岡崎市竜美丘会館(おかざきし たつみがおかかいかん)は、愛知県岡崎市東明大寺町にある公共の文化施設。

岡崎市竜美丘会館
岡崎市竜美丘会館
情報
用途 ホール、集会室
設計者 株式会社石本建築事務所名古屋出張所[1]
施工 小原建設株式会社(主体工事)
管理運営 岡崎パブリックサービス・サンエイ共同事業体
構造形式 鉄筋コンクリート構造
敷地面積 4,907 m²
建築面積 2,609 m²
階数 2階(ホール)
5階(本館)
着工 1979年昭和54年)3月
竣工 1980年(昭和55年)3月1日
開館開所 1980年(昭和55年)3月1日
所在地 444-0863
愛知県岡崎市東明大寺町5番地1
座標 北緯34度56分49.78秒 東経137度10分35.97秒 / 北緯34.9471611度 東経137.1766583度 / 34.9471611; 137.1766583 (岡崎市竜美丘会館)座標: 北緯34度56分49.78秒 東経137度10分35.97秒 / 北緯34.9471611度 東経137.1766583度 / 34.9471611; 137.1766583 (岡崎市竜美丘会館)
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ホール棟。1日2回鳴っていた塔の鐘は近隣住民の要望により、1990年以降止められた[2]
レストラン・ローレライ

沿革・概要 編集

1978年昭和53年)、ユネスコは翌年に国際児童年を宣言すると発表。これに伴い、岡崎市は国際児童年記念事業として、明大寺町北中平地(現在の東明大寺町)に総合文化施設を建設することを決定した。同年、マキタ元会長の後藤十次郎は事業費として1億円を市に寄付(後藤は同年に死去)[3][4]

北側の乙川が蛇行する景色から、ドイツの「ローレライ」を流れるライン川に見立てて、随所に西洋の建築様式が取り入れられた[2]。竜美丘会館はホール棟と本館棟の2つの建物に分かれる。1979年(昭和54年)3月末にホール棟の工事が着工した[3]。ホール棟の総事業費は6億4,000万円。そのうち1億円は後藤の寄付で、200万円は社会福祉法人米山寮の創設者の米山起努子の寄付でまかなわれた[1]

1980年(昭和55年)3月1日、ホール棟が完工、オープン[5]。高さ20メートルほどの塔も建てられた。塔上部には鐘があり、外壁南側と北側の2カ所に設置された時計の針に連動して鳴る仕組みになっていた[2]

1982年(昭和57年)4月23日、本館棟がオープン。本館棟の総事業費は約8億6,000万円[6]乙川の川沿いの道と車道(竜美丘会館通り)に高低差があるため、車道から入った階がすなわち2階である。

塔の鐘は1日に2回、朝晩に鳴っていたが、1990年代に入ると、近隣住民からの要望で止められた。2009年(平成21年)のホール棟の改装時に塔の時計の針と文字盤が外されたため、現在は音の鳴らない鐘が形だけ残っている[2]

一般社団法人岡崎パブリックサービスとサンエイ株式会社の共同事業体が、指定管理者として管理運営にあたっている。

利用時間は9:00~21:30(準備・片付けを含めた利用時間は、8:30~22:30)。休館日は12月29日から1月3日まで。

施設の案内 編集

ホール 編集

区分 備考
2F ホール 2階固定椅子:188席
1F 1階移動椅子:820席

本館 編集

区分 備考
5F 501号室(85名) 502号室(20名) 503号室(12名)
4F 末広の間(108名) 福寿の間(10名) 蓬菜の間 (6名)
3F 301号室(72名) 302号室 (30名) 303号室(30名)
2F レストラン・ローレライ(100名) 営業時間は9:30~17:30
1F 駐車場 約180台

アクセス 編集

脚注 編集

  1. ^ a b 『東海愛知新聞』1980年2月21日、1面、「三月一日にオープン 岡崎市竜美丘会館ホール完成」。
  2. ^ a b c d 服部壮馬 (2022年10月10日). “<MIKAWAサーチ> 岡崎市竜美丘会館の鐘 今は鳴らないシンボル”. 中日新聞. 2022年10月10日閲覧。
  3. ^ a b 東海愛知新聞』1980年1月1日。
  4. ^ ものづくり中部の革新者たち Ⅱ 後藤十次郎” (PDF). 中部産業遺産研究会. 2021年12月30日閲覧。
  5. ^ 市政だより おかざき No.418” (PDF). 岡崎市役所. p. 16 (1980年2月15日). 2020年3月5日閲覧。
  6. ^ 『東海愛知新聞』1982年4月20日、1面、「『国際会議場』や和室 岡崎市の竜美丘会館 本館、23日オープン」。

関連項目 編集

外部リンク 編集