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巡恋歌」(じゅんれんか)は、日本のシンガーソングライターである長渕剛のファーストシングルである(通算2枚目)。

巡恋歌
長渕剛シングル
初出アルバム『風は南から
B面 「帰り道」
リリース
規格 7インチレコード
録音 1978年12月
エピキュラス・スタジオ
ジャンル ポピュラー
フォークソング
時間
レーベル 東芝EMI/エキスプレス
作詞・作曲 長渕剛
チャート最高順位
長渕剛 シングル 年表
雨の嵐山
1977年
巡恋歌
1978年
俺らの家まで
1979年
風は南から 収録曲
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前作「雨の嵐山」(1977年)にてデビューしたものの活動を停止し故郷の九州に帰郷した長渕であったが、この曲によって再デビューを果たした。オリコンチャートでは最高位173位となったが、後に再レコーディングしてリリースされた「巡恋歌'92」では最高位1位を獲得している。ライブにおいてもほぼ欠かさず演奏される定番曲となっている。

背景編集

ポピュラーミュージックコンテスト(ポプコン)の九州大会で優勝し、ビクター・レコードよりリリースされたシングル、「雨の嵐山」(1977年)によってデビューした長渕だったが、レコード店を回りキャンペーンを行ったり、デパートの屋上でアイドルの前座として歌わされたり、名前も「ながぶち・ごう」と変えられ、本人の理想とはかけ離れた活動を余儀なくされ、限界を感じた長渕は故郷である九州に帰ることになってしまう[1]。その後、再起をかけてこの曲は作られた。

再びプロのミュージシャンを目指していた長渕は、同じ過ちを繰り返さぬように、当時のフォークシンガーにとっては憧れの的であったフォーライフ・レコードに「巡恋歌」の含まれたデモテープを送るが、採用されなかった。その後も数々のレコード会社、果ては嘗て「雨の嵐山」において挫折を喫したビクターにも送るが、全く採用されず、最後に専門家による判断を仰ぐため、ヤマハ音楽振興会へと送った。その後ヤマハから歌手デビューする女性アイドルに「巡恋歌」を歌わせたいと連絡が入り、「自分はまだデビューもしていないし、自分で歌いたい」と伝えると、ヤマハ側から再度ポプコンへの出場を提案される。そして、見事九州大会で優勝、また静岡県のつま恋で行われた本選会でも入賞し、ヤマハ側から絶賛され、漸く東芝EMIより再デビューするに至った[2]

音楽性編集

音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「か細い音色のアコースティック・ギターに乗せて、感情たっぷりにむせぶような歌唱は痛々しいほど切ない[3]」、「一人暮らしの寂しい女性の視点から綴った、叶わない恋の物語。黄昏に染まる夕空に似合いそうな、切なさやわびしさが募るフォーキーなナンバーだ[4]」と表記されている。

リリース編集

1978年10月5日東芝EMIのエキスプレスレーベルより、7インチレコードでリリースされた。規格品番はETP-10480。

B面曲「帰り道」はアルバム未収録となり、シングル盤のみの収録となったため、長らく入手困難な状態となっていた。しかし、ベストアルバム『SINGLES Vol.1 (1978〜1982)』(1997年)にて初CD化され、入手しやすくなった。

プロモーション編集

長渕は前作「雨の嵐山」で喫した挫折を忘れる事のないよう、所属事務所に対し「全国をギターケースを持ってコンサート活動で回りたい」と訴えたが、レコード会社や所属事務所の上層部としてはレコードのプロモーションの事だけを考えており、長渕の考えは相手にされていなかった。その後、マネージャーであった糟谷銑司の計らいにより、長渕の希望は叶えられる事となった[5]

また、長渕はこの曲を全国区にするために、ライブでは必ず演奏し、プロモーションに頼らずに知名度を高めようとしていた。

アートワーク編集

シングル盤のジャケットは、タバコを片手にした長渕の写真が使用されている。

批評編集

専門評論家によるレビュー
レビュー・スコア
出典評価
CDジャーナル肯定的[3][4]

音楽情報サイト『CDジャーナル』では、「冒頭のハーモニカのメロで、早くも胸が締め付けられる。(中略)女性の視点からの詞は、新鮮に染み込んでくる[3]」、「初期長渕の甘酸っぱいヴォーカルも魅力的[4]」と評されている。

ライブ・パフォーマンス編集

デビュー以降のライブでもほとんど欠かさず演奏されている。ライブではオリジナルと違い、バックバンドなし、ギターとハーモニカだけで歌う。特にエンディングへ向けてハーモニカを激しく吹きながらギターをハイスピードでかき鳴らすシーンは、長渕ライブの見どころの一つとなっている。

カバー編集

後に長渕本人によりカバーされたバージョン『巡恋歌'92』がシングルでリリースされている(後述)。

南海キャンディーズ山崎静代(しずちゃん)がお笑いをやる前に、アイドルオーディション(モーニング娘。)でこの曲を歌った。バラエティ番組たけしの誰でもピカソ』(1997年 - 2009年テレビ東京系列)でもこの歌を熱唱した。

また1993年に放送されたテレビ朝日系列の特撮テレビ番組『五星戦隊ダイレンジャー』第1話でも、紐男爵(人間態の少年及び怪人態の両方 ただし怪人態は変身直後のみ)が、前半部分のみではあるが『'92』を口ずさんでいた。

シングル収録曲編集

全作詞・作曲: 長渕剛、全編曲: 鈴木茂
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.巡恋歌長渕剛長渕剛
2.帰り道長渕剛長渕剛
合計時間:

スタッフ・クレジット編集

参加ミュージシャン編集

スタッフ編集

  • 陣山俊一 - ディレクター (Yui)
  • 山里剛 - ディレクター (YAMAHA)
  • 米田恵一 - ディレクター (TOSHIBA-EMI)
  • 石塚良一 - エンジニア
  • 糟谷銑司 - マネージメント

収録作品編集

スタジオ音源
ライブ音源
ライブ映像
  • 『SUPER LIVE IN 西武球場』(1983年)
  • 『HUNGRY TOUR 1986.1.22 THE 4DAYS LIVE』(1986年)
  • 『LICENSE』(1988年)
  • 『カラス LIVE from '90 - '91 JEEP TOUR』(1991年)
  • 『LIVE'92 "JAPAN" IN TOKYO DOME』(1992年)
  • 『JAPAN TOUR LIVE 2001-2002 "空/SORA"』(2002年)
  • 『9.7 in 横浜スタジアム LIVE 2002』(2003年)
  • 『SAKURAJIMA』(2004年)
  • 『30th Anniversary BOX from TSUYOSHI NAGABUCHI PREMIUM』(2010年)

巡恋歌'92編集

巡恋歌'92
長渕剛シングル
初出アルバム『いつかの少年
B面俺らの家まで ('92 TOKYO DOME Live Version)」
リリース
規格 8センチCD
カセットテープ
ジャンル ポピュラー
フォークソング
時間
レーベル 東芝EMI/エキスプレス
作詞・作曲 長渕剛
チャート最高順位
  • 週間1位(オリコン
  • 1992年度年間45位(オリコン)
長渕剛 シングル 年表
しゃぼん玉
1991年
巡恋歌'92
1992年
RUN
1993年
いつかの少年 収録曲
EANコード
EAN 4988006100107
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巡恋歌'92」(じゅんれんか・きゅうじゅうに)は、長渕剛の25枚目のシングルである(通算26枚目)。

1992年10月28日に東芝EMIのエキスプレスレーベルより8センチCDカセットテープでリリースされた。規格品番はTODT-2950 (CD)・TOST-2950 (CT)。

アレンジが変更され、冒頭にハーモニカの演奏が追加、テンポが速くなりハードなエレクトリックギターの音色が加わりロック調となっている。

チャート成績編集

当時、テレビドラマCMなどのタイアップによるヒット曲が横行していた事に対し、曲の力だけでどれだけ売上を上げられるかにこだわり、ラジオの放送以外全くのノン・タイアップでヒットした。オリジナル版はオリコンチャート100位圏外であったが、「巡恋歌'92」では最高位1位を獲得、登場回数は16回、売り上げ枚数は67.5万枚となった。

収録曲編集

全作詞・作曲: 長渕剛、全編曲: 瀬尾一三、長渕剛。
#タイトル作詞作曲・編曲時間
1.巡恋歌(JUNRENKA'92)長渕剛長渕剛
2.俺らの家まで ('92 TOKYO DOME Live Version)長渕剛長渕剛
3.巡恋歌(オリジナル・カラオケ)長渕剛長渕剛 
合計時間:

収録アルバム編集

脚注編集

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  1. ^ 長渕剛「ナガブチゴウの嵐山」『俺らの旅はハイウェイ』八曜社、1981年、128頁。ISBN 9784827000573
  2. ^ 長渕剛「自信作「巡恋歌」」『俺らの旅はハイウェイ』八曜社、1981年、150頁。ISBN 9784827000573
  3. ^ a b c 長渕剛 / シングルスvol.1(1978~1982) [2CD]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年2月9日閲覧。
  4. ^ a b c 長渕 剛 / Tsuyoshi Nagabuchi All Time Best 2014 傷つき打ちのめされても、長渕剛。 [4CD]”. CDジャーナル. 音楽出版. 2019年1月14日閲覧。
  5. ^ MUSICMAN-NET 第51回 糟谷 銑司 氏

外部リンク編集