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川崎型油槽船(かわさきがたゆそうせん)とは、1933年(昭和8年)から1943年(昭和18年)の間に川崎造船所および川崎重工業(双方とも、以降「川崎」と略する)で建造されたタンカーの形式であるが、「川崎型油槽船」という呼称は川崎自身がつけたものではない。ウィキペディア英文版では "Kawasaki type oiler" としているが、これも英語における正式な呼称ではない。翻訳家で模型製作者でもある岩重多四郎は「東亜丸クラス」、「川崎型タンカー」と呼称している[2]。本項では、英文版からの翻訳および実際にこの呼称を使用している書籍があることを重んじて[注釈 1]、正式な呼称ではないものの、「川崎型油槽船」という名称を使用する。

川崎型油槽船
Kawasaki type tanker.jpg
「極東丸」(左)、「国洋丸」、「日本丸」、「神国丸」(右)。1941年12月1日
基本情報
船種 タンカー
運用者 飯野海運
川崎汽船
山下汽船
浅野物産
日本水産
日東汽船
国洋汽船
神戸桟橋
日本油槽船
建造所 川崎造船所/川崎重工業
建造費 東亜丸:250万円[1]
建造期間 1933年 - 1943年
就航期間 1934年 - 1964年
建造数 13隻
前級 富士山丸
次級 1TL型戦時標準船
要目
排水量 おおむね10,000トン
長さ おおむね 152 m Lpp
おおむね 20.0 m
喫水 おおむね 11.4 m
主機関 ディーゼル機関1基
速力 おおむね 20ノット
この表では川崎型油槽船のみを記載
船ごとのデータは「要目一覧」参照
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太平洋戦争突入前に整備された1万トン級タンカー船隊において13隻もの一大勢力を誇り、いずれもが高速を誇って日本への石油輸送に任じたが、太平洋戦争のためすべて軍に徴傭された。戦争によって13隻すべてが失われたが、戦後に一隻が再生して改造の上就航した。本項では主に建造までの背景を説明し、船歴については略歴の形で一覧としてまとめている。単独項目として作成されている船に関しては、そちらも参照されたい。また付録として、同時期に建造された他の造船所建造の1万トン級タンカーについても、比較のため説明する。

建造までの背景編集

虎丸」(スタンダード石油、531トン)[注釈 2]に始まる日本の動力付きタンカーは、早くも1910年(明治43年)建造の「紀洋丸」(東洋汽船、9,287トン)で1万トンに迫る大きさのものができ上がっていた[注釈 3]1921年(大正10年)建造の「橘丸」(帝国石油、6,539トン)は「典型的近代型油槽船のひな形」とも呼ばれ[3]日本海軍でも大正時代末期から艦艇燃料を石炭から石油に切り替える事情があって[4]知床型給油艦隠戸型給油艦を整備していた。大正から昭和初期にかけては、主に播磨造船所横浜船渠三菱長崎造船所で多くの大型タンカーが建造されるようになるが、性能や要目の面で統一感があったわけではなかった[5]。飯野商事(飯野海運)が日本海軍の優秀タンカー建造政策に応えて1931年(昭和6年)に建造した「富士山丸」(飯野商事、9,527トン)は、初めて2条の縦通隔壁を渡して強度を与え、その他機器類なども新型のものを取りそろえて「当時のタンカーの標準型」と目された[6]。その飯野商事は、「富士山丸」と特務艦「野間」の後身である「日本丸」(5,841トン)に続く3隻目の外航タンカーの整備計画を策していた[7]

一方、長い不況に陥っていた日本の海運業界は、1932年(昭和7年)から始まった船舶改善助成施設で一気に活気づくこととなった[8]。ところが、この助成政策の対象となって建造される船は当初、貨客船貨物船であって、タンカーは対象外だったが、そこに割って入ったのが日本海軍だった[9]。もともと、船舶改善助成施設で建造される船舶には日本海軍の要求で、甲板までの高さ、船倉口の広さおよび砲を備え付けた際の強度と工事実施の際の経費が盛り込まれており、一朝有事の際には特設艦船に転用できるようになっていたのが船舶改善助成施設で建造される船舶であって、船舶改善助成施設の「裏の目的」[注釈 4]でもあった[9]。さきに述べた日本海軍の優秀タンカー建造政策で建造された「富士山丸」や「帝洋丸」(日東汽船、9,849トン)なども備砲設置位置や速力などの点で海軍側の要求がふんだんに盛り込まれたタンカーではあった[10]。しかし、船舶改善助成施設適用のタンカーをこれまで民間向け大型タンカーを建造した実績のある播磨造船所や横浜船渠、三菱長崎造船所ではなく、民間向けタンカーの建造実績がなかった川崎[11]に建造させるにいたった詳しい経緯ははっきりしない。時系列的に二通りの解釈があって、「日本海軍が飯野商事に川崎でタンカーを建造することを要請した」と[9]、「飯野商事が川崎にタンカー建造を発注し、そこに日本海軍からの要求が盛り込まれることになった」の二つがある[12]。いずれにせよ、川崎が海軍艦艇建造で実績のあったことから艦政本部の指導の下で当該タンカーの建造が進められ[13]、往航時に手ぶらで航行するデメリット対策として生糸搭載スペースが設けられたが、これは有事の際には弾火薬庫に転用できるようになっていた[9]。このように、何かと日本海軍の指導が入りつつ建造されたタンカーが、いわゆる「川崎型油槽船」であった。

一覧編集

出典は川崎の記録によるもので、順番は建造番号順である[14]。また、「備考」欄の○印は船舶改善助成施設適用船を示し、●印は優秀船舶建造助成施設適用船を示す(#川崎型以外の1万トン級タンカーでも同様)[15][16]

川崎型油槽船一覧表
船名 船主 起工 進水 竣工 備考
東亜丸 飯野商事 1933年4月24日 1934年4月2日 1934年6月23日 [15]
極東丸 飯野商事 1933年11月25日 1934年10月11日 1934年12月15日 [15]
建川丸 川崎汽船 1934年10月20日 1935年4月20日 1935年6月30日
日本丸 山下汽船 1935年10月18日 1936年4月24日 1936年6月30日
東邦丸 飯野商事 1936年5月1日 1936年10月31日 1936年11月24日
玄洋丸 浅野物産 1937年6月12日 1937年12月30日 1938年4月28日 [16]
日栄丸 日東汽船 1937年9月4日 1938年4月15日 1938年6月30日 [16]
東栄丸 日東汽船 1938年4月15日 1938年10月24日 1939年2月21日 [16]
厳島丸 日本水産 1937年4月21日 1937年9月4日 1937年12月20日 [16]
国洋丸 国洋汽船 1938年6月17日 1938年12月26日 1939年5月16日 [16]
健洋丸 国洋汽船 1938年6月29日 1939年4月5日 1939年10月28日 [16]
神国丸 神戸桟橋 1938年10月25日 1939年12月13日 1940年2月28日 [16]
久栄丸 産業設備営団(日東汽船) 1942年11月20日 1943年6月3日 1943年9月6日

特徴編集

船型は逓信省船舶研究所で研究されたもので、船首はやや前方に傾斜を持たせ、船尾はいわゆる「巡洋艦式」(クルーザースターン)と呼ばれる形状で、「流麗な外観を有する」ものであった[17]。内部区画の形状は事実上前形式にあたる「富士山丸」から継承したもので、2条の縦通隔壁を渡して強度を持たせ、異種類の油を同時に搭載可能なように区切られていた[17][18][19]。上述の弾火薬庫に転用可能な生糸搭載スペースや特殊タンクのほか、洋上給油が可能な設備も建造の時点で揃えており、いつ何時でも戦時使用ができるようになっていた[19]。機関は最終船の「久栄丸」を除いて川崎製のMAN型ディーゼル機関1基を搭載し、「久栄丸」のみは大阪商船の貨客船「あるぜんちな丸」(12,755トン)が搭載していた三菱MS型ディーゼル機関を転用した[20]

就役編集

第一船「東亜丸」の竣工後、川崎では続々と同型船を建造していった。その影には、すべての同型船の建造がそうだったわけではないが、海軍出身で川崎の艦船工場長を務めていた吉岡保貞の働きがあった。一例として、浅野物産がタンカーの建造を行うか否かの検討を重ね、いったんは自重と決まったことがあった[21]。その話を所用で上京していた吉岡が聞きつけ、同型船を繰り返し建造していることや国策を持ち出して翻意を求め、話を聞いた浅野物産は自重を撤回してタンカー「玄洋丸」の建造を決めた[22]。吉岡はなぜ浅野物産に翻意を求めたのか。浅野物産との交渉中に行った川崎の社長である鋳谷正輔との電話の中で吉岡は、「かつて浅野物産は損得抜きで海軍に燃料を納入してくれたので、その恩に報いたい」という趣旨のことを話しており、これがきっかけで建造契約が結ばれた[23]。山下汽船が「日本丸」を建造する際にも、海軍の斡旋があった[24]

会社の新規事業のために川崎型油槽船を求めたところもあった。昭和金融恐慌で破綻した川崎の影響を受けた川崎汽船は、再建の一環としてタンカー事業に乗り出し、海外船の傭船とともに「建川丸」を建造して就航させ、利益をもたらした[25]。また共同漁業(現・日本水産)は、新たに南氷洋捕鯨を行うにあたり、捕鯨船団への補給と鯨油輸送のために優秀船舶建造助成施設を利用してタンカーを発注[26]。これが「厳島丸」となった。その他の同型船も北アメリカオハスマトラ島からの原油輸入に活躍した。運航ペースは「東亜丸」と「極東丸」を例にとると、「往航11昼夜・復航13昼夜・積み荷1日・荷揚げ2日」というもので、「その運航採算はきわめて好調であった」[27]。もっとも、「極東丸」が1938年(昭和13年)に特設運送艦として徴傭され[28]、また「久栄丸」の建造が空母大鳳」建造の影響[13]で太平洋戦争中にずれ込んだことで、同型船すべてが同じ時期に民間船として活躍することはなかった。

太平洋戦争開戦後は全船が日本海軍の特設運送艦、特設運送船(給油)および海軍徴傭船のいずれかとなり、戦禍により一旦は全て姿を消した。「極東丸」のみは戦争終結後に引き揚げられ、日本油槽船の「かりほるにあ丸」として再生し、1964年(昭和39年)まで活動した。

川崎型以外の1万トン級タンカー編集

この節では、川崎型油槽船と同時期の建造された1万トン級タンカーについて解説する。下表の「備考」欄の○印は船舶改善助成施設適用船を示し、●印は優秀船舶建造助成施設適用船を示す。

川崎型以外の1万トン級タンカー一覧表
船名 船主 建造所 起工 進水 竣工 出典 備考
音羽山丸 三井船舶 三井物産造船部 1935年5月2日 1935年12月14日 1936年3月31日 [29]
御室山丸 三井船舶 三井物産造船部 1936年3月17日 1936年10月17日 1937年1月15日 [29] [15][30]
あかつき丸 日本海運 播磨造船所 1937年6月21日 1938年8月20日 1938年10月31日 [31] [15]
あけぼの丸 日本海運 播磨造船所 1938年1月25日 1939年6月10日 1939年8月15日 [31]
黒潮丸 中外海運 播磨造船所 1938年1月21日 1938年12月8日 1939年2月28日 [31] [15]
日章丸 昭和タンカー 三菱横浜船渠 1937年8月10日 1938年6月13日 1938年11月29日 [32] [15]

特徴・就役編集

船体の特徴としては「川崎型油槽船と実質同じで、「姉妹船」」という見方がある[33]。船舶改善助成施設や優秀船舶建造助成施設の適用、「富士山丸」以来の2条の縦通隔壁を渡して強度を持たせた点については共通しているが[34][35]、川崎建造分や戦時標準船とは異なり、建造された造船所ごとにスペックなどが異なったりしている。なかでも、「日章丸」は船体の至るところに「流線形」を取り入れ、「日本油槽船の史上に残る名船」とうたわれた[32]。また「黒潮丸」は、ディーゼル機関を搭載した他のタンカーと違ってタービン機関を搭載し、太平洋戦争中に建造された戦時標準船中の1TL型、2TL型といったタンカーが若干の例外を除いてタービン機関を搭載したため[注釈 5]、そのプロトタイプとも言うべき存在となった[36][注釈 6]。ディーゼル機関搭載船も、それぞれ建造造船所やその関連会社が製作した機関を搭載している。「音羽山丸」と「御室山丸」には流動面積減少装置が取り付けられ[37]、また本項で紹介するタンカーの中では一番小ぶりの部類に入る。

川崎型油槽船と同じよう平時は商業航海に従事し、太平洋戦争では「音羽山丸」のみは日本陸軍の指揮下で運航され[37]、他は日本海軍に徴傭されて行動した。この節で紹介したタンカーも全て一度は戦没し、「黒潮丸」だけが戦後に中華民国政府により浮揚されて「永灝」と改名[38]、後にイギリス政府に接収されて給油艦「サーフ・パイロット」となっている[39]

行動略歴編集

「川崎型油槽船」および「川崎型以外の1万トン級タンカー」双方すべてを掲載している。

船名 行動略歴
日付 概要
東亜丸 1934年から1941年 商業航海を67航海(海軍向け38、民間向け29)を行い、725,889トン強の石油を還送[1][注釈 7]
1941年9月1日 日本海軍に徴傭、特設運送船[40]
1941年12月1日 第六艦隊付属[41][42][43]
1942年4月11日 連合艦隊主力部隊補給部隊[44]
1942年5月21日 連合艦隊北方部隊補給部隊[45]
1942年12月10日 ショートランドで爆撃を受け、至近弾により損傷[46]
1943年11月25日 北緯08度22分 東経158度00分 / 北緯8.367度 東経158.000度 / 8.367; 158.000の地点でアメリカ潜水艦「シーレイヴン」の雷撃により沈没
1944年1月5日 除籍・解傭[40]
極東丸
旭東丸/大八州丸
かりほるにあ丸
1934年から1938年 商業航海を35航海(海軍向け24、民間向け8)を行い、362,794トン強の石油を還送[47][注釈 8]
1938年7月1日 日本海軍に徴傭、特設運送艦[28]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊兼第一補給部隊旗艦[42][48]
1942年1月15日 大八洲丸」(飯野)、「旭東丸」(海軍)と改名[28]
1944年2月25日 アメリカ潜水艦「ホー」の雷撃により損傷、6月18日まで昭南(シンガポール)で修理[49]
1944年5月6日 第一機動艦隊補給部隊[50]
1944年8月10日から9月1日 ヒ71船団加入
1944年9月1日から9月20日 神威」船団加入、マニラ回航
1944年9月21日 マニラにてアメリカ第38任務部隊機の空襲により大破、放棄
1945年3月10日 除籍・解傭[28]
1951年 船体引き揚げ、日本油槽船が購入
1952年9月5日 日立造船桜島工場で修理・改造完成。「かりほるにあ丸」と命名
1964年7月21日 除籍・解体
建川丸 1935年から1941年 商業航海を55航海(海軍向け38、民間向け17)を行い、698,586トンの石油を還送[51]
1941年12月20日 日本海軍に徴傭、一般徴傭船[52]
1943年9月1日 特設運送船[52]
1944年5月3日 第一機動艦隊付属[53]
1944年5月24日 北緯05度46分01秒 東経125度42分01秒 / 北緯5.76694度 東経125.70028度 / 5.76694; 125.70028の地点でアメリカ潜水艦「ガーナード」の雷撃により沈没[54]
1944年7月20日 除籍・解傭[52]
日本丸 1936年から1941年 商業航海
1941年9月7日 日本海軍に徴傭、特設運送船[55]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊第二補給隊[42][48]
1944年1月14日 北緯05度02分 東経140度43分 / 北緯5.033度 東経140.717度 / 5.033; 140.717の地点でアメリカ潜水艦「スキャンプ」の雷撃により沈没
1944年3月10日 除籍・解傭[55]
東邦丸 1936年から1941年 商業航海を51航海(海軍向け34、民間向け17)を行い、503,206トン強の石油を還送[27][注釈 9]
1941年8月20日 日本海軍に徴傭、特設運送船[40]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊第二補給隊旗艦[42][48]
1942年3月10日 連合艦隊南洋部隊[56]
1943年3月29日 南緯00度30分 東経118度26分 / 南緯0.500度 東経118.433度 / -0.500; 118.433の地点でアメリカ潜水艦「ガジョン」の雷撃により沈没
1943年5月1日 除籍・解傭[40]
玄洋丸 1938年から1941年 商業航海
1941年11月20日 日本海軍に徴傭、特設運送船[57]
1941年12月1日 連合艦隊南方部隊補給部隊[58]
1942年2月20日 鵝鑾鼻近海で陸軍輸送船「だかあ丸」(日本郵船、7,169トン)と衝突[59]
1942年5月21日 連合艦隊攻略部隊補給隊[45]
1944年5月6日 第一機動艦隊補給部隊[50]
1944年6月20日 アメリカ第58任務部隊機の爆撃を受け航行不能、北緯15度35分 東経133度30分 / 北緯15.583度 東経133.500度 / 15.583; 133.500の地点で駆逐艦卯月」により砲撃処分(マリアナ沖海戦[60]
1944年8月10日 除籍・解傭(8月20日)[57]
日栄丸 1938年から1941年 商業航海
1941年10月31日 日本海軍に徴傭、特設運送船[61]
1941年12月1日 連合艦隊南方部隊補給部隊[58]
1942年8月17日 アメリカ潜水艦「ガジョン」の雷撃により損傷[62][63]
1944年5月6日 第一機動艦隊補給部隊[50]
1944年10月16日 第一遊撃部隊補給部隊[64]
1944年12月14日 第二遊撃部隊付属[62]
1945年1月6日 北緯06度45分 東経102度55分 / 北緯6.750度 東経102.917度 / 6.750; 102.917の地点でアメリカ潜水艦「ベスゴ」の雷撃により沈没
1945年3月10日 除籍・解傭[61]
東栄丸 1939年から1940年 商業航海
1940年12月23日 日本海軍に徴傭、特設運送船[40]
1941年7月1日 特設運送艦[40]
1941年10月15日 特設運送船[40]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊第二補給隊[42][48]
1942年4月11日 連合艦隊主力部隊補給隊[65]
1943年1月18日 北緯06度19分 東経150度15分 / 北緯6.317度 東経150.250度 / 6.317; 150.250の地点でアメリカ潜水艦「シルバーサイズ」の雷撃により沈没
1943年4月1日 除籍・解傭[40]
厳島丸 1937年から1941年 商業航海(捕鯨船団随伴など)
1941年11月22日 日本海軍に徴傭、一般徴傭船[66]
1943年9月1日 特設運送船[66]
1944年5月9日 第一機動艦隊補給部隊[67]
1944年6月22日 アメリカ潜水艦「ナーワル」の雷撃により損傷
1944年10月16日 第一遊撃部隊補給部隊[64]
1944年10月26日 北緯07度17分 東経116度45分 / 北緯7.283度 東経116.750度 / 7.283; 116.750の地点でアメリカ潜水艦「バーゴール」の雷撃により大破
1944年11月1日 退避先のボルネオ島マルツ湾で爆撃を受け沈没
1944年12月10日 除籍・解傭[66]
国洋丸 1939年から1940年 商業航海
1940年11月16日 日本海軍に徴傭、特設運送船[68]
1941年6月15日 特設運送艦[68]
1941年10月15日 特設運送船[68]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊第一補給隊[42][48]
1944年5月6日 第一機動艦隊補給部隊[50]
1944年7月30日 北緯06度07分 東経120度00分 / 北緯6.117度 東経120.000度 / 6.117; 120.000の地点でアメリカ潜水艦「ボーンフィッシュ」の雷撃により沈没
1944年9月10日 除籍・解傭(9月20日)[68]
健洋丸 1939年から1941年 商業航海
1941年8月17日 日本海軍に徴傭、特設運送船[57]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊第一補給隊[42][48]
1944年1月14日 北緯05度23分 東経141度32分 / 北緯5.383度 東経141.533度 / 5.383; 141.533の地点でアメリカ潜水艦「ガードフィッシュ」の雷撃により沈没
1944年3月10日 除籍・解傭[57]
神国丸 1940年から1941年 商業航海(川崎汽船の傭船[69]
1941年8月18日 日本海軍に徴傭、特設運送船[70]
開戦時 第一航空艦隊補給部隊第一補給隊[42][48]
1942年8月17日 アメリカ潜水艦「ガジョン」の雷撃により損傷[63]
1943年7月7日 アメリカ潜水艦「ピート」の雷撃により損傷[71]
1944年2月17日 トラック諸島にてアメリカ第58任務部隊機の空襲により沈没(トラック島空襲
1944年3月31日 除籍・解傭[70]
久栄丸 1943年10月15日 海軍に入籍、特設運送船[61]
1943年12月21日 ヒ27船団加入
1943年12月27日 北緯21度25分 東経118度05分 / 北緯21.417度 東経118.083度 / 21.417; 118.083の地点でアメリカ潜水艦「フライングフィッシュ」の雷撃により沈没
1944年2月5日 除籍・解傭[61]
音羽山丸 1939年から1941年 商業航海
1941年12月 日本陸軍徴傭船[37]
1943年10月 解傭・船舶運営会使用船[37]
1944年12月8日 ヒ82船団加入
1944年12月22日 北緯15度02分 東経109度08分 / 北緯15.033度 東経109.133度 / 15.033; 109.133の地点でアメリカ潜水艦「フラッシャー」の雷撃により沈没
御室山丸 1939年から1941年 商業航海
1942年1月12日 日本海軍に徴傭、一般徴傭船[72]
1943年9月1日 特設運送船[72]
1944年12月8日 ヒ82船団加入
1944年12月22日 北緯15度02分 東経109度08分 / 北緯15.033度 東経109.133度 / 15.033; 109.133の地点でアメリカ潜水艦「フラッシャー」の雷撃により沈没
1945年2月1日 解傭・除籍(2月10日)[72]
あかつき丸 1938年から1941年 商業航海
1941年11月17日 日本海軍に徴傭、一般徴傭船[73]
1943年5月28日 北緯27度40分 東経125度55分 / 北緯27.667度 東経125.917度 / 27.667; 125.917の地点でアメリカ潜水艦「ソーリー」の雷撃により沈没
1943年6月30日 解傭[73]
あけぼの丸 1939年から1941年 商業航海
1941年12月7日 日本海軍に徴傭、特設運送船[74]
1942年3月10日 連合艦隊南方部隊補給隊[75]
1942年5月21日 連合艦隊攻略部隊補給隊[45]
1942年6月4日 ミッドウェー島近海で航空機からの雷撃を受けて損傷(ミッドウェー海戦[76]
1943年6月9日 アメリカ潜水艦「グリーンリング」の雷撃により損傷[71]
1944年1月7日 アメリカ潜水艦「レイトン」の雷撃により損傷[77]
1944年3月30日 パタ07船団加入
1944年3月31日 パラオにてアメリカ第58任務部隊機の空襲により沈没(パラオ大空襲
1944年5月10日 除籍・解傭[74]
黒潮丸 1939年から1941年 商業航海
1941年8月15日 日本海軍に徴傭、特設運送船[78]
1941年12月1日 連合艦隊南方部隊補給隊[79]
1942年3月20日 除籍[78]
1942年5月1日 解傭[78]
(時期不詳) 日本陸軍徴傭船
1944年12月31日 ヒ87船団加入
1945年1月21日 高雄にてアメリカ第38任務部隊機の空襲により沈没
1947年から1948年6月 中華民国が船体引き揚げ、中國油輪公司が取得[38]
1948年7月から1951年4月 ホンコン・アンド・ワンポア・ドック英語版造船所(黄埔船廠)で修理[38]
1951年4月 イギリス政府が徴用、イギリス海軍補助艦隊の給油艦「サーフ・パイロット」と改名[39]
1960年3月 除籍[39]
日章丸 1938年から1941年 商業航海
1942年2月23日 日本海軍に徴傭、特設運送船[61]
1942年10月24日 アメリカ潜水艦「トリガー」の雷撃により損傷
1943年7月19日 第三艦隊補給部隊[80]
1943年11月3日 カビエン近海で爆撃により損傷[81]
1944年2月25日 北緯05度50分 東経126度00分 / 北緯5.833度 東経126.000度 / 5.833; 126.000の地点でアメリカ潜水艦「ホー」の雷撃により沈没
1944年3月31日 除籍・解傭[61]

要目一覧編集

「川崎型油槽船」および「川崎型以外の1万トン級タンカー」双方すべてを掲載している。

船名 総トン数/ (載貨重量トン数) 全長/垂線間長 型幅 型深 主機/馬力(最大) 最大速力 出典
東亜丸 10,052トン
(13,747トン)
158.1 m Loa
152.4 m Lpp
19.81 m 11.28 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
8,611 馬力
18.4 ノット [82][83]
極東丸 10,051トン
(12,192トン)
158.1 m Loa
152.4 m Lpp
19.81 m 11.28 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
8,963 馬力
18.4 ノット [82][84]
建川丸 10,090トン
(13,691トン)
153.1 m Lpp 19.81 m 11.3 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
10,733 馬力
20.5 ノット [85][86]
日本丸 9,974トン
(13,553トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
9,773 馬力
19.2 ノット [85][87]
東邦丸 9,997トン
(13,431トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
9,903 馬力
20.1 ノット [82][88]
玄洋丸 10,018トン
(13,573トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,000 馬力
19.6 ノット [85][89]
日栄丸 10,020トン
(13,450トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,630 馬力
19.97 ノット [90][91]
東栄丸 10,022トン
(13,450トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,280 馬力
19.373 ノット [90][92]
厳島丸 10,006トン
(13,399トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,000 馬力
19.7 ノット [90][93]
国洋丸 10,026トン
(13,539トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,405 馬力
19.5 ノット [36][94]
健洋丸 10,024トン
(13,579トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,045 馬力
20.2 ノット [36][95]
神国丸 10,020トン
(13,587トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 川崎MAN型 D8Z-70/120 ディーゼル機関1基1軸
11,565 馬力
19.7 ノット [36][96]
久栄丸 10,171トン
(13,989トン)
160.2 m Loa
153.39 m Lpp
19.8 m 11.32 m 三菱 MS11-72/125 ディーゼル機関1基1軸
7,360 馬力
17.6 ノット [97]
音羽山丸 9,204トン
(11,925トン)
149.79 m Lpp 19.81 m 10.97 m 三井B&W型 ディーゼル機関1基1軸
9,039 馬力
18.8 ノット [90][98]
御室山丸 9,204トン
(11,913トン)
149.79 m Lpp 19.81 m 10.97 m 三井B&W型 ディーゼル機関1基1軸
8,360 馬力
19.09 ノット [90][99]
あかつき丸 10,110トン
(14,236トン)
160.2 m Loa
153.78 m Lpp
19.81 m 11.43 m 神鋼スルザー型 4気筒ディーゼル機関1基1軸
10,678 馬力
20.1 ノット [31][36][100]
あけぼの丸 10,121トン
(14,225トン)
160.2 m Loa
153.78 m Lpp
19.81 m 11.43 m 神鋼スルザー型 4気筒ディーゼル機関1基1軸
10,820 馬力
20.0 ノット [31][36][101]
黒潮丸 10,518トン
(14,960トン)
160.2 m Loa
153.82 m Lpp
20.12 m 11.43 m 川崎式ラ・モント汽缶英語版3基
石川島二段減速タービン1基
11,855 馬力
20.6 ノット [31][36][102]
日章丸 10,526トン
(14,055トン)
169.0 m Loa
159.0 m Lpp
20.0 m 12.0 m 三菱横浜MAN型 ディーゼル機関1基1軸
11,777 馬力
19.6 ノット [36][103]

ギャラリー編集

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 例えば#松井p.46, pp.139-140 で使われている。また、ウィキペディア英文版では「東亜丸」、「極東丸」を「東亜丸クラス」、「建川丸」以降を「建川丸クラス」とも分類している。
  2. ^ 建造当時(#松井p.2,4)。
  3. ^ 「紀洋丸」は建造中に貨客船に改装されており、大正10年にタンカーに復旧(#松井pp.6-7)
  4. ^ 「表の目的」は、中古船の一掃と造船技術の確保である(#飯野60年の歩みpp.432-433)。
  5. ^ 「若干の例外」は、2TL型の「さばん丸」(三菱汽船)と「玉栄丸」(日東汽船)で、それぞれ潜水母艦剣崎」と「大鯨」が使用していたディーゼル機関を搭載(#松井p.166)
  6. ^ ついでに言えば、戦後建造のマンモスタンカーのうち、「ノック・ネヴィス」や「日精丸」なども主機はタービン機関である。
  7. ^ 「東亜丸」の昭和16年度の輸送量は不明(#飯野60年の歩みp.434)
  8. ^ 昭和13年度の荷主内訳と輸送量は不明(#飯野60年の歩みp.435)
  9. ^ 「東邦丸」の昭和16年度の輸送量は不明(#飯野60年の歩みp.439)

出典編集

  1. ^ a b #飯野60年の歩みp.434
  2. ^ 1/700戦時輸送船模型集・日本丸” (日本語). Rosebury Yard. 岩重多四郎. 2012年7月16日閲覧。
  3. ^ #松井p.9
  4. ^ #川崎汽船五十年史p.366
  5. ^ #松井pp.10-11, pp.18-19, pp.30-31
  6. ^ #飯野60年の歩みpp.430-431
  7. ^ #飯野60年の歩みp.433
  8. ^ #正岡pp.15-16
  9. ^ a b c d #正岡p.16
  10. ^ #正岡p.25
  11. ^ #川重社史pp.259-260
  12. ^ #松井pp.138-139
  13. ^ a b #松井p.139
  14. ^ #川重社史年表諸表pp.184-189, pp.192-193
  15. ^ a b c d e f g #正岡pp.22-23
  16. ^ a b c d e f g h #飯野60年の歩みp.440
  17. ^ a b #川崎汽船五十年史p.500
  18. ^ #飯野60年の歩みp.434
  19. ^ a b #松井p.40
  20. ^ #野間p.585
  21. ^ #川重社史p.279
  22. ^ #川重社史pp.279-280
  23. ^ #川重社史p.280
  24. ^ #松井pp.50-51
  25. ^ #川崎汽船五十年史p.105
  26. ^ #松井pp.58-59
  27. ^ a b #飯野60年の歩みp.439
  28. ^ a b c d #特設原簿p.99
  29. ^ a b #三十五年史p.59
  30. ^ #松井p.57
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  32. ^ a b #松井p.63
  33. ^ 1/700戦時輸送船模型集・あけぼの丸” (日本語). Rosebury Yard. 岩重多四郎. 2012年7月16日閲覧。
  34. ^ #三十五年史p.53
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  43. ^ #六艦1701p.9
  44. ^ #連合艦隊1612p.17,24
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  46. ^ #二水戦1712p.16
  47. ^ #飯野60年の歩みp.434
  48. ^ a b c d e f g #補給問題
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  82. ^ a b c #松井pp.38-39
  83. ^ #日本汽船名簿・東亜丸
  84. ^ #日本汽船名簿・極東丸
  85. ^ a b c #松井pp.48-49
  86. ^ #日本汽船名簿・建川丸
  87. ^ #日本汽船名簿・日本丸
  88. ^ #日本汽船名簿・東邦丸
  89. ^ #日本汽船名簿・玄洋丸
  90. ^ a b c d e #松井pp.56-57
  91. ^ #日本汽船名簿・日栄丸
  92. ^ #日本汽船名簿・東栄丸
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  94. ^ #日本汽船名簿・国洋丸
  95. ^ #日本汽船名簿・健洋丸
  96. ^ #日本汽船名簿・神国丸
  97. ^ #松井pp.139-141
  98. ^ #日本汽船名簿・音羽山丸
  99. ^ #日本汽船名簿・御室山丸
  100. ^ #日本汽船名簿・あかつき丸
  101. ^ #日本汽船名簿・あけぼの丸
  102. ^ #日本汽船名簿・黒潮丸
  103. ^ #日本汽船名簿・日章丸

参考文献編集

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050081000『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、40頁。
    • Ref.C08050081000『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、41頁。
    • Ref.C08050081000『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、48頁。
    • Ref.C08050081000『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、49頁。
    • Ref.C08050081000『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、50頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、1頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、2頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、3頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、4頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、5頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、6頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、7頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、8頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、9頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、10頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、11頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、38頁。
    • Ref.C08050081100『昭和十七年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一(上)』、39頁。
    • Ref.C08030017800『昭和十六年十二月一日 昭和十六年十二月三十一日 連合艦隊戦時日誌別冊第一 補給並二補給艦船ノ行動』。
    • Ref.C08030020400『自昭和十七年一月一日至昭和十七年一月三十一日 第六艦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030020500『自昭和十七年二月一日至昭和十七年二月二十八日 第六艦隊戦時日誌』、1-29頁。
    • Ref.C08030017900『連合隊戦時日誌別冊第一第六補給並補給艦船ノ行動(六月分) 連合艦隊司令部』。
    • Ref.C08030099600『自昭和十七年十二月一日至昭和十七年十二月三十一日 第二水雷戦隊戦時日誌』。
    • Ref.C08030685100『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 特設運送船(給油船)日栄丸戦時日誌』。
    • Ref.C08030681100『自昭和十九年五月九日至昭和十九年五月三十一日 厳島丸戦時日誌』、18-30頁。
    • Ref.C08030644600『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 (旭東丸)戦時日誌』。
    • Ref.C08030685700『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 特設運送船(給油船)日栄丸戦時日誌』。
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  • 三井造船(編)『三十五年史』三井造船、1953年。
  • 三菱造船(編)『創業百年の長崎造船所』三菱造船、1957年。
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  • 川崎重工業(編)『川崎重工業株式会社社史 年表・諸表』川崎重工業、1959年。
  • 播磨造船所(編)『播磨造船所50年史』播磨造船所、1960年。
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6
  • 川崎汽船株式会社(編)『川崎汽船五十年史』川崎汽船、1969年。
  • 木俣滋郎『写真と図による 残存帝国艦艇』図書出版社、1972年。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年。
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9
  • 木俣滋郎「ハワイ作戦での補給問題」『写真・太平洋戦争(1)』雑誌「」編集部(編)、光人社、1988年、16-17頁。ISBN 4-7698-0413-X
  • 松井邦夫『日本・油槽船列伝』成山堂書店、1995年。ISBN 4-425-31271-6
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。
  • 正岡勝直「日本海軍特設艦船正史」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、 6-91頁。
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年、 92-240頁。

関連項目編集