巻田清一

日本のサッカー選手

巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

巻田 清一[1]
名前
カタカナ マキタ セイイチ[1]
ラテン文字 MAKITA Seiichi[1]
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-07-11) 1968年7月11日(55歳)[1]
出身地 東京都[1]
身長 182cm[1]
体重 76kg[1]
選手情報
ポジション MF[1]
ユース
帝京高校
東海大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1992 NTT関東[2][3] 38 (3)
1993 浦和レッドダイヤモンズ[3] 6 (0)
1994-1996 富士通/富士通川崎[3] 73 (4)
1997-1998 水戸ホーリーホック[3] 49 (0)
クレメンティ・カルサ[4]
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴 編集

帝京高等学校ではサッカー部に所属し、第63回全国高等学校サッカー選手権大会では1年生で早くも試合に出場している。決勝戦は長崎県立島原商業高等学校と対戦し、1対1で引き分け、両校優勝となった。国立競技場を経験した事について「自分を大きく成長させてくれた場所である」と語っている。 同期に岩本三郎井出俊哉1学年下に飯島寿久礒貝洋光島根聡一本田泰人森山泰行、2学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康保坂信之浅沼達也がいる。

東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグ2部に所属していたNTT関東サッカー部へ加入し[5] 2シーズンを過ごす。Jリーグの開幕にあわせ、即戦力の大型MF[1] として浦和レッドダイヤモンズへ移籍するが、トリビソンノの代役[4] としてディフェンダーでの起用で6試合出場にとどまり1シーズンで退団した。その後は、ジャパンフットボールリーグに所属していた富士通水戸ホーリーホックでプレーを続け、更にはシンガポールのクレメンティ・カルサでもプレーした。

現在は水戸啓明高等学校のサッカー部監督。第92回全国高等学校サッカー選手権大会では、監督として全国16強(3回戦進出)の成績を残している。

所属クラブ 編集

個人成績 編集

[2][3]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/Jリーグ杯 天皇杯 通算
1991-92 NTT関東 16 JSL2部 27 2 1 0 - 28 2
1992 旧J2 11 1 - - 11 1
1993 浦和 - J 6 0 0 0 0 0 6 0
1994 富士通 旧JFL 18 0 - - 18 0
1995 30 1 - 1 0 31 1
1996 25 3 - 4 1 29 4
1997 水戸 27 0 - 2 0 29 0
1998 22 0 - 2 0 24 0
通算 日本 Jリーグ 6 0 0 0 0 0 6 0
日本 JSL2部 27 2 1 0 - 28 2
日本 旧JFL 122 4 - 9 1 131 5
日本 旧JFL2部 11 1 - - 11 1
総通算 166 7 1 0 9 1 176 8

1991、1992、1994年は天皇杯予選敗退(記録不明)。

出場歴[2][6]

  • Jリーグ初出場:1993年6月16日 サントリーシリーズ第10節 対名古屋戦(瑞穂球
  • JSL(2部)初出場:1991年9月8日 第1節 対読売ジュニオール戦(NTT千葉総合運動場)
  • JSL(2部)初得点:1992年1月19日 第16節 対京都紫光クラブ戦(NTT千葉総合運動場)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i 『Jリーグオフィシャルガイド1993・サントリーシリーズ』小学館、1993年、35頁。ISBN 4-09-102303-7 
  2. ^ a b c 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993年、84-87,200-215頁。 
  3. ^ a b c d e 『J.LEAGUE YEARBOOK 2014』朝日新聞出版、2014年、426頁。ISBN 978-4-02-190241-3 
  4. ^ a b 『浦和レッズ10年史』ベースボール・マガジン社、2002年、153頁。ISBN 4-583-03685-X 
  5. ^ 『1991-1992JSLイヤーブック』南雲堂、1991年、75頁。ISBN 4-523-31033-5 
  6. ^ R-File”. Urawa Red Diamonds official site. 2014年11月16日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集