巨勢神前 訳語(こせのかむさき の おさ、生没年不詳)は、飛鳥時代豪族

出自 編集

巨勢神前氏(巨勢神前臣)は巨勢氏の支流で近江国神前郡に居住した一族。なお、神前郡はこの後の天智天皇4年(665年)2月に、

(また)百済の百姓(たみ)(をのこ)(めのこ)四百余人(よほたりあまり)を以て、近江国(あふみのくに)の神前郡(かむさきのこほり)に居(お)く。[1]

ともあるところで、百済遺臣の鬼室集斯らが亡命したところである。

「是の月(3月)に、神前郡の百済人(くだらびと)に田(た)を給(たま)ふ。[1]

ともある。

経歴 編集

天智天皇2年(663年)3月に訳語は新羅討伐の部隊として半島に渡り、前将軍・上毛野稚子、後将軍・阿倍引田比羅夫と共に中将軍を務め、2万7千人の軍団を率いたという[2]。同年8月の白村江の戦いでの活動や[3]、生きて帰国したかどうかは明らかでない[4]

脚注 編集

  1. ^ a b 『日本書紀』天智天皇4年2月条
  2. ^ 『日本書紀』天智天皇2年3月条
  3. ^ 『日本書紀』天智天皇2年8月27日条、28日条
  4. ^ 『日本書紀』天智天皇2年9月7日条,11日条,13日条,24日条,25日条

参考文献 編集

関連項目 編集