山崎聖天

京都府大山崎町にある寺院

山崎聖天(やまざきしょうてん)は、京都府乙訓郡大山崎町にある真言宗単立寺院山号は妙音山。本尊十一面千手観音。正式の寺号は観音寺である。歓喜天(聖天)が祀られており、山崎聖天の通称で信仰を集めている。

観音寺

本堂
所在地 京都府乙訓郡大山崎町大山崎白味才62
位置 北緯34度53分53.4秒 東経135度40分55.5秒 / 北緯34.898167度 東経135.682083度 / 34.898167; 135.682083座標: 北緯34度53分53.4秒 東経135度40分55.5秒 / 北緯34.898167度 東経135.682083度 / 34.898167; 135.682083
山号 妙音山
宗派 真言宗単立
本尊 十一面千手観音
創建年 昌泰2年(899年
開基 宇多法皇(勅願)
中興 木食以空
別称 山崎聖天
山崎の聖天さん
法人番号 8130005006427 ウィキデータを編集
山崎聖天の位置(京都府内)
山崎聖天
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鳥居
聖天堂
庫裏

天王山の東側山腹に位置する境内にはが多く植えられており、春には多くの参拝者が訪れる。

歴史 編集

寺伝では昌泰2年(899年)に宇多法皇(寛平法皇)により勅願寺として創建されたというが、その後衰退する。

江戸時代初期に摂津国勝尾寺の僧・木食以空によって、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観音を本尊とし、再興された。

その後、歓喜天(聖天)を祀るようになると霊元天皇東山天皇中御門天皇の篤い帰依を受けたほか、商売繁盛・家運隆昌を願う住友家三井家鴻池家などを始めとする京都大坂の商人達の信仰を受けて大いに発展した。また、当寺の名称は観音寺であるが、聖天の方が有名になってしまい、「山崎の聖天」と呼ばれるようになった。

この山崎の地には西国街道山崎宿があり、東から順に観音寺、宝積寺、西観音寺(現・椎尾神社)が並び立ち、にぎやかな場所であった。

しかし、元治元年(1864年)の禁門の変の際に尊皇攘夷派の真木保臣を始めとする十七烈士らが天王山に陣地を置いたために幕府軍の攻撃に巻き込まれてしまい、事前に避難させていた本尊の十一面千手観音像と歓喜天像、土蔵を残して全焼してしまった。

1868年明治元年)6月に神仏分離廃仏毀釈によって当寺の西にあった西観音寺は廃寺になり、椎尾神社となった。そのために仏堂は処分されることになり、1880年(明治13年)に当寺に移築され本堂、聖天堂、鐘楼が再興された。

境内 編集

交通 編集

周辺 編集

外部リンク 編集