岩淵町 (東京都北区)
岩淵町(いわぶちまち)は、東京都北区の町名。丁番の設定のない単独町名である。郵便番号は115-0041[2]。
岩淵町 | |
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赤羽岩淵駅 | |
北緯35度47分1.63秒 東経139度43分14.07秒 / 北緯35.7837861度 東経139.7205750度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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地区 | 赤羽地区 |
面積 | |
• 合計 | 0.334 km2 |
人口 | |
• 合計 | 4,766人 |
• 密度 | 14,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
115-0041[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
※座標は赤羽交差点付近 |
地理 編集
東京都北区、旧岩淵町の北端に位置する地区である。町の北部を荒川と新河岸川が東西に並行して流れ、両川に挟まれた中州状の地域が町域の約三分の一を占める。荒川対岸の埼玉県川口市との間には新荒川大橋が架かる。荒川がおおむね東京都と埼玉県の境となっているが、新荒川大橋付近では都県境が大きく東京都側に食い込み、荒川・新河岸川間の河川敷上に都県境がある。
町域は北を埼玉県川口市舟戸町と接し、東は北区志茂、南および西は北区赤羽と接する。
戸籍の表記など、北区の公式文書には岩渕町と記載されることもあったが、2007年11月5日より導入された戸籍の電子化により、表記が岩淵町に統一された。
河川 編集
地価 編集
住宅地の地価は2017年(平成29年)1月1日の公示地価によれば岩淵町9-13の地点で35万8000円/m2となっている。
歴史 編集
地名の由来 編集
入間川(のち荒川)のほとりでゴツゴツとした岩場だったことに由来する。
沿革 編集
- 1871年(明治4年)11月 - 浦和県(現埼玉県)から東京府に編入された。
- 1878年(明治11年)11月:郡区町村編制法により北豊島郡岩淵本宿町となる。
- 1889年(明治22年)5月1日:市制町村制により、岩淵本宿町、稲付村、赤羽村、袋村、下村、神谷村が合併し岩淵町となり、北豊島郡岩淵町大字岩淵本宿となる。
- 1932年(昭和7年)10月1日:東京市編入により、岩淵町は王子町と合併され、王子区となる。これに伴い、町内の地名が整理され、東京市王子区岩淵町一・二丁目となる。
- 1943年(昭和18年)7月1日:東京都制施行により、東京都王子区岩淵町一・二丁目となる。
- 1947年(昭和22年)3月15日:王子区が滝野川区と合併し北区となり、東京都北区岩淵町一・二丁目となる。
- 1971年(昭和46年)7月:岩淵町二丁目に住居表示が施行され、北区赤羽一丁目・二丁目、赤羽南一丁目の一部となる。
- 1972年(昭和47年)2月:岩淵町一丁目に住居表示が施行され、北区岩淵町となる。
1964年(昭和39年)から行われた住居表示施行の際、北区は当初岩淵町全域を「赤羽」とする予定だった。しかし、代々受け継いできた町名が消えることを危惧した地元住民が延べ8年に亘る反対運動を展開。その結果、区は住民の訴えを一部受け入れる形で和解、一丁目が「岩淵町」のまま住居表示が施行されることとなった。
世帯数と人口 編集
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
岩淵町 | 2,659世帯 | 4,766人 |
小・中学校の学区 編集
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4][5]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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1〜22番 25番22〜24号 |
北区立岩淵小学校 | 北区立赤羽岩淵中学校 |
その他 | 北区立第四岩淵小学校 |
交通 編集
鉄道 編集
JR赤羽駅の利用圏内でもある。(岩淵町から赤羽駅まで徒歩10分程度)
バス 編集
道路 編集
岩淵町内にある「赤羽交差点」は国道122号(北本通り・岩槻街道)と都道311号環状八号線(環八通り)・都道445号常盤台赤羽線が交わる。環八通りはこの赤羽交差点が終点である。