山田隆夫

日本のタレント、俳優、元アイドル、歌手

山田 隆夫(やまだ たかお、1956年〈昭和31年〉8月23日 - )は、日本タレント俳優歌手落語家5代目鈴々舎馬風門下でもあり、高座名は鈴々舎 鈴丸(れいれいしゃ すずまる)。2014年4月から芸名の表記を『笑点』出演時を除き「山田たかお」に改めている。血液型はA型。東京都江東区深川出身。

山田 たかお
別名義 山田 隆夫(旧芸名、笑点出演時)
生年月日 (1956-08-23) 1956年8月23日(64歳)
出生地 日本の旗 日本東京都江東区深川
血液型 A型
職業 アイドル
タレント
歌手
俳優
落語家
活動期間 1966年 -
配偶者 既婚(離婚歴あり)
事務所 山高帽
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山田 隆夫
山田 隆夫
別名 鈴々舎 鈴丸(旧名)、山田 たかお
生年月日 (1956-08-23) 1956年8月23日(64歳)
出身地 日本の旗 日本東京都江東区
師匠 5代目鈴々舎馬風
活動期間 1966年 -

来歴・人物編集

生い立ち編集

幼少期、実家が詐欺に遭い全財産を失う。それにより両親がいつも暗い顔をしていたので、山田は落語で両親を心から笑わせたいと思うようになり、これが落語に興味を持つきっかけになった[1]

10歳の時、フジテレビの『ちびっこのどじまん』でデビュー。その後複数の番組に出演し、1970年からは日本テレビの『笑点』の「ちびっ子大喜利」にレギュラー出演した[1]

ずうとるび編集

「ちびっ子大喜利」の座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューということで、1973年ずうとるびを結成し、歌手デビューを果たす。[1]ずうとるび在籍時代には歌手として、第26回NHK紅白歌合戦に出場。その後日本大学豊山高等学校を卒業する。

ずうとるび脱退編集

1977年、結婚を機にずうとるびを脱退する[1]。建前上は結婚のため脱退となっているが、実際はこの頃ずうとるびの音楽的方向性の考え方の相違から、当時は他のメンバーと険悪な状態になっており、山田自身の意思による脱退だった。

ずうとるび脱退以降は俳優に主軸を置いた活動となるが、脱退とともにずうとるびとして出演していた番組を軒並み降板する事になった。そのため仕事の数が急激に減り、当時既に所有していたマンションが主な収入源となっていた時期を経験する事となる。この時期の出演番組のひとつにNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』があり、毎週土曜日に放送されていたコーナー『どんどんどん』のお兄さんを1980年度の1年間勤めた。この間、17歳でプロボクサーのライセンス(プロボクシングC級ライセンス)を取得した[2][3]

『笑点』の「座布団運び」として編集

1984年10月7日から松崎真の後任として、『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任した。これまで座布団運びを務めてきた人は体格の良い者が多かったが、「重い座布団をちっちゃいのが運んだらおもしろいんじゃないか」という5代目三遊亭圓楽と番組プロデューサーのアイデアで、岐路に立っていた山田に白羽の矢が立った[4]。山田の色紋付は当初赤紫だったが、1年後朱色(番組ではと呼ばれる事が多い)に変わる。定紋は『剣かたばみ』。最初の挨拶の時は「座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です」というキャッチフレーズがあり、2015年の一時期は山田の挨拶がこのキャッチフレーズのみだった事がある。地方収録のときは、「山田流座布団運び家元とその一座でございます」という芝居がかった挨拶をするのが恒例となっている。

年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしていることから、回答者からしばし「今日限りで番組卒業・クビ」「あんな仕事は誰でも出来る」「山田の挨拶はつまらん」「いい加減辞めてほしい」などと馬鹿にされることが多く、これに反発して回答者を蹴り飛ばすなど荒っぽいやり方で座布団を没収する。これは、5代目三遊亭圓楽の目立たなくなりがちな座布団運びを番組に絡ませるための提案が元で始まった。山田罵倒ネタは林家こん平林家たい平師弟と6代目三遊亭円楽(楽太郎)、桂歌丸が使用することが多い。座布団の回収について5代目圓楽からは判断を一任されていたが、歌丸や昇太からは没収した枚数+1枚をあげるよう指示されることが多い。また、歌丸司会就任以降は、冒頭の挨拶の際に司会者から「○○な座布団運びのご挨拶からどうぞ」と、ほぼ毎回貶した紹介をされている。

芸歴上は歌丸、林家木久扇、6代目円楽以外のメンバーは後輩にあたるが、メンバーからは「山田君」と呼ばれている[注 1]。2010年ごろからパーマをかけた独特の髪形にしており、これも「人間の髪型じゃない」「爆発に巻き込まれた人」等とイジられることがあるほか、歌丸からは「カビの生えたような頭を直しなさい」と苦言を呈されている[5]

江戸川区在住時代は5代目圓楽から「江戸川のスター」と紹介されることが多かったが、東京都の区画整備により高圧鉄塔が立つために立退き、横浜市に引っ越した。新居落成時には、番組でメンバーのお宅訪問が行われた。山田本人はこの邸宅を「座布団御殿」と呼んでいる。

なお、笑点には座布団係に徹するために本名で出演しているが、鈴々舎馬風に入門し、落語家として「鈴々舎鈴丸」という名を持っている。入門のきっかけは笑点の座布団運びになった事で、落語での世界のしきたり・作法や立ち振る舞いなどを勉強する意味で、落語家修行を始めたものである[4]。番組内では時折「大喜利メンバー入り」の意思を宣言しており、稀に大喜利で回答することもあるため弟子入りしたとも考えられている。

1998年7月には自身が務めていた「大喜利」の座布団運びを若手[注 2]に任せることとなり休んだが、視聴者から苦情や抗議が殺到したため一ヶ月ですぐに復帰した[6]

2020年5月17日放送分以降は新型コロナウイルスの流行の影響で、番組の収録形式がリモートに変更になったため、座布団運びは一時休演することになる[注 3]。しかし視聴者から心配する声が相次いだことにより、6月14日以降は挨拶の時のみ電話音声やVTRで出演するようになり、8月23日放送の「チャリティー笑点」からスタジオ収録に復帰している。

俳優活動編集

俳優としても活動しており、多数のテレビドラマや映画に出演している。1987年にアメリカ映画『太陽の帝国』(監督スティーヴン・スピルバーグ)に出演、オーディションにより決定したがその際には「キリストのお墓が日本のお寺にあるって聞いて、実際にそのお寺に行ってお坊さんに『本当にお墓はあるの?』って聞いたら、お坊さんが言ったんです。『イエス、イエス』」とギャグ披露、合格した[7]。また、これに伴い山田は役作りのために坊主頭になっている。その時期、警察署の一日署長を務めたことがあり、その写真が笑点40周年記念本に収録されている。

この演技が認められ、『ミスター・ベースボール』に通訳の役で出演が内定。山田自身も出演を公表していたものの、後に出演が取りやめとなっため結局は実現しなかった。また、この経歴から大喜利の10枚獲得賞品における「世界の大スターに会える権」として山田が登場したことがある(1999年9月5日放送分1680回より)。内容は山田がずうとるび時代の代表曲である『みかん色の恋』を歌いながら登場しただけだったため、賞品を獲得した歌丸はガッカリしていた。

エピソード編集

  • 部員として林家こん平が監督するらくご卓球クラブに所属。世界ベテラン卓球選手権に出場して公式戦で2勝する経験を持つ[2]
  • 結婚歴は2回。元妻・吉川桂子との間に娘2人、現在の妻との間に息子1人、娘1人がいる。そのため2000年代初頭までは笑点内で「場所をわきまえずに子作り」「誰の子供だかわからない」などと子作りネタで罵倒されることが多かったほか、山田自らも「子作り名人」ということを売りにしていた[注 4]。また元妻・吉川との結婚式は、当時東京12チャンネルでMCを務めていた『対決!スーパーカークイズ』内で行われた。元妻と現在の妻は漢字は違うものの、同じ「けいこ」という名である。『笑点』公式サイト上の用語集によると、元妻が「桂子」、現妻が「恵子」と表記されている。
  • 認知症を患う母親をアパートに住まわせていたが、諸般の事情から母親の看護は姉に全て任せたため、母親が亡くなるまで山田自身は一度として見舞いに訪れなかったという。「笑点」の大喜利でたい平を突き飛ばして自らの小指の靱帯を切った際、嫌な予感がしたと思ったら、そのとき母親が危篤状態で、そのまま息を引き取ったと笑点オフィシャル本の中で語っており、「身体を休めなさい」という母親からのメッセージが、小指の靱帯を切ったという形で現れたのではないかと本人は語っている。
  • 以前立川志の輔と共にペヤングソースやきそばのCMに出演した際、まるか食品からカップ焼きそばを段ボールで1年分贈られており、そのカップ焼きそばのファンでもある六代目三遊亭円楽から分けてくれとせがまれた時期がある。
  • 「笑点」大喜利コーナーで運んでいる座布団は1枚3kg以上あり、ぎっくり腰を何度もやっている。そのため、日頃からジムで筋トレをしていると語っている[8]
  • 1985年8月12日、当時の笑点メンバー(5代目三遊亭圓楽桂歌丸林家こん平初代林家木久蔵(現・林家木久扇)三遊亭小遊三三遊亭楽太郎(現・6代目三遊亭圓楽)古今亭朝次(現・7代目桂才賀))と共に翌日の阿波踊りに参加するべく、徳島入りの予定だったが、当初予約した徳島空港行きの航空機が遅延、同空港では悪天候により条件運行となっていたため、一つ後の日本航空123便[注 5]に搭乗し、神戸から船で移動する案が浮上した。しかし、こん平が「予約した便で行こう」と提案したために予約した徳島便に搭乗し、その墜落事故を逃れることができた。同墜落事故については宿泊先のホテルへタクシーで移動中に知ったという[9]

出演編集

ドラマ編集

映画編集

広告編集

バラエティ編集

その他編集

ディスコグラフィ編集

著書編集

  • ボクに運が巡ってくる55の理由 座布団運び山田くんの法則(廣済堂出版) 2012年(平成24年)5月25日発刊(企画・構成:今村良樹)

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ ただし、昇太からは「山田さん」と呼ばれる事もしばしばある。たい平も大喜利の回答では「山田君」と呼んでいるが、それ以外や代理司会時には「山田さん」と呼んでいる。
  2. ^ この若手の中には、現司会者の春風亭昇太や大喜利メンバーとなる林家たい平も含まれていた。
  3. ^ メンバーが映されているモニターの隣に等身大写真パネルが設置され、CGアニメーションで山田が座布団を運ぶ演出が導入された。
  4. ^ 笑点のオープニングアニメーションでも、多くの子供に囲まれたイラストが使用されることがある(2019年現在では『笑点 特大号』のOPが該当)。
  5. ^ その123便では数名の広告代理店社員が搭乗した。

出典編集

  1. ^ a b c d ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』90ページ
  2. ^ a b 幸せと座布団を運び続けて31年!笑点・山田クンが語る「継続する先に見えるもの」 リクナビNEXTジャーナル プロのシゴト観 2015年11月20日
  3. ^ 山田 たかお profile 株式会社フジプランニング
  4. ^ a b ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』91ページ
  5. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』25ページ
  6. ^ ぴあMOOK『笑点五〇年史 1966-2016』92ページ
  7. ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 3』講談社、2003年。
  8. ^ 2014年5月16日付日本経済新聞 文化面「座布団と積み重ねた幸せ」
  9. ^ 山田隆夫. ボクに運が巡ってくる55の理由. 廣済堂出版 

関連項目編集

外部リンク編集

先代:
松崎真
1971年7月〜1984年9月
笑点」座布団運び
6代目
1984年10月〜 
次代:
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