メインメニューを開く

川和町

神奈川県横浜市都筑区の町名
日本 > 神奈川県 > 横浜市 > 都筑区 > 川和町

川和町(かわわちょう)は、神奈川県横浜市都筑区にある地名。丁番を持たない単独町名で、住居表示は未実施区域。周辺は住宅街や商店街が広がる。かつての都筑郡川和町(かわわまち)の中心地で、郡役所と町役場が置かれていた。町のシンボルは標高74mの川和富士。この記事では、旧自治体の川和町についても述べる。

川和町
川和町
川和町
川和町の位置(横浜市内)
川和町
川和町
川和町の位置
川和町の位置(神奈川県内)
川和町
川和町
川和町の位置
北緯35度32分14.35秒 東経139度32分52.45秒 / 北緯35.5373194度 東経139.5479028度 / 35.5373194; 139.5479028
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Yokohama, Kanagawa.svg 横浜市
都筑区
面積
 • 合計 1.698km2
人口
2017年(平成29年)12月31日現在)[2]
 • 合計 9,606人
 • 密度 5,700/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
224-0057[3]
市外局番 045 (横浜MA)[4]
ナンバープレート 横浜

目次

地理編集

都筑区西部に位置する。鶴見川の本流、谷本川が曲がったことから川和となったといわれている。集落は川の自然堤防にあった。かつては「河輪」「川輪」「川勾」とも書いた。古くは鎌倉街道中ノ道が通っており、交通の要所だった。

旧自治体編集

川和町
廃止日 1939年4月1日
廃止理由 編入合併
川和町都岡村二俣川村新治村田奈村
中里村山内村中川村新田村横浜市
現在の自治体 横浜市
廃止時点のデータ
  日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
都筑郡
総人口 5,689
国勢調査1935年
隣接自治体 横浜市
中里村、山内村、中川村、
新田村、新治村
川和町役場
所在地 神奈川県都筑郡川和町大字川和
 表示 ウィキプロジェクト

川和町神奈川県都筑郡にかつて存在した自治体でもある。

旧川和町の沿革編集

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、川和村、佐江戸村、池辺村、東方村、折本村、大熊村、川向村および本郷村の一部が合併して都田村が発足。
  • 1934年(昭和9年)4月1日 - 都田村が改称して川和村となる。
  • 1935年(昭和10年)9月30日 - 川和村が町制施行して川和町となる。
  • 1939年(昭和14年)
    • 4月1日 - 横浜市に編入。
    • 10月1日 - 旧川和町域が港北区の一部となる。
  • 1994年(平成6年)11月6日 - 港北区の再編により、旧川和町域が都筑区の一部となる。

旧川和町の交通編集

鉄道路線

道路

旧川和町の現在の町名編集

歴史編集

1977年9月に川和高校の東側で花見山遺跡が発見され、1300点もの遺物が見つかった。これにより1万年以上前から人々が生活していたことが判明した。

中世武蔵国都筑郡川和郷であった。戦国期にこの地を所領したのは北条綱成であるとされる。記録には、農民が借米をめぐって訴え、最終的には後北条氏評定衆が借米の催促を命じたとある。後北条氏はこの地に勢力を伸ばすと、小田原城を守り関東進出の拠点とするため、廃城と化していた小机城(今の港北区小机町)を修復。この城の支城として鶴見川沿いに川和城が整備された。川の合流する川和は交通において重要な地であった。

江戸時代になると都筑郡川和村(川輪村)となった。土地は増上寺領。家数は133軒という記録がある。後期には神奈川宿の助郷村(人馬を提供する助郷を負担する村)となる。

明治になると、1879年都筑郡役所が下川井から川和に移転して置かれ、以後は周辺地域の政治経済の中心地として栄えた。

1889年 - 町村制の施行により都筑郡に12村が置かれる。その1つとして、川和、池辺(いこのべ)、佐江戸、川向、大熊、折本、東方(ひがしかた)、本郷の飛び地を合併して都田(つだ)村が成立。本郷以外の7つの大字ができる。村役場は大字池辺に置かれた。

都田の由来は、都筑郡の「都」と田園地帯であったことから「田」を採ったものである。

本来は「都筑村」を名乗る予定であったが、下川井村等の合併村も「都筑村」を名乗るべく準備していたため、村名を巡る争いになった。結局丘陵地帯であった方が都岡村(「都筑の岡」の意。現在の横浜市旭区)、田園地帯であった方が都田村を名乗ることで収拾した経緯がある。大字川和の当時の人口630人。乳牛や養豚が盛んで、大正時代には川向のモモなどの栽培も盛んに行われた。

1913年 - 大字川和に神奈川県農工銀行川和出張所が置かれる。

1934年1月1日に町制を施行し改称、川和町(かわわまち)が成立。1939年横浜市港北区に編入され、大字川和の箇所に川和町(かわわちょう)が設置され、翌年、字山王原下に港北区役所川和出張所(のちの川和支所)が設置された。

※同じ表記だが、「都筑郡川和町」は一自治体であり川和を含む周辺地域の名称であるのに対し、「港北区川和町」は自治体が設置した一つの町であり範囲も旧川和村に限定されている。

1929年には、東京横浜電鉄(現在の東急バス)による乗合バスが東神奈川駅~川和間で運行を開始し、漸く公共交通機関が運行されるようになった。(なお、これ以前にも同区間には乗合馬車や乗合自動車が運行されていたが、後者はいわば現在の乗合タクシーに近い業態であったため、大量輸送機関の地区内乗り入れはこれが最初である。)1947年には横浜市営バスも乗り入れを開始した。

1962年鴨居駅の開業は企業進出の契機となり、工場が増える。同年には港北区民の強い誘致運動により、港北区初の県立高校である川和高等学校が設立。以後、厳しい指導や学区の細分化などにより、横浜北部学区のトップ校の地位を築いた。

1969年4月、港北区役所川和支所の管内をもって緑区が設置され、従来の川和支所の位置に緑区役所が置かれた。しかし、1972年4月に区役所庁舎が中山に移転するとこれまでの地域の中心地としての役割が薄れ、翌1973年4月に緑警察署(かつての川和警察署、現:川和町公舎、川和交番)も中山に移転。その後も川和郵便局(現在の緑郵便局、現:民間オフィス転用→マンション)が1991年に、緑土木事務所(区役所跡地に所在、現:児童養護施設)が1994年にそれぞれ中山へ移転し、1999年の横浜地方法務局川和出張所(現在の青葉出張所)の荏田への移転でかつての行政の中心地としての役割は完全に終了した。

1980年代後半より、乱開発を防ぐべく計画的に行われた港北ニュータウンの建設により急速に宅地化が進んだ一方、谷本川沿いなどには農地が広がる。1994年港北区・緑区の再編成に伴い、都筑区に編入。2008年3月30日横浜市営地下鉄グリーンラインが開通して川和町駅が開業。

川和の菊編集

江戸時代文政の頃から栽培されたは、「川和の菊」として国内で著名であった。菊は幕臣松浦氏から譲られたものであり、研究により栽培された新種の菊が宮内省に献上されたのがはじまりである。多くの皇族や著名人に親しまれた。今でも「川和の菊」と呼ばれる豪商の旧家が残っている。酒の醸造施設や150種類のツバキが集められているが、公開はしていない。川和小学校と川和中学校の校章はこの菊にちなんでいる。

川和の市編集

かつて、川和で市が開催された(川和の市)「元石川の鍛冶屋」「佐江戸の饅頭屋」など、各地から商人が集まってきた。昭和に入ると流通機関の発達などから徐々に衰退していった。

川和の虫送り編集

かつて7月25日に、農薬がなかったため、稲の害虫たいまつの火でおびき寄せて焼き殺してしまう行事が開催されていた(川和の虫送り)見物人が多く集まり、屋台も出て非常に賑わった。戦後は地域文化伝承のため数回行われたが、現在では火事の危険などもあり行われなくなった。いまでは都筑区南山田町で毎年7月に行われている虫送り行事が継承されている。(横浜市指定無形民俗文化財として平成17年指定)横浜市教育委員会ホームページ引用http://www.city.yokohama.lg.jp/kyoiku/topics/171014-03.html

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

町丁 世帯数 人口
川和町 4,267世帯 9,606人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]

番地 小学校 中学校
2603番地の8〜9
2606番地
2672番地
横浜市立東市ケ尾小学校 横浜市立市ケ尾中学校
その他 横浜市立川和小学校 横浜市立川和中学校

町周辺編集

 
川和富士
 
県立川和高校
1962年設立。旧横浜北部学区のトップ校。
都田小学校川和分校時代の川和小学校の旧校舎。川和町駅高架下に集会所機能が移されたことにより、2011年末に解体された。
江戸時代末期に築かれた郷土富士。遠望が利き、川和のシンボルとなっている。

主な小字編集

「城」に関する小字は、かつて川和城があった名残である。

  • 城古場(ぎこば)
  • 貝坂(かいさか)
  • 城山(しろやま)
  • 妙蓮寺下(みょうれんじした)
  • 山王原(さんのうばら)
  • 河輪森(かわわもり)
八幡神社周辺に多くの木が生い茂っていたことから由来する
  • 上サ(かさ)
町の中心より上にあるからという説と、花山天皇が八幡神社でお参りした時、ここに立ち寄ったことから、「花山」が「上山」となり、「上サ」に変化したという説などがある
  • 宿(しゅく)
かつて市が開かれたことから由来する
  • 中村(なかむら)
かつて河輪村の中心部にあったことから由来する

隣接地域編集

関連項目編集

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ 横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2016年3月31日). 2018年1月24日閲覧。
  2. ^ a b 横浜の人口 - 登録者数(市・区・町・外国人) - 町丁別世帯と男女別人口”. 横浜市 (2017年12月31日). 2018年1月24日閲覧。
  3. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月23日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月23日閲覧。
  5. ^ 小中学校等通学区域”. 横浜市 (2017年11月15日). 2018年1月24日閲覧。