5])は、明治期の官僚内務省初代県治局長、山梨県知事(官選第6代)、三重県知事(官選第4代)、宮内省調度局長、錦鶏間祗候。旧名・賢吾[3]

目次

経歴編集

豊前国下毛郡諫早村(現大分県中津市三光諫早)出身[2]。山崎直高の長男として生まれる[6]。明治3年6月1870年)、新政府に出仕し民部省十四等出仕となる。新設の工部省に移り、明治4年9月1871年)、造船中師に任官[3]

明治5年2月1872年)、産業技術調査のためフランスへ出張。ウィーン万国博覧会事務官も務めた[1]1875年1月に帰国。1877年1月、太政官少書記官となり、さらに同大書記官を務める[2]1882年2月、各国憲法の視察を行う伊藤博文一行に加わり欧州へ出張し、1883年8月に帰国した[1][2]

1885年6月、初代の内務省県治局長に就任[7]1887年3月、山梨県知事に転任。予算編成に当たっては県民の負担軽減に配慮を行う[2]1888年6月、三重県知事に転任。前年度と同規模の予算編成を行う[6]1889年12月、知事を非職(休職)となる[8]

1890年2月、宮内省に転じ、宮内書記官兼調査課長、兼山階宮別当に就任[9]。以後、調度局長などを務め、1897年9月に退官し錦鶏間祗候となる。

年譜編集

栄典編集

親族編集

著作編集

著書
  • 『通俗経済小話』 1897年
  • 『比国憲法釈義』 1886年 内務省総務局
訳著
  • 『近代欧洲史観 2』 セーニョボス・シャルル(著)
  • 『仏国道路記事』 墺国博覧会事務局
  • 『澳国水陸通路記事鉄道説』 澳国博覧会事務局(編) 績文社
  • 『仏国民法註釈 第1冊』 谷森真男(校) 1875年 博聞社
  • 『佛國 民法註釈 第四冊 財産篇 第二篇 財産』 1877年
  • 『租税説』 ア・チェル(著) 1877年 坂上半七
  • 『欧洲現代政治史』 山崎直三(共訳) 1911年 大日本文明協会
編訳
  • 『仏国政法掲要』 1878年 博聞社
  • 『佛國 政法掲要』(第一巻~第三巻) 1878年 博聞社

脚注編集

  1. ^ a b c 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、702頁。
  2. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』492頁。
  3. ^ a b c 「山崎直胤叙勲ノ件」
  4. ^ 『官報』第1652号、大正7年2月6日。
  5. ^ 『海を越えた日本人名事典』新訂増補、702頁では「2月2日」。
  6. ^ a b 『新編日本の歴代知事』605頁。
  7. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』92頁。
  8. ^ 『官報』第1951号、明治22年12月27日。
  9. ^ 『官報』第1987号、明治23年2月17日。
  10. ^ 『官報』第2281号「叙任及辞令」1891年2月9日。
  11. ^ 『官報』第2504号「叙任及辞令」1891年11月2日。
  12. ^ 『官報』第2858号「叙任及辞令」1893年1月11日。
  13. ^ 『官報』第2954号「叙任及辞令」1893年5月8日。
  14. ^ 『官報』第3457号「叙任及辞令」1895年1月10日。
  15. ^ 『官報』第4075号「叙任及辞令」1897年2月3日。
  16. ^ 『官報』第4142号「叙任及辞令」1897年4月27日。
  17. ^ 『官報』第4171号「叙任及辞令」1897年5月31日。
  18. ^ a b 『官報』第4265号「叙任及辞令」1897年9月17日。
  19. ^ 『官報』第54号「叙任及辞令」1883年9月1日。
  20. ^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
  21. ^ 『官報』第1993号「叙任及辞令」1890年2月24日。
  22. ^ 『官報』第3500号「叙任及辞令」1895年3月4日。
  23. ^ 『官報』第1652号「叙任及辞令」1918年2月6日。

参考文献編集

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 富田仁編『海を越えた日本人名事典』新訂増補、日外アソシエーツ、2005年。
  • 内閣「山崎直胤叙勲ノ件」大正7年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-018-00・勲00523100