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地図

山鹿貝塚(やまがかいづか[1])は福岡県遠賀郡芦屋町山鹿字狩尾にある縄文時代早期から晩期にかけての貝塚。福岡県の県指定史跡[2]

概要編集

山鹿貝塚で縄文人が活動していたのは、縄文早期から晩期にかけての約6000年間だったことが発掘された縄文土器の分析から判明している。縄文人の埋葬人骨が18体出土しており、葬られた時期はいずれもおよそ3500年前と推定されている。これらの埋葬人骨が貝輪骨角器勾玉といった装身具を伴う頻度は、他遺跡の縄文人と比べて極めて高いものであり、縄文時代のアクセサリーの付け方と性との関係を考えるうえで重要な遺跡である[3]。また埋葬人骨の胸骨の一部等が意図的に抜き取られており、何らかの呪術的意味があったと考えられている[4]

福岡県内における縄文貝塚の分布は、遠賀川流域の中流~河口付近に集中しており[5]、本遺跡も同様である。

出土物・出土人骨編集

縄文時代中後期の西日本で多く見られる磨滑縄文土器が多く出土している。

本遺跡で特に注目すべきは、サメの歯のイヤリング2個、緑色大珠1個、貝(タマキガイ)の腕輪19個を付け、鹿角2本を添えて葬られた女性人骨である。発掘の報告者は、大珠を持った女性は呪術師兼女族長であったとしている。他の女性も全員貝の腕輪をはめ、耳飾り、足飾りをつけている人もいた[6]。縄文人の女性が装身具を多数身に着けて埋葬された事例は全国でも数少なく、これらの北部九州における縄文時代からの風習が、後の宗像大社の信仰と関連すると想定する研究者もいる[7]

出典編集

  1. ^ 山鹿貝塚(やまがかいづか)”. コトバンク. 2019年9月19日閲覧。
  2. ^ 山鹿貝塚|ご来福スポット|「ご来福」しよう” (日本語). 「ご来福」しよう. 2019年9月19日閲覧。
  3. ^ 芦屋の歴史① 化石の時代~古墳時代 - 芦屋町”. www.town.ashiya.lg.jp. 2019年9月18日閲覧。
  4. ^ 山鹿貝塚” (日本語). www.f-chousonkai.gr.jp. 2019年9月18日閲覧。
  5. ^ 直方の歴史を知る|直方市バーチャルミュージアム”. nogata-virtualmuseum.jp. 2019年9月18日閲覧。
  6. ^ 芦屋の歴史① 化石の時代~古墳時代 - 芦屋町”. www.town.ashiya.lg.jp. 2019年9月18日閲覧。
  7. ^ 福嶋 真貴子 (2016). “「神宿る島」沖ノ島と宗像三女神信仰”. 季刊邪馬台国 132: 65-76. 

関連項目編集