岩崎泰之

日本のサッカー選手

岩崎 泰之(いわさき やすゆき、1971年4月9日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー

岩崎 泰之
名前
カタカナ イワサキ ヤスユキ
ラテン文字 IWASAKI Yasuyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1971-04-09) 1971年4月9日(53歳)
出身地 静岡県
身長 182cm[1]
体重 75kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
清水第五中学校[2]
清水商業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1993 日本の旗 ヤマハ
1994-1995 日本の旗 ジュビロ磐田 2 (0)
1997 日本の旗 本田技研
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

静岡県清水市の出身で、藤田俊哉とは小学生時代からのチームメイト[3]清水商業高校では1学年上に三浦文丈、同期に藤田、1学年下に名波浩山田隆裕らがいる[2]。2年時の1988年には静岡県選抜に選出され国体少年男子で優勝[4]。冬の高校選手権では優勝し優秀選手に選出、日本高校選抜の海外遠征メンバーにも選ばれた[4]。3年時には高校総体全日本ユースの二冠を達成したが[4]、高校選手権は静岡県予選準決勝で相馬直樹を擁する清水東高校にPK戦の末に敗れた[5]

高校卒業後の1990年に日本サッカーリーグ1部のヤマハ発動機サッカー部に加入。2年目の1991-92シーズンに出場機会を得ると、1991年9月15日に行われたJSL1部第1節の全日空戦でデビュー[6]。11月17日に行われた第9節の日立製作所戦で初得点を決めるなど、リーグ戦13試合に出場し1得点を記録した[6]

日本プロサッカーリーグ昇格を果たし、ジュビロ磐田と改称した後もチームに在籍したが、股関節の怪我により1年8か月の間、戦列を離れる結果となった[3]。復帰後の1995年6月24日に行われたサントリーシリーズ第19節のベルマーレ平塚戦でリーグ戦初出場を果たし[7]、同年にリーグ戦2試合に出場した[1]

1996年にジャパンフットボールリーグ本田技研に移籍し、1997年まで在籍した[8][9]

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1990-91 ヤマハ 20 JSL1部 0 0 0 0 0 0 0 0
1991-92 13 1 0 0 1註1 0 14 1
1992 旧JFL - 1註2 0
1993 6 0 2 0
1994 磐田 - J 0 0 0 0
1995 2 0 -
1996 本田 旧JFL -
1997 17
通算 日本 J 2 0 0 0
日本 JSL1部 13 1 0 0 1 0 14 1
日本 旧JFL 2 0
総通算
註1 1回戦の大阪体育大学戦のメンバーについては不明。
註2 1回戦の東邦チタニウム戦のメンバーについては不明。

その他の公式戦

脚注 編集

  1. ^ a b c 岩崎 泰之”. J.League Data Site. 2020年12月6日閲覧。
  2. ^ a b 「昭和63年度第67回全国高校選手権大会ガイド」『サッカーマガジン』 1988年2月号付録、ベースボール・マガジン社、39頁。 
  3. ^ a b 岩崎 泰之 選手”. 磐田市商店会連盟青年部 (1995年9月). 2001年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月6日閲覧。
  4. ^ a b c 全国高等学校体育連盟サッカー専門部 編『高校サッカー100年』講談社、2019年、180-183・270-271頁頁。ISBN 978-4-06-220356-2 
  5. ^ 『王国が紡ぐ「黄金の歴史」静岡の高校サッカー』ベースボール・マガジン社、2008年、79頁。ISBN 978-4-583-61581-3 
  6. ^ a b 「日本サッカーリーグ全史」編集委員会編『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、55・62・77頁頁。 
  7. ^ ’95Jリーグサントリーシリーズ 第19節第1日”. J.League Data Site. 2020年12月6日閲覧。
  8. ^ 1996年 選手一覧”. Honda FC. 2020年12月6日閲覧。
  9. ^ 1997年 選手一覧”. Honda FC. 2020年12月6日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集