岡山県立津山中学校・高等学校

岡山県津山市にある中高一貫校

岡山県立津山中学校・高等学校(おかやまけんりつ つやまちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、岡山県津山市椿高下に所在する公立中学校高等学校。併設型中高一貫校。略称は「津高(つこう)」。

岡山県立津山中学校・高等学校
岡山県立津山高等学校
地図北緯35度4分3秒 東経134度0分4秒 / 北緯35.06750度 東経134.00111度 / 35.06750; 134.00111座標: 北緯35度4分3秒 東経134度0分4秒 / 北緯35.06750度 東経134.00111度 / 35.06750; 134.00111
過去の名称 (旧制中学校)
岡山県津山尋常中学校
岡山県津山中学校
岡山県立津山高等学校
(高等女学校)
岡山県津山高等女学校
岡山県立津山女子高等学校
(新制高等学校)
岡山県立成美高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岡山県の旗 岡山県
併合学校 岡山県立津山高等学校
岡山県立津山女子高等学校
校訓 畏天敬人
設立年月日 1895年
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
理数科
学期 3学期制
学校コード C133210000483 ウィキデータを編集(中学校)
D133210000150 ウィキデータを編集(高等学校)
高校コード 33117B
中学校コード 330232[1]
所在地 708-0051
岡山県津山市椿高下62番地
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示
岡山県立津山中学校・高等学校の位置(岡山県内)
岡山県立津山中学校・高等学校

概要 編集

  • 長く修学旅行を行わない高校だったが、100周年を記念して1995年に復活した。
  • 旧制津山中学校時代には「白帯津中」の名で柔道部が全国優勝7回(1923年(大正12年) - 1936年(昭和11年))を数えたことでも知られる。

設置学科 編集

全日制の課程
  • 普通科
  • 理数科(理数に関する学科)

沿革 編集

前史 編集

  • 1872年(明治5年)9月 - 北条県により成器中学校開校、1年弱で廃校[2]
  • 1878年(明治11年)2月 - 県立の津山変則中学開校、津山中学校と改称後、明治13年、廃校[2]
  • 1881年(明治14年)8月 - 六郡共立中学設置、明治15年廃校[2]
  • 1892年(明治25年)10月 - 私立津山普通学校開校。教師でもあった現津山市出身で、正岡子規が『筆まかせ』で「親友」と呼んだ大谷藤治郎(号は是空)が津山尋常中学校設立に奔走したとされる[2]

旧制中学校 編集

  • 1895年(明治28年)3月 - 岡山県津山尋常中学校設置認可。
9月20日開校、初代校長は子規が「厳友」と呼んだ菊池謙二郎(号は仙湖)で、是空がその招聘に大きく関与したとされる[2]
  • 1899年(明治32年)4月 - 岡山県津山中学校と改称。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により岡山県立津山高等学校となる。

高等女学校 編集

  • 1902年(明治35年)5月 - 岡山県津山高等女学校設置認可。
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により岡山県立津山女子高等学校となる。

新制高等学校 編集

  • 1949年(昭和24年)8月 - 岡山県立津山高等学校及び岡山県立津山女子高等学校が統合し岡山県立成美高等学校となる。男女共学。
  • 1953年(昭和28年)4月 - 岡山県立津山高等学校と改称。[3]
  • 1995年(平成7年)
    • 4月 - 理数科を設置。
    • 9月 - 創立100周年記念式典挙行。
  • 2012年(平成24年)4月 - スーパーサイエンスハイスクール (SSH) に指定。
  • 2015年(平成27年)4月 - 併設校として岡山県立津山中学校が開校[4]

中高一貫校の開校 編集

2013年12月24日岡山県教育委員会は、2015年度から津山高校を中高一貫校とすることを発表した(岡山県北では初、岡山県内では4校目の中高一貫校開校となる)。新設中学校は全県学区とし、中学の校舎は同高の施設を活用する。また、中学校入学時には入学者選抜を行うが、高校に内部進学する際の入試は免除される。

校訓 編集

  • 畏天敬人(いてんけいじん)
    1933年(昭和8年)に寄贈され旧本館に掲示されている「畏天場」という扁額(天保12年に篠崎小竹が揮毫、津山藩士の井汲唯一が自宅の剣術道場に掛けていた)に由来し、1995年に創立100周年を記念して制定された。

学園祭 編集

  • 十六夜祭(いざよいさい)
    校地内に所在する十六夜山(十六夜山古墳)に由来する。

著名な出身者(旧制を含む) 編集

政治家・軍人 編集

学者 編集

  • 可児藤吉(世界的生態学者。京都帝国大学で研究中、徴兵にてサイパンにて戦死。現在の生態学は可児の業績なくして考えられない)

実業家・銀行家 編集

芸能・文化人 編集

スポーツ 編集

法曹 編集

旧教職員(旧制を含む) 編集

  • 奥太一郎、菊池謙二郎の下、旧制津山尋常中学校の教頭兼舎監、後、菊池が夏目漱石に推薦し、第五高等学校教授となる。
  • 菊池謙二郎、旧制津山尋常中学校初代校長、後に第二高等学校校長等、漱石の友人、衆議院議員、水戸学
  • 田岡嶺雲、旧制津山尋常中学校教諭、明治時代の評論家、中国文学者、菊池が招聘したとされる[2]

アクセス 編集

校地周辺 編集

  • 旧本館
    1900年(明治33年)落成。平成7年12月26日に国指定重要文化財
    県内に現存する最も古い学校建築の一つであり、県内旧制中学校本館の建築で明治期の現存は県内唯一。当時の学校建築の趣をよく残すことから、NHKの連続テレビ小説「あぐり」で、第一岡山高等女学校のシーンの撮影に使用された。NHKの連続テレビ小説「カーネーション」では、小原糸子が通う泉州高等女学校のシーンの撮影に使用された。1903年(明治36年)に皇太子(のちの大正天皇)の津山行啓があった際には、同館2階右翼を貴賓室とし、休息された(『津山高校百年史』より)。昭和天皇も津山に行幸(2度)の折、立ち寄ったことでも知られる。
  • 十六夜山古墳
    校地内に現存する。
    十六夜山古墳は5世紀後半から6世紀後半における美作地方最大の前方後円墳(全長60m、現在は後円部の一部のみ現存)で二重の周濠をもった(『津山高校百年史』)ことが1993年から1994年の2回にわたる岡山県古代吉備文化財センターの調査によって明らかとなった。

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集