島津 幸一(しまづ こういち、1932年 - 1994年10月24日)は、日本の事業家催眠商法の原型をつくり、その事業が破綻してからは自己啓発セミナーを日本に移入し広めたとされる[1]。元日本ペンクラブ正会員。

島津 幸一
生誕 1932年[1][2]
日本の旗 日本東京都[1]
死没 1994年10月24日[1]
死因 肝不全[1]
別名 しまず こういち[1][2]
職業 実業家
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来歴 編集

SF製品及会)出版局を設けて「新生活大辞典」という書籍を出版、それを購入したものが会員証を受け取るシステム[1]
  • 1970年 新製品普及会は年商150億円、従業員4000人の事業に拡大[1]
12月 新製品普及会が倒産。仕入先が500社を超えていたため戦後最大の連鎖倒産といわれた[1]
  • 1971年 APOジャパン(同年設立)に人材教育を担当する幹部としてスカウトされ、副社長になる[1]
エンジン排気ガスを減少させて出力アップを図ると称する排ガス除去装置を販売する企業[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「催眠商法」は一体どのように生まれたのか 日本における自己啓発セミナーの源流 2016年05月24日 東洋経済ONLINE。
  2. ^ a b しまず, こういち, 1932-”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス (1981年3月16日). 2018年1月7日閲覧。

外部リンク 編集