岡義武
日本の政治学者
岡 義武(おか よしたけ、1902年10月21日[1] - 1990年10月5日[1])は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門は、政治史、日本政治史。
人物情報 | |
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生誕 |
1902年10月21日![]() |
死没 | 1990年10月5日 (87歳没) |
出身校 | 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 政治史・近代史 |
研究機関 | 東京大学 |
経歴
編集- 出生から修学期
1902年、東京市麹町で生まれた[1]。父は大阪毎日新聞社副社長・会長、農商務省商工局長(兼・臨時産業調査局第3・第4部長)を務めた岡實。
旧制府立一中、第一高等学校文科乙類を経て東京帝国大学に入学。法学部で小野塚喜平次の教えを受けた。1926年東京帝国大学法学部政治学科を卒業[2]。内務省に進み労働政策・社会政策を担当することも考えたが、実務家を目指すことには躊躇があったことから、卒業と同時に小野塚の推薦を受けて法学部助手に採用された。
- 政治学研究者として(戦前)
同期採用の矢部貞治が政治学講座の助手として採用されたことから自身も政治史研究に転じ、助手時代は吉野作造に師事。1928年、同大学法学部助教授に任官[3]。1939年に教授昇格[4]。吉野作造が担当していた政治史講座を継承し、1935年より従来設けられていたヨーロッパ政治史の講座に加え、日本政治史の講義をはじめて設けた。1936年から2年間欧州留学を命じられ、欧州各地を歴訪。当時の日記は『岡義武ロンドン日記』として刊行されている。
- 太平洋戦争後
戦後も東京大学教授を務め、1955年から1957年までは法学部長を務めた。1949年の学習院大学の文政学部政治学科設置に協力し、1950年から1955年まで同教授を兼任した。1963年に東京大学を定年退職し、東京大学名誉教授となった。学界では、1972年に日本学士院会員に選出された[5]。1990年に死去。
受賞・栄典
編集研究内容・業績
編集家族・親族
編集著作
編集著書
編集- 『近代日本の政治家:その運命と性格』文藝春秋新社 1960
- 『黎明期の明治日本:日英交渉史の視角において』未來社 1964
- 『日本近代史大系(5) 転換期の大正 1914-1924』東京大学出版会 1969
- 『近衛文麿:「運命」の政治家』岩波新書 1972
- 復刊 2008年
- 選書化 岩波書店(評伝選) 1994
- 英訳版:Konoe Fumimaro: A Political Biography, translated by Shumpei Okamoto and Patricia Murray, (University of Tokyo Press, 1983)
- 『岡義武ロンドン日記:1936-1937』三谷太一郎・篠原一編、岩波書店 1997
- 『明治政治史』岩波文庫 2019[11]
- 『転換期の大正』岩波文庫 2019[12]
著作集
編集- 『岡義武著作集』(全8冊) 岩波書店 1992-1993
- 再版 岩波書店 2001-2002
共編著
編集訳書
編集- 『革命の解剖』クレーン・ブリントン著、篠原一共訳、岩波書店(岩波現代叢書) 1952
脚注
編集- ^ a b c 日本歴史学会 1999
- ^ 『官報』第4111号、大正15年5月10日、p.235
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和5年度』東京帝国大学、1930年、392頁。
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和15年度』東京帝国大学、1941年3月、p.426
- ^ 日本学士院(物故会員)
- ^ 『軽井沢Vignette』Vol.124、2019年、p.33
- ^ 本書の続編は著作集に収録。
- ^ 処女論文「環境に関聯して観たる十九世紀末独逸の民主主義運動」も収録
- ^ 文庫化にあたり解説を空井護が担当。
- ^ 松浦正孝の解説が付く。
- ^ 文庫解説は前田亮介・伏見岳人。
- ^ 五百籏頭薫の解説が付く。
参考文献
編集- 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、75-76頁。