島 かおり(しま かおり、1946年7月19日[1][2] - )は、日本女優。本名、不破 隆子[2][3]

しま かおり
島 かおり
本名 不破 隆子
生年月日 (1946-07-19) 1946年7月19日(77歳)
出生地 日本の旗 日本大阪府大阪市
職業 女優
ジャンル テレビドラマ映画
事務所 たむらプロ
公式サイト 所属事務所によるプロフィール
主な作品
テレビドラマ
七人の孫
『何とかしなくちゃ』
名もなく貧しく美しく
キッズ・ウォー
コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-』シリーズ
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大阪府大阪市出身[1]明治大学付属中野高等学校卒業[1][2]たむらプロ所属。

人物 編集

小学生時代に東京都に転居する[1]

1960年に知人の紹介で松竹に入社して、同年公開の映画『予科練物語 紺碧の空遠く』でデビュー[1]。その後も松竹映画『背くらべ』(1962年)、『おしゃべりな真珠』(1965年)などに出演するが、1964年の『ただいま診察中』(東宝)より他社の作品にも出演するようになる[1]

1965年にフリーとなりテレビドラマに活動の場を移し、『七人の孫』(TBS)で注目される[1]

1969年花王 愛の劇場若きいのちの日記』(TBS)のヒロイン・大霜道子を演じる[2]。本作以降、愛の劇場の『名もなく貧しく美しく』(1976年)、『白衣の姉妹』(1978年)などでもヒロインを演じ、昼メロの女王と呼ばれる。愛の劇場以外にもテレビドラマに多数出演[1]

1970年の『何とかしなくちゃ』で、ゴールデンタイムドラマ初主演。原作者である上坂冬子をモデルとした羽仁冬子を演じた。本作の番組欄における紹介記事の中で「さわやかに生きる20代の若者をのびのび演じたい」と述べている[4]

特技は、日舞

『愛の劇場』のエピソード 編集

『若きいのちの日記』当時の紹介記事では「原作を読んで、自分と同世代の女性が苦難の人生を起こったことを知り、胸が締め付けられる思いでした」と述べている[2]

愛と死と』(1970年)では、骨肉腫に侵されながら最終的には母親となる女性を演じ「母親役は初めてですが、イメージチェンジを図るために一生懸命やりたい」と述べている[5]

『名もなく貧しく美しく』では、夫役の東野孝彦とともに、クランクイン前に1日5時間、手話の講習を受けている[6]

『愛の劇場』での役柄の大半は、難病など苦境に陥る役柄が大半であったが、『下町の空』(1981年)では、自由奔放な母親を嫌って故郷を捨てる女性を演じている。本作の紹介記事の中で「今回はかなり楽しんで演じています。その一方、キャラクターの内面を演じるのが難しい」と述べている[7]

出演 編集

映画 編集

テレビドラマ 編集

NHK

日本テレビ

TBS

フジテレビ

テレビ朝日

テレビ東京

WOWOW

テレビ番組 編集

ラジオ番組 編集

ディスコグラフィ 編集

シングル 編集

発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格 規格品番
ミノルフォンレコード
1968年6月10日 A 気にしないで 幸田栄 遠藤実 EP KA-208
B ゆるしてほしい
日本コロムビア
1978年4月1日 A [注釈 1] 佐藤純弥 菊池俊輔 EP GK-513
B [注釈 2]

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ TBS系ドラマ『Gメン'75』エンディングテーマ(第145話「北極回り SK980便」−第174話「母ちゃんは地獄へ行け!」)。
  2. ^ 唄:しまざき由理。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優全集 女優編』キネマ旬報社〈キネマ旬報増刊〉、1980年12月31日、355頁。 
  2. ^ a b c d e 『福島民報』1969年8月14日付朝刊、7面。
  3. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.545
  4. ^ 『読売新聞』1970年2月5日付朝刊、17面。
  5. ^ 『福島民報』1970年6月13日付夕刊、2面。
  6. ^ 『福島民報』1976年2月25日付夕刊、2面。
  7. ^ 『福島民報』1981年3月18日付夕刊、4面。
  8. ^ 佐藤健、長澤まさみ、森七菜が共演 映画「四月になれば彼女は」場面カット10点公開”. 映画ナタリー. ナターシャ (2024年2月22日). 2024年2月22日閲覧。

外部リンク 編集