島津 久邦(しまづ ひさくに)は、江戸時代中期から後期にかけての薩摩藩士。知覧島津家19代当主。

 
島津久邦
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦3年3月19日1753年4月22日
死没 寛政3年3月19日(1791年4月21日
改名 久邦→鶴汀(号)
別名 通称:石見
戒名 毅斉院殿君謨元弼大居士
墓所 鹿児島県南九州市知覧町郡の島津墓地
主君 島津重豪斉宣
薩摩藩知覧私領主
氏族 知覧島津家
父母 父:島津久峰
兄弟 久徴久邦佐多直八佐多直陳
久典
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生涯 編集

宝暦3年(1753年)3月19日、島津久峰の三男として生まれる。明和9年(1772年)、父・久峰が死去すると、兄・久容(久徴)は一門の島津加治木家を相続していたため、知覧島津家の家督を相続する。

安永3年(1774年)、藩主・島津重豪の帰国許可の謝恩使として江戸城に登城し、将軍徳川家治に拝謁する。安永7年(1778年)、寺社奉行。安永8年(1779年)、大目付となる。安永9年(1780年)、国分地頭職。同年若年寄。天明7年(1787年)、家老となる。同年、藩主・重豪の参勤に随行して江戸に下った。

寛政3年(1791年)3月19日没、享年39。

参考文献 編集

  • 『知覧郷土史』