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山県 勝久(やまがた かつひさ)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武士毛利氏の家臣で長州藩士。

 
山県勝久
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 不明
死没 不明
改名 喜三郎→山県勝久
別名 通称:仁右衛門、太郎兵衛
主君 毛利輝元秀就
長州藩
氏族 安芸山県氏
おあや
就次

生涯編集

系譜や生年等は不明であるが、安芸国国人山県氏の出身とされ、毛利氏に仕えた。

慶長元年(1596年)、嫡男・就次が生まれ、勝久の死後にその後を継いだ。

また、勝久の室・おあやは、毛利秀就の幼年時代に傅役を務め、寛永2年(1625年8月13日長門国大津郡日置村の内に14石を与えられている[1]

脚注編集

  1. ^ なお、この時の御配所付立に判をしたのは、益田元祥清水景治志道元兼

出典編集