岡村泰孝
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岡村 泰孝(おかむら やすたか、1929年6月13日 - 2011年12月22日)は、大阪市生まれの戦後第17代検事総長。弁護士。位階は正三位。
正三位勲一等 岡村泰孝 | |
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検事総長 | |
任期 1992年5月27日 – 1993年12月12日 | |
任命者 | 宮澤内閣 |
前任者 | 筧栄一 |
後任者 | 吉永祐介 |
個人情報 | |
生誕 | 1929年6月13日 大阪府 |
死没 | 2011年12月22日(82歳没) |
出身校 | 京都大学法学部 |
専業 | 弁護士 |
略歴
編集- 住吉中学、旧制大阪高校卒業。
- 1953年4月
- 1968年 司法研修所教官。
- 1980年6月 東京地方検察庁特別捜査部に就任。
- 1981年12月 那覇地方検察庁検事正に就任。
- 1983年 公安調査庁次長に就任。
- 1984年11月 法務大臣官房長に就任。
- 1985年12月 法務省刑事局長に就任。
- 1988年6月 法務事務次官に就任。
- 1990年6月 次長検事に就任。
- 1991年12月 東京高等検察庁検事長に就任。
- 1992年5月 筧榮一の後任として、検事総長に就任。
- 1993年12月 退官。後任は吉永祐介
- 1994年2月 弁護士登録。第一東京弁護士会所属
- 1997年
- 2001年11月3日 叙勲一等授瑞宝章[1]。
- 2003年6月 三井物産社外監査役に就任。
- 2011年12月22日、大動脈瘤破裂のため死去[2]。82歳没。叙正三位
人物
編集- 法務省刑事局長在任中
- 1987年5月10日、帝銀事件で死刑が確定していた平沢貞通が執行されずに病死したことに関して記者会見を開き、「死刑の裁判確定後、32年経過したが、その間、17回に及ぶ再審請求と5回にわたる恩赦の出願がなされたこともあって、諸般の事情を検討しつつ今日に至った」との談話を発表した[3]。
- 検事総長在任中
担当事件
編集- 東京地検特捜部長在任中
- 検事総長在任中