岡崎 真一(眞一[1]、おかざき しんいち、1907年(明治40年)5月4日[2] - 1971年(昭和46年)1月20日)は、昭和期の実業家政治家岡崎財閥の2代目総帥岡崎忠雄の長男。義父に大谷尊由

来歴・人物

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兵庫県出身。慶應義塾幼稚舎慶應義塾普通部慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学経済学部1932年(昭和7年)に卒業し鐘紡岡崎汽船を経て、神戸海上運送火災保険に入社した。同社取締役を歴任して、昭和19年(1944年)3月、戦時経済・金融統制の下、横浜火災海上保険、共同火災海上保険、朝日海上火災保険(楽天損害保険との旧社名と同じだが無関係)と4社が合併して誕生した、同和火災海上保険の新社長に就任した。

戦後は、東京衡機製造所、日豊海運など岡崎家系列の企業の社長や、日本航空日本テレビ東洋パルプなどの取締役、1955年(昭和30年)から1964年(昭和39年)に掛けて神戸商工会議所会頭を務めたのに加え、日本商工会議所副会頭も歴任した。

また政界にも進出し、1950年(昭和25年)1月の第1回参議院議員補欠選挙で兵庫選挙区から初当選、以降1965年(昭和40年)まで3期務め、参議院大蔵委員長なども務めている。1971年(昭和46年)1月20日死去、64歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙されるに叙される[1]

脚注

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  1. ^ a b 『官報』第13224号14頁 昭和46年1月22日号
  2. ^ 『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、173頁。

参考文献

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  • 『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、1957年。
議会
先代
井上清一
  参議院外務委員長
1962年 - 1963年
次代
黒川武雄
先代
青木一男
  参議院大蔵委員長
1950年 - 1956年
次代
廣瀬久忠