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岩本 勉(いわもと つとむ、1971年5月11日 - )は、大阪府八尾市出身(選手名鑑によっては阪南市との記述もある)の元プロ野球選手投手、右投右打)、野球解説者野球評論家タレント。現役引退後はホリプロ所属。愛称は「ガンちゃん」。

岩本 勉
Tsutomu Iwamoto.JPG
ファイターズOBとして登場
(2013年9月3日、東京ドームにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府八尾市
生年月日 (1971-05-11) 1971年5月11日(48歳)
身長
体重
182 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト2位
初出場 1991年8月20日
最終出場 2005年9月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

在日韓国人二世の両親の間に生まれる。母は日本へ帰化していたため自身も日本国籍だったが、岩本という姓は通名で、姉と弟とともに母の姓である大山が本名であった[1][2]。1995年、父が日本国籍を取得した際に一家で岩本姓となった[2]。弟は、10か月年下で同学年である[3]

阪南大学高等学校から1989年のドラフト2位で日本ハムファイターズに入団。契約金は5,000万円、年俸は480万円(金額は推定)。

現役時代編集

1991年(2年目)にプロ初登板を果たすと、5試合に登板したが無勝利に終わった。

1992年イップスを発症(二軍でのバントフォーメーション練習時の、調整中の内野手の度重なる舌打ちが原因で投手陣全体に制球難が蔓延まんえんし、岩本が特にイップスになるほどの重症であったという[4])。投球が出来なくなり、2年ぶりに一軍登板無しに終わった。

1993年(4年目)は1年間室内練習場の片隅で1日1000球のネットスローや、後輩の内野手荒井昭吾に投球を打ってもらうなど、投げる感覚を取り戻すことに専念、シーズン終盤のイースタンリーグ千葉ロッテマリーンズ戦で実戦復帰を果たす(奇しくも内野フライとなった実戦復帰後最初の打者の打球を捕球したのは、イップス克服に協力した荒井であった[5])。一軍登板はこのシーズンもなく、整理選手候補にも挙がったが、大沢啓二監督の要望で戦力外を免れる。秋季キャンプで、岩本が守備練習の送球は普通に投げられることに気付いた高橋一三コーチのアドバイスにより、その動きを取り入れるためにサイドスローに転向[6]

1994年には、シーズンを通じてサイドスローを貫き、イースタンリーグで月間MVP獲得、3年ぶりに一軍登板を果たす。勝ち星こそ無かったが9試合に登板する。同年のウィンターリーグではストッパーとして活躍した[6]

1995年はこの年から一軍投手コーチに就任した大石清のアドバイスをきっかけにスリークォーターにフォームが変わる[6]。7月14日の対西武ライオンズ戦で待望のプロ初勝利を挙げると、この年中盤戦までロングリリーフとして結果を残しそれ以降は先発ローテーションに定着。5勝7敗の成績ではあったが、防御率3.07と安定感があり、初めて規定投球回に到達した。

1996年、開幕戦が雨で2日流れたこともあり、結果的にではあるが初の開幕投手を務めた。この年は前年より安定感を欠いたものの初の2桁勝利となる10勝を記録した。

1997年、開幕から不調が続き途中リリーフに回るも持ち直し、先発に復帰したが規定投球回には届かなかった。27試合の登板で、7勝6敗3セーブ、防御率4.74に終わった。

1998年は開幕直前に開幕投手を予定してたキップ・グロスが怪我で離脱し、2年ぶりの開幕投手を任され、西武ドームで西武を相手に4安打で完封勝利を挙げた。球団史上初の開幕戦の完封勝利で、完封リレーも過去に1983年後楽園球場阪急戦で2-0で勝利したのみだった(工藤幹夫江夏豊の継投)。シーズンでも前半戦でリーグ10勝一番乗りを果たし、オールスターゲームに初出場し、2000年まで3年連続で球宴に監督推薦で選ばれた。しかし、チームの失速と共に本人も勝てず、後半戦は1勝(4敗)しかできなかった。キャリアで1イニング3被本塁打を3度経験しているが、2度目となった5月8日の対ロッテ戦ではフリオ・フランコ初芝清に連続被弾、佐藤幸彦にランニング本塁打されている。同年は11勝8敗、防御率4.11の成績を残したほか、10完投(ロッテの小宮山悟と共にリーグ最多タイ)を記録した。

1999年から登録名を「岩本ツトム」に変更し、2001年までこの登録名だった。開幕戦東京ドーム近鉄を相手に3安打で完封勝利を達成した。開幕戦で2年連続の完封勝利は稲尾和久西鉄)以来37年ぶりのパシフィック・リーグ記録である。自己最多の13勝を挙げ、2年連続リーグ最多完投を達成した。日韓プロ野球スーパーゲームに全日本軍で出場。

2000年、3年連続開幕投手を務め、西武ライオンズの松坂大輔と投げ合ったが勝敗は付かなかった。シドニーオリンピックの日本代表選手候補になるが、負傷を理由に辞退した。同年は24試合に登板したが、6勝12敗、防御率5.21に終わった。この年以降満足な投球ができず徐々に登板機会が失われていった。

2001年も負け数が前年と同じ12で勝ち星は7勝にとどまるなど、前年とそれほど変化の見られないシーズンとなった。

2002年は登録名を本名に戻したが、故障や不調でわずか4試合の登板に終わり、1勝しか挙げられなかった。

2003年は2試合に先発した以外は全てリリーフで登板し、計17試合に登板したものの、防御率6点台と期待に応えられなかった。

チームの本拠地が札幌ドームに移転し、岩本とは同学年で、オールスターゲーム第3戦で被弾した新庄剛志も移籍してきた2004年は故障のため、11試合の登板で全て先発するも1勝6敗、防御率6.16と期待を裏切る成績となった。2004年のパシフィック・リーグプレーオフ第一ステージ登板機会皆無。

2005年5月21日セ・パ交流戦の対読売ジャイアンツ2回戦(東京ドーム)で、5回表に野間口貴彦からプロ入り初本塁打を記録。これはパシフィック・リーグが指名打者制を導入した1975年以降、日本人投手として初である。(外国人投手を含めても3本目)しかし、6回裏にタフィ・ローズ小久保裕紀に本塁打を許し、敗戦投手となった。結局先発での登板は2試合に終わり、全体でも10試合の登板に終わり、2勝2敗防御率5.96に終わりトレイ・ヒルマン監督の期待に応えられず、オフに自由契約となり、日本ハムの二軍投手コーチ就任を要請されたが固辞し、現役続行を目指した。

東北楽天ゴールデンイーグルスなどが興味を示したが入団には至らず、2006年1月23日に現役を引退した。3月5日札幌ドームでの対千葉ロッテマリーンズとのオープン戦で引退登板。真剣勝負という約束で堀幸一1人に対して投球したが安打を打たれている。

現役引退後編集

2005年引退した後、2006年3月5日のオープン戦で引退試合を行った。この時、パフォーマンスの後継者でもある新庄が岩本に花束を渡して盛り上げた[7]

ホリプロと契約を結び、野球解説者として活動している。また、情報番組のコメンテーターとして出演する場合もある。引退直後は新聞媒体では日刊スポーツ専属[7]であったが、2018年現在は道新スポーツと評論家契約を結んでいる。男性でありながら、高めの声のひょうきんなトークと、関西人らしい、「野球界の裏ネタ」を交えたトークは好評である。

2006年9月、プロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスに入団、登録名は「ガンちゃん」。ふりがなは「いわもとつとむ」となっている。

財政再建団体になった夕張市を応援しようと、当時の夕張市立緑小学校(現在閉校)の入学式でスピーチ、また少年野球教室を開催、PTAの会合で講演したりと夕張市の青少年育成に一役買っている[8]

エピソード編集

2003年までは頻繁に球場内でパフォーマンスを行っていた。例えばヒーローインタビューの終了時にお立ち台から「1、2、3、まいどー!!」と言うパフォーマンスは勝利投手になった場合のインタビューの定番であり、また岩本のパフォーマンスで一番有名なものである。しかし同学年のSHINJOが移籍してきた2004年以降は、自身でのパフォーマンスはあまり行わず、チームメイトとなったSHINJOにそれを任せることが多くなった。

詳細情報編集

年度別投手成績編集





















































W
H
I
P
1991 日本ハム 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 37 9.0 7 1 3 0 0 2 0 0 3 2 2.00 1.11
1994 9 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 95 21.0 26 1 6 0 1 10 1 0 14 12 5.14 1.52
1995 29 12 3 0 0 5 7 0 -- .417 536 132.0 106 15 46 2 1 113 4 1 52 45 3.07 1.15
1996 27 27 4 1 0 10 9 0 -- .526 730 176.0 160 15 51 1 6 144 5 0 80 78 3.99 1.24
1997 27 19 2 0 0 7 6 3 -- .538 501 114.0 125 19 47 2 5 75 5 0 60 60 4.74 1.51
1998 27 27 10 2 2 11 8 0 -- .579 780 181.2 186 26 59 2 6 110 4 0 90 83 4.11 1.35
1999 27 27 9 2 0 13 11 0 -- .542 831 189.0 181 14 93 1 6 158 4 1 86 80 3.81 1.45
2000 24 22 6 0 0 6 12 0 -- .333 678 155.1 162 16 77 0 5 98 2 0 92 90 5.21 1.54
2001 22 21 6 0 1 7 12 0 -- .368 625 143.0 150 27 60 2 1 94 6 0 81 78 4.91 1.47
2002 4 4 0 0 0 1 2 0 -- .333 85 17.0 25 4 10 1 0 12 1 1 14 13 6.88 2.06
2003 17 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 125 26.2 37 7 8 0 3 17 3 0 20 19 6.41 1.69
2004 11 11 0 0 0 1 6 0 -- .143 263 57.0 67 9 24 0 5 36 0 0 41 39 6.16 1.60
2005 10 2 0 0 0 2 2 0 0 .500 95 22.2 26 7 3 0 1 16 1 0 15 15 5.96 1.28
通算:13年 239 175 40 5 3 63 79 3 0 .444 5381 1244.1 1258 161 487 11 40 885 36 3 648 614 4.44 1.40
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録編集

初記録
投手記録
打撃記録
節目の記録
  • 1000投球回数:2001年4月8日、対西武ライオンズ3回戦(東京ドーム)、8回表2死目に中嶋聡を遊撃ゴロ併殺打で達成(実際は3死目) ※史上288人目
その他の記録

背番号編集

  • 20 (1990年 - 1992年)
  • 38 (1993年 - 1995年)
  • 18 (1996年 - 2005年)

登録名編集

  • 岩本 勉 (いわもと つとむ、1990年 - 1998年、2002年 - 2005年)
  • 岩本 ツトム (いわもと つとむ、1999年 - 2001年)

関連情報編集

著書編集

関連書籍編集

現在の出演番組編集

テレビ編集

ラジオ編集

HBCラジオ
文化放送
MBSラジオ

過去の出演番組編集

ネット編集

  • 「まいど!岩本です。」(ファイターズオフィシャル携帯サイト・毎週月曜日更新)

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ TBCテレビには2014年9月20日に出演、2016年は金村暁の後任として出演。

出典編集

  1. ^ 長谷川晶一『夏を赦す』廣済堂出版、2013年、177頁。ISBN 978-4331517482
  2. ^ a b 長谷川晶一 2013, p. 235
  3. ^ https://www.ninomiyasports.com/archives/14032
  4. ^ 菊地高弘 (2017年5月25日). “【イップスの深層】先輩の舌打ちから始まった、ガンちゃんの制御不能”. web Sportiva. 集英社. 2017年8月7日閲覧。
  5. ^ 菊地高弘 (2017年6月19日). “【イップスの深層】1日1000球の秘密特訓で、ガンちゃん奇跡の復活”. web Sportiva. 集英社. 2017年8月7日閲覧。
  6. ^ a b c 菊地高弘 (2017年6月30日). “【イップスの深層】解雇寸前の岩本勉をエースに改造した2人のコーチ”. web Sportiva. 集英社. 2017年8月7日閲覧。
  7. ^ a b 日刊スポーツ北海道版1面 2006年3月5日
  8. ^ 2008年4月7日記事「夕張緑小入学式、岩本勉さんも駆けつけ祝辞」

関連項目編集

外部リンク編集