川崎河岸駅

かつて神奈川県川崎市幸区にあった日本国有鉄道の貨物駅

川崎河岸駅(かわさきがしえき)は、かつて神奈川県川崎市幸区にあった日本国有鉄道貨物駅である。矢向駅を起点とする1.7kmの南武線の貨物支線の終点であった[1]

川崎河岸駅
かわさきがし
Kawasakigashi
矢向 (1.7km)
所在地 神奈川県川崎市幸区
北緯35度32分20秒 東経139度41分46秒 / 北緯35.53889度 東経139.69611度 / 35.53889; 139.69611座標: 北緯35度32分20秒 東経139度41分46秒 / 北緯35.53889度 東経139.69611度 / 35.53889; 139.69611
所属事業者 日本国有鉄道
所属路線 南武線(貨物支線)
キロ程 1.7 km(矢向起点)
電報略号 カキ
駅構造 地上駅
開業年月日 1927年(昭和2年)3月9日
廃止年月日 1972年(昭和47年)5月25日
備考 貨物駅
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歴史 編集

1927年3月9日南武鉄道が開通するに当たり、川崎市に設置された2つのターミナルの一方がこの駅である。即ち、川崎駅が旅客ターミナル、川崎河岸駅が貨物ターミナルである。川崎河岸駅は多摩川の畔にあり、鉄道と水運の結束点となっていた。本来はこのようにターミナルを分けず、貨物駅も川崎駅に隣接していた方が便利だったはずだが、南武鉄道は川崎駅から多摩川に至る土地を確保出来なかった[2]

川崎河岸駅は主に砂利を取扱っていた。この砂利は多摩川上流域の河床から採掘された物で、鉄道で輸送され、ここでに移し替えられ、東京湾岸の需要者へと運び出された。そのため川崎河岸駅には船溜が設置され、漏斗を使って砂利を艀に落とせるようになっていた[3]。しかし他業者がより上流で盛んに採掘した結果、上流からの砂利の供給が不十分となって、1934年には当局による砂利採掘制限が始まり、上流の青梅電気鉄道沿線での採掘に中心が移って行き、南武鉄道としての砂利採取事業の重要性は低下して行った[4]

この他、東京製綱川崎工場が近くにあり、東京製綱もこの駅を使用していた。また、第二次世界大戦中には軍需もあった[3]

1969年の東京製綱川崎工場閉鎖と、東京湾岸地域の鉄道・道路網整備による需要減少により、川崎河岸駅は1972年5月25日に廃止された[1][5]。一部の史料では駅廃止を1970年としていることから、駅自体はその頃には既に休止状態であったのかもしれない[5]

現状 編集

 
さいわい緑道

現在、駅と貨物支線の敷地は1976年の整備以来、さいわい緑道となっている[5]

脚注 編集

  1. ^ a b 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第II巻 p.69
  2. ^ 原田 p.72
  3. ^ a b 原田 p.58
  4. ^ 野田et al. p.88
  5. ^ a b c 川崎市幸区 (2013年1月22日). “幸区の年表”. 2013年3月1日閲覧。

参考文献 編集

  • 原田勝正『南武線いまむかし』多摩川新聞社、川崎、1999年。ISBN 4-924882-28-3 
  • 野田正穂原田勝正青木栄一老川慶喜 編『神奈川の鉄道』日本経済評論社、1996年9月10日。ISBN 4-8188-0830-X 

外部リンク 編集