巖流島(がんりゅうじま)は、山口県下関市関門海峡に在る島(無人島)。正式名称は船島(ふなしま)[1]。所在地は「山口県下関市大字彦島字船島648番地」[1]

船島(巖流島)
Funashima island.jpg
海峡ゆめタワーから見た巖流島
所在地 日本山口県
所在海域 瀬戸内海
関門海峡
座標 北緯33度55分58秒 東経130度55分50秒 / 北緯33.93278度 東経130.93056度 / 33.93278; 130.93056座標: 北緯33度55分58秒 東経130度55分50秒 / 北緯33.93278度 東経130.93056度 / 33.93278; 130.93056
面積 0.103 km²
海岸線長 1.6 km
最高標高 --.- m
船島の位置(山口県内)
船島
船島
船島 (山口県)
船島の位置(日本内)
船島
船島
船島 (日本)
Project.svgプロジェクト 地形
テンプレートを表示
島からは、関門海峡を航行する船を間近に見ることができる
島に設けられている武蔵と小次郎の銅像
島へ行き来する船舶(船着場より撮影)
手前の黄色い船はチャレンジ日本海上防災が運航していた「フロンティア号」で、現在は同社自体が運航を終了し運航されていない。右奥に見える関門汽船は現在運航中。

概要編集

本州(下関市彦島)から約0.4kmの関門海峡内に在る小島。島全体が平らな地形であり、標高は最高地点でも海抜10mに満たない[2]。島の東海岸に設けられた遊歩道などからは関門海峡を行きかう大型船を間近に見ることができる。また、島の相当部分は公園として整備され人工海浜や多目的広場が設けられている。

宮本武蔵佐々木小次郎決闘が行われたとされることで著名となっている。決闘が行われたとされる当時は豊前小倉藩領の船島であったが、小次郎が「巖流」(「岩流」とも)を名乗った[3]ことから巖流島と呼ばれるようになった。

島内の展望広場には2002年(平成14年)12月11日に除幕された小次郎像と、2003年(平成15年)4月14日に除幕された武蔵像がある[1](後述)。

歴史編集

武蔵と小次郎が決闘を行った日時は、『二天記』(安永5年(1776年))によると慶長17年4月13日(グレゴリオ暦では1612年5月13日)に行なわれたといわれるが、それより半世紀前に書かれた立花峯均による『丹治峯均筆記』(享保12年(1727年))には武蔵19歳のときとあり、決闘時期には諸説あって実際は不明である。

かつてはすぐ隣に岩礁があり、難所として恐れられていた。豊臣秀吉名護屋から大坂への帰路の途中でここで乗船が座礁転覆し毛利水軍によって助けられたといわれている。このとき船と運命を共にした船長の明石与次兵衛の名を取り、江戸時代には「与次兵衛ヶ瀬」と呼ばれていた。岩礁は大正年間、航行する船舶の増加と大型化の障害となるため爆破されたが、この部分もあわせて三菱重工業[4]によって埋め立てられた。その結果、島の面積は武蔵と小次郎が決闘の時と比べて約6倍の10万3千平方メートルに広がった[1]明治中期にはコレラ患者の医療施設が立地していた[2]

第二次世界大戦の前から周辺が日本軍の下関要塞地帯となり、撮影はもちろん、小型カメラすら向けることは禁止された。この軍による規制は非常に厳しく、1935年(昭和10年)の吉川英治の連載小説『宮本武蔵』では、石井鶴三の描いた巖流島の挿絵に「下関要塞司令部許可済」との文言が添えられていたほどである。よってこの時期の島の風景写真は残っていない。武蔵の映画が多数製作されても、ロケはもちろん許可されなかった[5]

戦後、島に移住者があり一時は30世帯に達したが、のち再び減少し1973年には無人島に戻った。島にはが生息しており、彦島から渡ってきたのではないかといわれている[1]

観光編集

前項の経緯もあり、土地の大半を三菱重工業が所有していたが、島内の相当部分について下関市に譲渡され、2003年に公園として整備された(ただし三菱重工業の所有地は島内に残っており私有地である)。これは同年放送されたNHK大河ドラマ武蔵 MUSASHI』の放映にあわせたもの。島北端の船着場から北東一帯が公園として整備され、人工海浜、多目的広場、展望広場などが設けられている。公園から島の南東・南端にかけて遊歩道が整備されており、南端の遊歩道の終端部には休憩所が設けられている。

展望広場には宮本武蔵と佐々木小次郎の銅像が建立されている。小次郎の像は小次郎ゆかりの地である岩国市[6]出身の彫刻家・村重勝久の作で2002年12月に建立、武蔵の像は公募により廣瀬直樹のデザインを採用した。また、武蔵像は決闘の伝説になぞらえたかのように[7]、小次郎の像から遅れて2003年4月に建立されている。 他に巌流島文学碑、佐々木巌流の碑(1910年10月31日設置)、巌流島釣りデッキ(2003年10月完成)、散策道などがある[8]

5月のゴールデンウィークに開催される「しものせき海峡まつり」では、巖流島フェスティバルのイベントとして、コンサートや宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現などが行われる。

島内は禁煙であるほか、遊泳は禁止[2]である。また、公園・遊歩道部分以外のフェンスで仕切られた区域は三菱重工業所有地であり立入禁止となっている。島にトイレはあるが売店や自動販売機などはなく、ゴミを回収する施設は設けられていない。

舟島神社編集

島内には舟島神社[1](船島神社[9])がある。神社の創建年は不明だが、NHK大河ドラマ『武蔵』の放映の際の整備で地鎮大神と龍神大神の神石2柱が発見され、2002年に地元住民らにより社が建立された[9]。しかし、シロアリ被害を受け、2019年(令和元年)9月の台風17号で屋根や壁が崩落[9]。2022年4月から修復工事が行われ、建屋は造らず、神石2柱の下に新たに御影石を置いて台座を高くし、周りを囲む石組みも手直しするなどの整備が行われた[9]

交通編集

島の北端に船着場が設けられており、下関港唐戸桟橋)および北九州港門司港)から、関門汽船により船便が運航されているほか、彦島江の浦桟橋からのチャーター船なども運航されている。[10]

舞台になった主な作品編集

映画
ドラマ
漫画

関連項目編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 巌流島” (日本語). 関門海峡観光推進協議会. 2022年5月5日閲覧。
  2. ^ a b c 『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』第2版 p.607-608、2004年7月、財団法人日本離島センター、ISBN 4931230229
  3. ^ 決闘の相手については、そもそも「岩流」の名が先にあり「佐々木小次郎」という姓名自体が後からつけられたものだとする説もある。詳しくは、宮本武蔵#巖流島を参照。
  4. ^ 対岸に同社の大規模な造船所(下関造船所)が立地している。
  5. ^ 『日本映画の若き日々』(稲垣浩、毎日新聞社刊)
  6. ^ 大河ドラマの原作となった吉川英治作「宮本武蔵」では佐々木小次郎が周防国岩国出身として描かれている。なお、実際の小次郎は豊前国福岡県)あるいは越前国福井県)出身とする説が主流である。
  7. ^ 決闘のさい、武蔵が遅れて到着し小次郎を待たせたとされている。また、この除幕式には『武蔵 MUSASHI』で武蔵役を演じた市川新之助(当時)が招待されていたが、交通事情により羽田で予定の飛行機に搭乗できなかったため到着が30分ほど遅れている。
  8. ^ 関門汽船「巌流島」地元パンフレットより
  9. ^ a b c d 巌流島活性化へ「守り神」再建” (日本語). 山口新聞 (2022年4月23日). 2022年5月5日閲覧。
  10. ^ 巌流島航路のご案内 Archived 2015年7月15日, at the Wayback Machine. - 下関市(2011年2月27日閲覧)
  11. ^ 巌流島(1)”. 竜王戦中継plus. 2019年4月2日閲覧。
  12. ^ 「平成最後の大一番」…巌流島で記念の銘板除幕 : 囲碁・将棋” (日本語). 読売新聞オンライン (2019年3月30日). 2019年4月2日閲覧。

外部リンク編集

  • 巌流島 - 下関市観光政策課によるWEBサイト「楽しも!」内に在る巌流島案内ページ