岩崎正視
日本の実業家
岩崎 正視(いわさき まさみ、1925年12月27日 - 2019年3月1日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。学校法人名城大学名誉顧問。
いわさき まさみ 岩崎 正視 | |
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生誕 |
1925年12月27日 静岡県 |
死没 | 2019年3月1日(93歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 神戸経済大学(現神戸大学)卒業 |
職業 | 実業家 |
子供 | 岩崎正(長男) |
トヨタ自動車工業株式会社常務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、株式会社名古屋グランパスエイト社長(第2代)、社団法人日本自動車工業会会長(第7代)、学校法人名城大学理事長(第13代)などを歴任した。
来歴
編集生い立ち
編集静岡県出身[1]。1948年神戸経済大学(現神戸大学)卒業[2]、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。
実業家にて
編集1973年取締役に昇格。1979年常務取締役。1982年専務取締役。1986年取締役副社長。1992年取締役副会長[3][4]。
1995年には豊田達郎社長が病気のため不在となるなかで、日本自動車工業会会長に就任し、豊田章一郎トヨタ自動車会長とともに日米自動車交渉にあたった[5]。1995年日本自動車研究所理事長[6]、国民生活審議会委員[7]、貿易会議議員[8]。1996年トヨタ自動車相談役に退き[9]、勲二等旭日重光章受章[4]。1999年学校法人名城大学理事長[9]。2001年トヨタ自動車顧問[3]。2006年学校法人名城大学名誉顧問[3]。
第2代名古屋グランパスエイト社長[10]、愛知県経営者協会会長[11]、日本自動車会議所副会長[12]、東海銀行監査役なども務めた[13]。2019年3月1日、老衰のため死去。93歳没[14]。
家族・親族
編集略歴
編集栄典
編集脚注
編集- ^ 「岩崎正視氏死去 元トヨタ自動車副会長」山陽新聞2019年03月07日
- ^ 新入生4687人迎える 平成18年度入学式神戸大学ニュースネット出稿日:2006年4月6日
- ^ a b c d e f g 「岩崎正視氏が逝去、元トヨタ自動車副会長 NEXT MOBILITY編集部」2019年3月7日【自動車・販売】
- ^ a b c “歴代の会長・副会長・社長(含 受章歴)”. トヨタ自動車. 2018年9月21日閲覧。
- ^ その日、三菱自動車の社長は来なかった「抜擢人事」の後に起きた裏面史を綴る東洋経済オンライン2014/12/31 6:00
- ^ 一般財団法人日本自動車研究所創立50周年記念誌 協創一般財団法人日本自動車研究所
- ^ 官報平成7年本紙第1569号 8頁
- ^ 官報平成7年本紙第1739号 14頁
- ^ a b c d 「名城大理事長に岩崎正視さん」1999年11月25日付中日新聞
- ^ 長い歴史とトヨタの先見をバックに花開いたピクシーと仲間たち。次は世界のビッグクラブへ賀川サッカーライブラリー
- ^ “愛知経協の概要”. 愛知県経営者協会. 2018年9月21日閲覧。
- ^ “歴代会長”. 一般社団法人日本自動車会議所. 2018年9月21日閲覧。
- ^ “UFJグループディスクロージャー誌2001(抜粋)” (PDF). 三菱UFJフィナンシャル・グループ. 2018年9月21日閲覧。
- ^ “岩崎正視氏が死去 元トヨタ自動車副会長”. 日本経済新聞社. (2019年3月7日) 2019年3月8日閲覧。
学職 | ||
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先代 佐伯進 |
名城大学理事長 第13代:2000年 - 2005年 |
次代 大橋正昭 |
ビジネス | ||
先代 豊田章一郎 |
名古屋グランパスエイト社長 第2代:1994年 - 2000年 |
次代 加藤東洋 |
先代 新設 |
トヨタファイナンス社長 初代:1988年 - 1995年 |
次代 藤田勝基 |
非営利団体 | ||
先代 久米豊 |
日本自動車研究所理事長 第5代:1995年 - 2000年 |
次代 奥田碩 |
先代 豊田達郎 |
日本自動車工業会会長 第7代:1995年 - 1996年 |
次代 辻義文 |
先代 竹見淳一 |
愛知県経営者協会会長 第10代:1993年 - 1997年 |
次代 冨田寛治 |
先代 辻源太郎 |
豊田法人会会長 第3代:1990年 - 1995年 |
次代 奥田碩 |