山田 藤蔵 (やまだ とうぞう、生没年不詳)は、安土桃山時代武将である。山田藤三郎山田藤三とも言われる[1]

略歴 編集

越前国の武将であり、天正20年(1592年)の文禄の役では大谷吉継木村重茲太田半次、らと共に11番隊として200人を率いたとされている(実際に戦ったかは不明)[1]。また、第二次晋州城攻防戦の陣立てにも名が残る[2]。帰国時には98人となっていた。

参照 編集

  1. ^ a b 日本戦史
  2. ^ 文禄・慶長の役

参考文献 編集

  • 日本戦史-朝鮮出兵(1924年、68p)
  • 文禄・慶長の役(中野等、2008年、124p)

関連項目 編集