島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、将棋棋士。初代竜王
棋士番号146。高柳敏夫名誉九段門下。東京都世田谷区出身。竜王戦1組以上通算12期、順位戦A級通算9期。

 島 朗 九段
名前 島 朗
生年月日 (1963-02-19) 1963年2月19日(61歳)
プロ入り年月日 1980年9月18日(17歳)
棋士番号 146
出身地 東京都世田谷区
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 高柳敏夫名誉九段
弟子 水町みゆ
段位 九段
棋士DB 島 朗
戦績
タイトル獲得合計 1期
一般棋戦優勝回数 3回
2017年1月21日現在
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来歴 編集

1980年四段プロデビュー。いわゆる「55年組」の一人である。

1988年度の第1期竜王戦米長邦雄に4-0のストレート勝ちし、初代竜王に輝く。3組2位からの竜王戦出場・竜王位獲得は共に史上唯一である[注 1]。島が竜王になるとはほとんど予想されていなかったため、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。翌年の第2期竜王戦では羽生善治に3勝4敗(1持将棋)で敗れた[注 2]

第38期王将戦(1988年度)、第65期棋聖戦(1994年度後期)、第44期王座戦(1996年度)、第45期王座戦(1997年度)では挑戦者になるも、いずれもストレートで敗れてタイトル獲得はならなかった。

NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、第39回(1989年度)と第42回(1992年度)で準優勝となった。第42回の決勝戦の相手は同門兄弟子の中原誠で、NHK杯決勝戦初の同門兄弟弟子対決であった。

1989年度の第10回JT将棋日本シリーズでは準優勝。第4期竜王戦(1991年度)と第6期竜王戦(1993年度)では1組で優勝した。

2004年8月8日静岡市民文化会館で行われた第25回JT将棋日本シリーズ1回戦第4局で藤井猛に勝ち、1046局目の対局にして通算600勝に到達。森内俊之に次いで、史上30人目の将棋栄誉賞に輝く[注 3]

2006年度の第47期王位戦リーグで白組優勝を果たした。

2018年2月6日、第76期順位戦C級1組10回戦で、門倉啓太に勝ち、1471局目の対局にして通算800勝に到達。同じ55年組の南芳一に僅か半月程遅れる形で、史上21人目の将棋栄誉敢闘賞に輝く[1]

棋風 編集

基本的に居飛車党であるが、著書には振り飛車を詳細に解説した大著「島ノート」がある[注 4]

独特の美意識を持った人物であり、かつては形勢が不利になるとあっさり投了してしまうことから「早投げの代表格」とも呼ばれた[2]。しかし「自分の投了図を将棋ソフトに調べさせたら、何局も『優勢』と形勢判断された」ことから、2019年に「これからは早く投了しないようにします」と語っている[2][3]

第61回NHK杯1回戦第18局で女流棋士の甲斐智美と対局。女流棋士との公式戦初手合となった。結果は甲斐のゴキゲン中飛車に対し、島が4筋の位を取る珍しい作戦にでて快勝した。流行型を指しこなしつつも、矢倉中飛車などの古くからある作戦に独自の工夫を加えていく島らしい戦型選択であった。

人物 編集

将棋 編集

若手棋士との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ[注 5]。中でも、羽生善治佐藤康光森内俊之が参加していた「島研」(1986年(昭和61年)頃から1990年(平成2年)頃まで)は伝説的研究会といわれる。島が名付けたのではないが、米長邦雄が各方面で言及した結果、定着した。島研のメンバーはのちに全員が竜王位を経験し[4]、島以外は全員が名人位についた。

島はNHK杯の解説で、指された手に対して数年前の対局の棋譜を並べだすこともよくあった。

若手時代は将棋と定時制高校の青春時代の反動からプレイボーイとなり[5]、第1期竜王戦ではブランド物(アルマーニ)のスーツで現れ、マスコミを賑わせた[注 6]。「高額な盤駒を購入するくらいなら、ブランドのスーツを買う」と述べたこともあった。2004年の談話では、「スーツを着るからには変なスーツを着るわけにはいかなかった。和服を着ておけば楽だったものを、一体当時は何を考えていたのか…」などと述懐している[6]。ただ2018年のインタビューでは、「(ウィキペディアにいろいろ書かれているために)アルマーニのスーツを着てタイトル戦に臨んだというイメージがあるようだが、1着しか持っていない」「当時は和服の着付けができなかったので、和服着用はハンデと考えたから」とも述べている[7]。 そして竜王戦の賞金は服と靴と車に消えた。当時バブル景気が賑わっていたと言う背景もあった。また、多額の税金も支払ったとされている[6]。 翌年の竜王戦は羽生善治との対戦であったが、初日の終了後に、羽生らとモノポリーに興じた[注 7]

王座戦等の観戦記を執筆。棋士の観戦記には評論のような文章が多いとされるなかで、独特の文体と描写で物語のような文章となっている。 自著の「角換わり腰掛け銀研究」は1995年に第7回将棋ペンクラブ大賞著作部門大賞を受賞した。この本はあまりに詳細にわたる研究だったため、島自身も忘れている部分があり、若手棋士との対局で島がある変化手順について尋ねたところ、「島先生の本に載ってました」と答えられたというエピソードがあるほどである。

テレビ対局の銀河戦[注 8]で、持ち駒銀将を裏返した状態(成銀)で打って反則負けとなった[注 9]。島は、「銀河戦で使用する駒は表・裏とも1文字のもので、金将と成銀の書体が似ているために起こったハプニングである」と将棋世界1998年9月号で述懐した。


従来、将棋の駒は盤の枠内の真ん中に置くものとされていた。それに対し島は駒を枠内の手前の線にピッタリ置く。駒音も静かであり、後に多くの若手棋士が島のスタイルに追随していった。中村修NHK杯の解説で、「島さんの功績・功罪」と述べていた。

丸山忠久との相性が悪く、公式戦初対局から0勝21敗と完封されている(2023年10月6日現在)。ともにタイトル経験者(丸山は名人2期・棋王1期)かつA級在位経験者というトップ棋士同士で、これだけの大差が生じるのは非常に珍しい。非公式戦のため記録には計上されていないが、上述反則負けの際の相手も丸山であった。

丸山忠久との対局一覧(灰色は非公式戦)[8]
対局日 棋戦 先後 戦型 結果
1990年12月03日 第13回勝ち抜き戦 予選 後手
1991年07月30日 第10回全日プロ 3回戦 先手 陽動振り飛車 千日手
3回戦千日手指し直し局 後手 角換わり腰掛銀
1992年01月10日 第40期王座戦 二次予選2回戦 後手 角換わり腰掛銀
1992年09月14日 第14回勝ち抜き戦 本戦 後手 向かい飛車
1995年06月27日 第45期王将戦 二次予選1回戦 先手 矢倉
1995年08月07日 第45回NHK杯戦 本戦2回戦 先手 横歩取り
1995年09月11日 第67期棋聖戦 二次予選2回戦 後手 相掛かり
1998年07月01日 第6期銀河戦 本戦Aブロック22回戦 先手 矢倉 ●(反則)
1998年09月24日 第57期順位戦 A級4回戦 先手 横歩取り
1999年11月16日 第58期順位戦 A級5回戦 後手 角換わり
2002年03月06日 第21回勝ち抜き戦 本戦 後手 向かい飛車
2002年07月25日 第61期順位戦 A級2回戦 後手 四間飛車
2003年02月10日 第52回NHK杯戦 本戦準々決勝 後手 中飛車
2003年06月22日 第24回日本シリーズ 1回戦 先手 横歩取り
2004年02月03日 第62期順位戦 A級8回戦 後手 向かい飛車
2008年02月07日 第49期王位戦 リーグ戦白組1回戦 後手 横歩取り
2009年11月04日 第3回朝日杯 二次予選1回戦 先手 三間飛車
2011年09月26日 第61回NHK杯戦 本戦2回戦 後手 角換わり
2012年02月10日 第25期竜王戦 1組ランキング戦1回戦 後手 相掛かり
2016年09月21日 第58期王位戦 予選2回戦 後手
2017年08月28日 第3期叡王戦 九段予選2回戦 先手 対抗型
2023年10月06日 第1期達人戦 予選準決勝 後手 雁木

理事や顧問として 編集

2005年5月から2007年5月まで、日本将棋連盟理事(普及事業、出版、会館担当)を1期務めた。理事在任中の実績として栄光ゼミナール主催の小学生将棋大会「栄光ゼミナール杯」誘致がある[注 10]

2007年7月 渉外・普及特別顧問(東北担当)という新たな肩書きを将棋連盟に作ってもらい、2008年4月には自身も宮城県仙台市へ引っ越して、東北地方の将棋普及に本腰を入れている。朝日新聞2008年10月17日朝刊(宮城県内版)の記事によると、対局で訪れた仙台にほれ込んだといい、将棋好きな梅原克彦仙台市長(当時)に頼み込んで、仙台青葉まつりで青空将棋教室を毎年開催している。

2011年5月、日本将棋連盟非常勤理事に就任。併せて、東北統括本部長に就任。

2012年3月、女流棋士の鈴木環那と、やまがた特命観光・つや姫大使に就任。任期は三年。また、あったかふくしま観光交流大使にも就任している[9]

2013年1月、日本将棋連盟常務理事に就任[10]

2016年10月10日 自宅で会合を開き、三浦弘行九段のソフト不正使用疑惑問題について協議した。(参照:将棋ソフト不正使用疑惑

2017年1月19日、体調不良により、常務理事を辞任すると表明していた件が、理事会で承認された[11]

その他 編集

麻雀愛好家であるが、先崎学の著書には「ハマりすぎるために麻雀牌を川に捨てた」という記述がある。しかし、2013年3月に出版された自著である「島研ノート 心の鍛え方」には、麻雀牌を捨てたのは事実でも川には捨てていないとする旨の内容がp222-223に記載されている。また、大のパチンコ好きでもあると先崎学の著書[12]にある。

社会問題への関心も強く、「THE・サンデー」や「しんぶん赤旗」のコメンテーターとしても活躍していた。

竜王戦第一局前夜祭で花束を贈呈したミス川崎と交際して結婚したが、2016年に亡くしている[13]。2018年頃に鈴木環那の母親と再婚した。配偶者を癌で亡くした者同士の再婚だった[14]

弟子 編集

女流棋士となった弟子 編集

名前 女流プロ入り日 段位、主な活躍
水町みゆ 2018年5月1日 女流初段

(2020年4月1日現在)

昇段履歴 編集

主な成績 編集

タイトル 編集

獲得タイトル
  • 竜王 1期(第1期-1988年度)

獲得合計 1回

タイトル戦登場

登場6回

一般棋戦優勝 編集

一般棋戦優勝
  • 勝ち抜き戦(5連勝以上) 3回(第5回-1982年度・8回・9回)
非公式戦

在籍クラス 編集

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1981 40 C228
1982 41 C211
1983 42 C208
1984 43 C207
1985 44 C118
1986 45 B220
1987 46 B209 1  3組  --
1988 47 B203 2 竜王 -- --
1989 48 B209 3 1組 --
1990 49 B206 4 1組 --
1991 50 B113 5 1組 --
1992 51 B105 6 1組 --
1993 52 B105 7 1組 --
1994 53 A 09 8 1組 --
1995 54 A 07 9 1組 --
1996 55 A 05 10 1組 --
1997 56 A 05 11 1組 --
1998 57 A 07 12 2組 --
1999 58 A 06 13 2組 --
2000 59 A 08 14 2組 --
2001 60 B101 15 2組 --
2002 61 A 09 16 2組 --
2003 62 A 08 17 2組 --
2004 63 B101 18 3組 --
2005 64 B106 19 2組 --
2006 65 B109 20 2組 --
2007 66 B106 21 2組 --
2008 67 B201 22 2組 --
2009 68 B204 23 2組 --
2010 69 B210 24 2組 --
2011 70 B205 25 1組 --
2012 71 B207 26 2組 --
2013 72 B212x 27 2組 --
2014 73 B225* 28 2組 --
2015 74 B216*x 29 3組 --
2016 75 C101x 30 3組 --
2017 76 C133* 31 3組 --
2018 77 C121* 32 4組 --
2019 78 C125* 33 4組 --
2020 79 C118*x 34 5組 --
2021 80 C204 35 6組 --
2022 81 C242 36 6組 --
2023 82 C241 37 6組 --
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

将棋大賞 編集

  • 第12回(1984年度) 新人賞・最多勝利賞
  • 第16回(1988年度) 殊勲賞

その他表彰 編集

主な著書 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 第19期から制度が変わり、3組からは優勝者しか本戦に出られなくなったため。
  2. ^ これが羽生の初タイトル獲得となった。
  3. ^ 599勝目を挙げて以降、12連敗を喫するという大変な難産の末の達成であった。
  4. ^ 囲碁名人の依田紀基はこれに倣って「依田ノート」を著している。
  5. ^ 当時、棋士は研究を一人で行うのが普通であった。
  6. ^ タイトル戦でスーツを着用した例は島の他には加藤一二三及び村山聖(1993年・第24期王将戦谷川浩司王将の挑戦者となったが、和服の発注が間に合わず、第1・2局のみスーツ姿で対局に臨んだ。)以外知られていない。
  7. ^ 「対局者同士は別行動」がそれまでの常識であった。
  8. ^ 丸山忠久戦、1998年、当時は非公式戦。
  9. ^ 第1期新銀河戦(非公式棋戦)1回戦の藤井聡太竜王 対 田中寅彦九段の対局(2022年4月2日配信)に於いても同様に、田中九段が駒台にある「裏返した状態の銀将(成銀)」を隣の金将と取り違えて盤面に打ち反則負けとなった。
  10. ^ 島は理事選挙立候補時の公約の一つとして「教育業界との連携による普及事業推進」を掲げていた。

出典 編集

  1. ^ 島朗九段、800勝(将棋栄誉敢闘賞)達成|将棋ニュース|日本将棋連盟
  2. ^ a b 将棋のはなし(75)信用も大きな武器 - カナロコ・2018年9月18日
  3. ^ 第60期王位戦七番勝負 第2局・35手目の棋譜コメントより。
  4. ^ 『日本将棋用語事典』pp.87-90, 93
  5. ^ 島朗九段のルーツ | 将棋ペンクラブログ
  6. ^ a b 『日本将棋用語事典』pp.175-178
  7. ^ 「文春オンライン」編集部. “初代竜王・島朗九段が考える「コンピューター将棋」と世代交代 | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン” (日本語). 文春オンライン. https://bunshun.jp/articles/-/9597 2018年11月10日閲覧。 
  8. ^ 「将棋の棋譜でーたべーす」より
  9. ^ 島朗九段と鈴木環那女流初段がやまがた特命観光・つや姫大使に就任 日本将棋連盟オフィシャルサイト 2012年3月6日付
  10. ^ https://www.shogi.or.jp/player/pro/146.html 日本将棋連盟公式サイト 棋士データベース 島朗 役員履歴
  11. ^ 連盟公式サイト(Japan Shogi Association) 「将棋ニュース:臨時総会のお知らせ」(2017年01月19日 12:25)
  12. ^ まわり将棋は技術だ p.183
  13. ^ 伊藤果のTwitter(2016年8月19日)
  14. ^ 森内チャンネル♯19トーク編『勉強法と島研エピソードそして環那の重大発表あり!! (YouTube). 森内俊之の森内チャンネル. 21 August 2020. 2020年8月21日閲覧
  15. ^ 島朗八段が九段に昇段(2008年4月17日付)|将棋ニュース|日本将棋連盟” (2008年4月17日). 2023年12月13日閲覧。
  16. ^ 島朗八段、通算600勝を達成(日本将棋連盟からのお知らせ)”. 2004年12月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月13日閲覧。
  17. ^ 島朗九段、800勝(将棋栄誉敢闘賞)達成|将棋ニュース|日本将棋連盟

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集