島田 昌幸(しまだ まさゆき 1945年1月16日[1] - )は、テレビ東京ホールディングス並びにテレビ東京相談役。東京都出身。2015年6月から現職。菅谷定彦とは日本経済新聞社、テレビ東京だけではなく、出身大学である早稲田大学の先輩後輩の間柄でもある。

しまだ まさゆき
島田 昌幸
生誕 (1945-01-16) 1945年1月16日(76歳)
東京都
国籍日本の旗 日本
出身校早稲田大学政治経済学部卒業
職業実業家
活動期間1969年 -
肩書きテレビ東京代表取締役社長
任期2007年6月 - 2013年6月
前任者菅谷定彦
後任者髙橋雄一

略歴編集

  • 1969年4月 早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社[1]
  • 1999年3月 日本経済新聞社取締役東京本社編集局長[1]
  • 2002年3月 日本経済新聞社常務取締役(社長室長、関連企業室長、文化・事業・営業推進本部・広報担当)[1]
  • 2003年3月 日本経済新聞社常務取締役(総務・労務・編集・営業推進本部担当)[1]
  • 2005年3月 日本経済新聞社顧問[1]
  • 2005年6月 テレビ東京専務取締役(制作局・報道局・スポーツ局担当)[1]
  • 2006年6月 テレビ東京専務取締役(編成局・制作局・ドラマ制作室・報道局・スポーツ局担当)[1]
  • 2006年-2007年 東京フットボールクラブ(FC東京) 取締役 (兼務[2])
  • 2007年6月 テレビ東京代表取締役社長に就任[1]
  • 2008年7月23日 特別番組「それいけ!7ちゃん」のワンセグ部分に出演
  • 2010年10月1日 テレビ東京ホールディングスの設立に伴い、同社の代表取締役社長に就任(兼務)
  • 2013年6月21日 テレビ東京代表取締役会長に就任(テレビ東京ホールディングス代表取締役社長と兼務)[3][4]
  • 2015年6月19日 テレビ東京ホールディングス及びテレビ東京の会長を退任し相談役に就任。

テレビ東京社長として編集

2007年6月22日、菅谷定彦の後任としてテレビ東京第8代代表取締役社長に就任[5]。就任4年後に迫った地上波テレビジョン放送の完全デジタル化という一大事を跨ぎ、2013年6月まで6年間に亘り務めた。

木曜プライムタイム枠の見直し編集

開局45周年を迎えた2009年4月改編では、“ルビコンを渡れ!”[6]というテーマを掲げた改編により、1968年2月のスタート以来41年間続いた長寿番組『木曜洋画劇場』を終了させた。

後番組として木曜21時枠にバラエティ番組『決着!歴史ミステリー』、同22時枠に『経済ドキュメンタリードラマ ルビコンの決断』を編成したが[6]、前者はわずか半年で『和風総本家』(テレビ大阪制作)と放送枠を交換する形で終了。後者も2010年10月改編で『カンブリア宮殿』と枠交換する形で終了に追い込まれた。

また同年10月改編では、木曜20時枠で1992年4月から続いていた『TVチャンピオンシリーズ』が『チャンピオンズ〜達人のワザが世界を救う〜』最終回(2009年9月17日)をもって17年半に亘る放送を終了しており、アニメ枠を除く木曜日のゴールデン・プライムタイム枠の番組が大幅に入れ替わることとなった。

SUPER GTと「お墓に泊まろう!」編集

2010年4月改編では、日曜日17:30枠で放送されていたモータースポーツ番組『激走!GT』(以下、激Gと略す)が打ち切られた。テレ東は杉野直道社長時代の1994年全日本GT選手権がスタートして以来、関連番組の制作に携わり、菅谷社長時代の2003年から7年間『激G』を放送してきたが、この年はその放映権をフジテレビジョンに譲渡し『フジテレビ スーパーGTコンプリート』を放送した。

しかしTXN全局での放送だった『激G』とは異なり、『スーパーGTコンプリート』はほとんどが深夜のローカル枠の放送で、ネットしていたFNS系列局も少なかった。

その結果フジはわずか1年でSUPER GTの放送から撤退。更にテレ東も『激G』の後番組『歌の楽園』をわずか1年で打ち切らせ[注 1]、放送枠を日曜23:30枠に移した『SUPER GT+』(司会:中尾明慶)を2011年4月からスタート。2021年4月期で10周年を迎え、『激G』の放送期間数記録を上回った。

また2010年8月1日には、テレ東と吉本興業が共同製作した日本映画『お墓に泊まろう!』(伊藤隆行監督)が劇場公開された。同作は「2011年にテレビ東京が倒産した直後に元社長の島田が逝去し、その葬儀をテレ東関係者が演出する」というストーリーであり、逝去する島田役を松方弘樹が務めた。島田は2010年4月23日の定例会見で「作りたいものを作って世に問えという“殺し文句”にやられました」と評している[7]

持株会社設立編集

島田が社長に就任した翌年の2008年にフジテレビジョンがフジ・メディア・ホールディングス、2009年にTBSが東京放送ホールディングス(現:TBSホールディングス)といった認定放送持株会社を設立。テレ東もそれらに追随するかの如く、グループ会社を整理する持株会社の設立に乗り出すことになる[7]

2010年3月26日にテレビ東京とBSジャパン(現:BSテレビ東京)、テレビ東京ブロードバンド(現:テレビ東京コミュニケーションズ)は経営統合で基本合意し、同年10月1日に株式会社テレビ東京ホールディングスが設立。島田は同ホールディングスの初代代表取締役社長に就いた[8]

東日本大震災編集

2011年3月11日14時46分(JST、以下同)、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。

テレ東は発生当時バラエティ番組の再放送[注 2]だったが、緊急地震速報発令後数分で臨時の報道特番に切り替えた。日付を跨いだ3月12日になっても報道特番が続いたため、同日23:55のアニメ『テガミバチ REVERSE』第23話から通常編成に戻した[9]。この英断に600件の抗議が殺到したが、島田は同年3月31日の定例会見で「この選択はありだった」と評している[9]

なお震災後の同年4月期には、当時テレ東で放送されていたアニメのキャラクターを使用した『元気をだそう!』キャンペーンを展開。「みんなの元気をゲットだぜ!」[注 3]等といった5秒スポットを頻繁に流した。

六本木移転計画、そして退任へ編集

2011年7月24日、テレビ東京は地上アナログ放送を終了しデジタル放送に完全移行。テレ東にとっては放送マスターの更新とグループ機能の集約が大きな課題となっていた[10]。そして2012年5月16日、テレビ東京は六本木プリンスホテル日本アイ・ビー・エム本社があった敷地の一角に建設する「住友不動産六本木グランドタワー」内への本社機能移転を発表する[10]

しかし、2013年1月で68歳の誕生日を迎え、在任も6年間に達したことから、同年6月21日の株主総会をもって社長を退任し代表取締役会長に就いた[11]。但し、テレビ東京ホールディングスの社長については、2015年6月19日まで引き続き務めていた。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 同時間枠における後番組は『毎日かあさん』(水曜19時台前半枠から移動)。その後はバラエティ番組『原宿キラキラ学院』を経て、2012年10月改編で月曜19:30枠に放送されていたアニメと枠交換し『アイカツ!』がスタートしている。
  2. ^ 『スペシャル!傑作選』。但し他のTXN系列局は別番組。
  3. ^ ポケットモンスター ベストウィッシュ』のサトシピカチュウ

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i 代表取締役の異動に関するお知らせ (PDF) テレビ東京 (2007年5月15日)
  2. ^ 会社概要”. 2006年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月23日閲覧。 FC東京
  3. ^ 役員および執行役員の異動について (PDF) テレビ東京 2013年5月15日
  4. ^ 2013年テレビ東京グループ役員新体制について (PDF) テレビ東京ホールディングス 2013年5月15日
  5. ^ 島田社長2007年6月定例会見”. テレビ東京 (2007年6月28日). 2021年4月2日閲覧。
  6. ^ a b 島田社長2009年3月定例会見”. テレビ東京 (2009年3月26日). 2021年4月2日閲覧。
  7. ^ a b 島田社長2010年4月定例会見”. テレビ東京 (2010年4月23日). 2021年4月2日閲覧。
  8. ^ 島田社長2010年9月定例会見”. テレビ東京 (2010年9月30日). 2021年4月2日閲覧。
  9. ^ a b 島田社長2011年3月定例会見”. テレビ東京 (2011年3月31日). 2021年4月2日閲覧。
  10. ^ a b 島田社長2012年5月定例会見”. テレビ東京 (2012年5月31日). 2021年4月2日閲覧。
  11. ^ 島田社長2013年5月定例会見”. テレビ東京 (2013年5月30日). 2021年4月2日閲覧。

外部リンク編集