岩切 善信(いわきり よしのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将島津氏の家臣。

 
岩切善信
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
改名 善信→可春(法名)
別名 通称:新助
戒名 心月聚仙庵主
官位 三河
主君 島津忠良義弘
氏族 岩切氏
父母 岩切信朗
信房相良長継室、肝付兼篤
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古代より日向国に続く有力豪族日下部氏の末裔と言われる岩切氏の生まれであり、父・岩切左京亮信朗から兵術を学び、弘治3年(1557年)には島津忠良に仕えて大隅国蒲生範清攻めに従軍する。後の日向の伊東氏攻めでは軍功をあげ、天正4年(1576年)からは松齡公(島津義弘)に仕え、同9年(1581年)の水俣城攻めでは義弘の役者(神事仏事に携わる者)を務めた。天正14年(1586年)には豊後国大友氏攻めに従軍し、慶長4年(1599年)の庄内の乱の際には、凱歌を唱えたと伝えられている。年度不明ながら8月7日に没した。

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