川崎 守之助(かわさき もりのすけ、1905年2月26日[1] - 1977年9月10日[2])は、日本経営者教育者初代川崎八右衛門の孫で、2代目川崎八右衛門の長男[1]東京川崎財閥第3代当主。千葉工業大学第6代理事長。妻は有島生馬の長女・暁子[1]

来歴・人物 編集

川崎守之助邸 編集

1934年に父の2代目川崎八右衛門が守之助の自邸として東京麻布(現・東京都港区南麻布4-11-2)に建設した[5]。本邸はアントニン・レーモンド設計の2階建てRC構造の洋館で、敷地内には同じくレーモンド設計の蔵のほか、日本人建築家による使用人の住居用の和館が建てられた[6]。レーモンドはこの設計に格別力を注ぎ、担当には事務所員の与谷昌金と吉村順三が当たり[7]、世界で初めてコンクリート打放しを「壁面」に使った建築となった[8]。八右衛門は翌年、次男の自邸の設計をブルーノ・タウトに依頼したがタウト案は採用されなかった[9]

脚注・出典 編集

  1. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』、カ171頁。
  2. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』114頁。
  3. ^ Class of Graduates ManyKenyon College新聞, 1929年6月14日
  4. ^ 『官報』第6043号、昭和22年3月8日。
  5. ^ 住宅遺産の継承を支える活動の構築について-アーカイブとして近代住宅遺産を継承する仕組み田村誠邦, 新堀学, 山中新太郎, 清家剛, 山名善之, 佐藤慎也、住総研研究論文集 39 巻 (2013)
  6. ^ 『住まいのいろは』三沢浩、三和書籍, 2011, p20
  7. ^ 苦労したコンクリート打放し住宅『A・レーモンドの住宅物語』三沢浩、建築思潮研究所、建築資料研究社, 1999、p140-150
  8. ^ 69軒の現代住宅を訪ねて -藤森照信, TOTO通信500号、2013
  9. ^ 上掲『住まいのいろは』p21

参考文献 編集

  • 『人事興信録 第14版 上』 人事興信所、1943年(昭和18年)10月1日
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』、1990年(平成2年)。

外部リンク 編集

先代
川崎肇
日本火災保険社長
1943年 - 1944年
次代
日本火災海上保険に合併)