山本 久右衛門(やまもと きゅうえもん)は、天保年間に陸奥国から蝦夷地に進出した商人。「久右衛門」は3代にわたって襲名されている。

歴代編集

初代・山本久右衛門
1816年文化13年)、陸奥国田名部に生まれる。1842年天保13年)、松前藩福山へ渡り、米・味噌・塩を取り扱う商店を開く[1]
1858年安政5年)、没[1]
2代目・山本久右衛門(吉蔵)
初代の弟。1834年(天保5年)、田名部に生まれる[1]
1855年(安政2年)、子がいなかった兄の養子となり、福山へ渡る。久右衛門を襲名後は漁業に進出し、天売島焼尻島利尻島礼文島に合わせて30カ統以上の漁場を持つに至る[1]
1897年明治30年)、娘婿に家督を譲って引退。翌1898年(明治31年)に病没した[2]
3代目・山本久右衛門(渡邊辰五郎)
越後国三島郡藤川村生まれ。1883年(明治16年)、2代目・久右衛門の娘婿となる[2]
1903年(明治36年)か1904年(明治37年)に本拠地を小樽に移す。以後、海運業を中心に大きく活躍し、小樽倉庫社長を務めたほか[2]1914年(大正3年)には北日本汽船の設立に携わっている[3]
なお、札幌市厚別区厚別町山本地区は、北海道から土地の払い下げを受けた3代目・久右衛門が1909年(明治42年)に開墾を始めた地域である[4]
4代目・山本厚三(平沢厚三)
3代目の養子。衆議院議員を務めるなど多方面で活躍した。

脚注編集

参考文献編集

  • 伊藤孝博『北海道「海」の人国記』無明舎出版、2008年7月30日。ISBN 978-4-89544-478-1