山田二郎 (アナウンサー)

日本のアナウンサー

山田 二郎やまだ じろう1936年5月7日 - )は、日本のアナウンサー

やまだ じろう
山田 二郎
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市浅草区駒形町
(現・東京都台東区
生年月日 (1936-05-07) 1936年5月7日(87歳)
最終学歴 早稲田大学第一文学部
職歴 NHKTBS
活動期間 1959年 -
ジャンル スポーツ中継・歌謡番組・芸能番組
著名な家族 広沢虎造(父)
出演番組・活動
出演経歴 TBSラジオ エキサイトナイター

来歴・人物 編集

東京府東京市浅草区駒形町(後の東京都台東区)出身[1]浪曲師広沢虎造(2代目)の次男[2][3]趣味ゴルフ早稲田大学第一文学部 卒業[4]

1959年NHKにアナウンサーとして入局[5]。元々は落語家を志望しており、大学卒業後に弟子入りする師匠が決まっていたが、当時 所属していた放送研究会の仲間と試しに受けたNHKの試験に合格。師匠からも安定した職に就くことを勧められたため、アナウンサーの道へ進んだ[3]

NHK佐賀放送局で勤務の後[6]1960年3月TBSに中途[6]経験者[7]採用により移籍。報道局運動部兼ニュース部(1963年11月)、報道局運動部兼アナウンサー研修室付(1967年11月)、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道部運動部(1970年7月)、アナウンス室(1979年6月)、報道総局アナウンス部兼ラジオ総局情報制作局ラジオワイド部(1989年1月)に在籍。[6]

主にプロ野球大相撲ボウリング国際プロレスアイスホッケー等のスポーツ中継実況[6]、歌謡番組[6]、芸能番組[7]を担当。1964年 東京オリンピック[注釈 1]1972年 札幌オリンピック[6]閉会式の実況を担当。

1976年10月11日後楽園球場での巨人vs阪神 第23回戦の8回裏、巨人の王貞治選手(当時)がベーブ・ルースの記録を抜くホームラン通算715号 本塁打を放ったが、この試合のTBSラジオの中継放送を担当。715号の瞬間を実況した。

ウルトラマン』『ウルトラセブン』の戦闘シーンを再編集して格闘技番組風にアレンジした『ウルトラファイト』の実況ナレーションを担当[3][注釈 2]

1978年小林旭主演の映画『多羅尾伴内』では日本シリーズの実況アナウンサーを演じた。

映画監督の実相寺昭雄は小中学校の同級生である[3]。高校では進路が分かれ、大学も同じであったものの学部が異なる(途中までは同じ文学部。実相寺は途中で第二文学部に転籍。当時の早大文学部は1学年 1,000人を超える大所帯である)ため会うことはなかったが、TBS入社後に同社ディレクターとなっていた実相寺と再会して驚いたという[3]

TBS在局当時はラジオ番組のパーソナリティとして、歌謡曲ワイド番組『二郎で勝負 連続ヒット90分』、土曜 朝ワイド番組『山田二郎の土曜だワッショイ!』などに出演。『山田二郎の土曜だワッショイ!』で、第9回アノンシスト賞 グランダ・プレミオを受賞[6]。TBSアナウンス スクールの講師を務めていたことがある[8]

1991年2月、TBSを退社[7][6]。その後はフリーアナウンサーに転身して、広沢虎造(2代目)の浪曲関連のイベントなどを開催。司会を担当。現在は「虎造浪曲継承会 代表」で、広沢虎造(2代目)の「虎造節」を継承する活動[3]と年四回の定期公演を行っている。三波春夫歌唱の「任侠虎造ぶし」を作詞[9]した。

出演番組 編集

音楽 編集

シングル 編集

  • われら街野球のうた - 『二郎で勝負 連続ヒット90分』コーナー「われら街野球」主題歌。山田自身は作詞を担当。曲は聴収者からの応募。[6]

映画 編集

関連書籍 編集

  • ウルトラファイト番外地(唐沢なをき、角川書店、2006年) - 2006年7月、HMV渋谷で開催した ウルトラファイトの生実況イベントの様子と山田へのインタビューのルポ漫画を掲載。

注釈 編集

  1. ^ BSスペシャル『青春TVタイムトラベル』 第4回 プレイバック・東京オリンピック(NHK衛星第2テレビジョン1992年12月26日放送)で、TBSの実況中継キネコ映像と山田の実況が紹介された。
  2. ^ ナレーションの録音時にウルトラマンを当時、ロッテオリオンズに所属していたアルトマンと誤って読んでしまった事もあったという。

出典 編集

  1. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。"出身地 東京、浅草駒形"。 と記載。
  2. ^ 山田二郎プロフィール” (2005年11月2日). 2014年11月9日閲覧。 “浪曲師二代広沢虎造の次男として誕生”
  3. ^ a b c d e f 宇宙船158 2017, p. 76, 「独占インタビュー!山田二郎」
  4. ^ 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年、90頁。"出身校 早稲田大学文学部"。 と記載。
  5. ^ 山田二郎プロフィール” (2005年11月2日). 2014年11月9日閲覧。 “1959年(昭和34年)3月、NHKにアナウンサーとして入局。”
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 東京放送 編「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF)東京放送、2002年1月、13頁。"60.3<中途採用> 山田 二郎…<NHK佐賀放送局>…[63.11 報道局運動部兼ニュース部][67.11 報道局運動部兼アナウンサー研修室付][70.7 R本部アナウンス室兼TV本部報道部運動部][79.6 アナウンス室][89.1 報道総局アナウンス部兼R総局情報制作局Rワイド部][91.2 退社] 『スポーツ中継(野球、相撲、ボウリング、プロレス、アイスホッケー)、歌謡番組』 R「名調子!浪曲十八番集(72)」「二郎で勝負連続ヒット90分(75)<番組内のコーナー“われら街野球”の主題歌『われら街野球のうた』を作詞、自ら歌って、ポリドールから発売。曲は聴収者からの応募。>」「歌謡曲対抗クイズ合戦(77)」「二郎の全国野球マップ 〜ハイ! 歌謡曲〜(78)」「ベースボールジョッキー 〜二郎栄子のハイ! 歌謡曲〜(79)」「演歌一番鶏(82)」「二郎と奈保子のハイ歌謡曲(82)」「おはよう演歌鶏(86)」「夜はこれから(88)」「マンデー・ナイトベースボール(90)」 ★「山田二郎の土曜だワッショイ!(79)」<第9回アノンシスト賞 グランダ・プレミオ受賞> TV「ハッスル夫婦(1979)」「11時にあいましょう(1979)」「体力ゲーム. ドンGAMBA!(80)」「11時に歌いましょう(81)」 ☆72.2.23 札幌オリンピック 閉会式テレビ担当"。 
  7. ^ a b c d e f g 東京放送 編「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』東京放送、2002年1月、237頁。"1960.3<経験者採用> 1人入社(男1) 山田二郎[1991.2退社]『スポーツ中継、芸能』 R「名調子!浪曲十八番集(1972)」「山田二郎の土曜だワッショイ!(1979)」 TV「ハッスル夫婦(1979)」「11時にあいましょう(1979)」"。 
  8. ^ 講師陣からのメッセージ TBSアナウンススクール公式サイト(2009年当時のアーカイブ)
  9. ^ 「063-2931-4 任侠虎造ぶし」JASRAC検索結果詳細
  10. ^ TBSラジオ番組表(1975年10月~1976年3月) (PDF) ラジオ東京スピリッツ
  11. ^ TBSラジオ 1976年10月ラジオ番組表 (PDF) ラジオ東京スピリッツ
  12. ^ “ウルトラマンシリーズ初!全天球360度VR特撮作品『ウルトラマンゼロVR』『ウルトラファイトVR』が2017年10月1日(日)より全国の「VR THEATER」他にて展開決定!”. 円谷プロダクション. (2017年9月11日). http://m-78.jp/news/n-5035/ 2023年8月28日閲覧。 

参考文献 編集

  • 「TBS東京放送アナウンサーの横顔」『国内放送局ハンドブック東日本篇'81年版』三才ブックス、1981年。 
  • 東京放送 編『TBS50年史』東京放送、2002年1月。 
  • 宇宙船』vol.158(AUTUMN 2017.秋)、ホビージャパン、2017年9月30日、ISBN 978-4-7986-1548-6 

外部リンク 編集