山田徳兵衛 (吉徳第11代当主)
日本の実業家
山田 德兵衞(やまだ とくべえ、1939年7月6日[1] - 2009年4月27日)は、日本の実業家、人形問屋吉徳の第11代当主[2]。出生名は忠男[3]。
経歴
編集山田忠男は、吉德の第10代当主だった十世 山田德兵衞の三男として東京に生まれた[2]。小学生の頃から、父に仕事関係の使いなどを命じられていた[4]。
成蹊高等学校から、成蹊大学政治経済学部に進み、1962年に卒業した[5][6]。学生時代には馬術に打ち込み、東京都代表として出場した第14回国民体育大会の馬術・一般の部「自馬中障害飛越」競技で優勝し[7]、全日本の中障害でも優勝した[4]。また、東京オリンピックの候補選手に名が挙がるほどであったという[8]。
大学卒業後、貿易会社(野澤組)勤務を経て、1963年暮れに吉德に入社した[4][9]。
1965年に取締役となり、専務を経て、1975年7月に吉德代表取締役社長となった[9][10]。1984年、德兵衞を襲名し、十一世山田德兵衞となる[3]。
1986年、イギリスのチャールズ3世(当時皇太子)とともに当時の妃ダイアナが来日した際には、赤坂迎賓館で日本人形の説明役を務めた[8]。
1989年から始まった、明治神宮における「人形感謝祭」は、山田が発案したものである[8]。
2007年、社長職を長男の純一郎に譲り、吉德代表取締役会長[8]。
日本人形協会会長、東京都ひな人形卸商協同組合理事長、玩具人形健康保険組合理事長[2]、浅草法人会会長[11]などを歴任した。
おもな著書
編集- 『吉徳これくしょん 日本の人形』東京堂出版、1985年 。
- 『図説日本の人形史』東京堂出版、1991年 。
- 『語りかける人形たち』東京堂出版、2001年。ISBN 4-490-20454-X。
脚注
編集- ^ a b 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.649
- ^ a b c “山田徳兵衛 1711年創業の老舗人形店吉徳11代目店主”. 企業家人物辞典製作委員会. 2015年4月26日閲覧。
- ^ a b “吉徳の歴史”. 吉徳. 2015年4月26日閲覧。
- ^ a b c “日米親善人形:1 しにせの後を継ぐ(昭和にんげん史)”. 朝日新聞・夕刊: p. 3. (1988年8月22日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “山田 徳兵衛氏 逝去”. 成蹊会. 2015年4月26日閲覧。
- ^ “3月度月例会・親睦会のご報告”. 関西不動産三田会. 2015年4月26日閲覧。
- ^ “国民体育大会” (PDF). p. 79. 2015年4月26日閲覧。
- ^ a b c d “「人形は顔がいのち」…吉徳会長・山田徳兵衛さん 前日本人形協会会長”. 産経デジタル (2009年7月27日). 2015年4月26日閲覧。
- ^ a b 村田泰夫 (1994年1月22日). “山田徳兵衛さん 吉徳社長(編集長インタビュー)”. 朝日新聞・夕刊: p. 5 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ 1980年とする資料もある。企業家人物辞典製作委員のサイトの記述を参照。
- ^ “組織概要・エリアマップ 浅草法人会沿革”. 浅草法人会. 2015年4月26日閲覧。